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ネヴァーランド

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掘り出せない岩や岩盤に当たると、進路を右か左に曲げる。大路は基本的には北へ向かうが、こんな事情でジグザグになる。
疲労が耐えがたくなってきた。貧血気味だ。下の奴が身動きするたびに落ちそうになる。腕が上がらず、指が伸び縮みしなくなっててきた。指先から肩の付け根までを一塊の鍬とみなして、体全体で振り回すしかない。
バテているのは僕だけではない。後ろからは、掛け声や歌が時々聞こえるが、掘り手全員が、ほとんど夢遊状態に陥っていた。
何度目かの岩盤に遭遇する。右に回避した。
僕の左側がその岩盤だ。それに沿って右へ右へと掘っていく。
僕は気になる。そこからかすかになにやら音が聞こえるのだ。
こっそり耳をつけると、水の流れる音がした。
鴨川がここに隠れていたのか、などと思ってしまった。

疲労困憊の夜が来た。
僕は深く短い眠りを眠った。目覚めたのは、耳の奥から水音が聞こえて止まなかったからだ。もう眠れなかった
節々が痛む体に鞭当てて、こっそりベッドを後にした。
戦場の跡のような堀削現場まで忍んで行く。
岩盤に耳を当てながら、水音が最も強く聞こえる場所を探す。
尖った岩のかけらを拾い、ここぞと思った一点に打ち当てる。

45)

うつろな打撃音が、弦楽器の胴に響くように、洞窟に響いた。
僕はそのうつろさに励まされ、躍起となって打ち続けた。
汗まみれの奮闘のあげく、掴んでいた岩の先がめり込んで、振り下ろした右手の縁が、壁で止まった。
誰かの爪が、オルゴールに、コードをはじくように、こぼれたいくつかの小石が、向こう側の斜面に、自らをはじきながら、転げ落ちていく。
小さな窓ができた。
顔を寄せようとすると、冷風が押し返してきた。
窓の縁に手をかけて、壊しにかかった。
壁が音を立てて崩れ、頭を入れられる位の大きさになったので、力強く頭を差し入れた。
清い匂いの、冷たい空気に満ちみちた、贅沢なほど巨大な空間がひらけていた。僕はそこに針の穴をあけたのだった。
鍾乳洞? 溶岩洞?
天井は高すぎて、床は低すぎて、在り処の見当がつかない。
下の方から、地底流の音が聞こえる。
目の前に、焼け爛れた大木のように、石筍が伸びている。僕は他に手がかりも足がかりもないと見て、それに飛びついた。
なんという冷たさ。つるんつるんでどこにもつかまえどころがなく、僕は一気に滑り落ち、氷結寸前の水溜りに沈した。
震えながら這い上がり、体温を上げるために、ヒップホップを踊りまくった。
ア、ウ、オ、と叫ぶと、僕の声とは似てもにつかぬ悪魔のこだまが返ってきた。
せせらぎの音に近づく。
川幅は、走り幅跳びで跳び越せるぐらいだ。水量豊か。流れも速い。
これがあるなら、泉に行かなくてもよい。
一般に、帝国内の道路は、奥に進むほど標高が高くなっていく。
たまに下りの枝道もある。その先には水が溜まっている。濁っていて不味いが、たいていは飲料用にしている。しかし、応急トイレになっている場合もある。よほど近寄らないと飲料用と識別がむずかしい。識別しない大胆なやつも結構いて、感染症の原因となっている。
下りの枝道はすべて埋めてしまえばいいのだ。
泉に行く必要もなくなる。あそこは水浴び場にすればよい。
このせせらぎを上水とし、用をたすには、掻き出しで下水化する場合を除いて、外でするように皆を習慣づければ、病気は一挙に減るだろう。
僕は好奇心に突き動かされ、足元が危ういにもかかわらず、洞窟の探検に出かけた。
帝国の大広間よりはるかに大きなドームの真ん中を僕は突っ切っていく。
鍾乳石と石筍が、上下からドームを噛む。
僕が傍らを登ってきた滝は、崖を白く洗って、石灰岩壁を露わにしていた。この土地はかつて海中にあったが、隆起した後の石灰岩の溶食が、これを作ったのだろう。しかし、僕が見た連続的な火山の噴火を考えると、溶岩洞であるかもしれない。どちらであるかの判断はまだつけられない。
地面を、眼のない褐色の四足両生類が這っている。同じく眼のない、四肢の退化した両生類が、川から身をくねらせて上がってきた。これはごく薄いピンク色をしたアルビノだ。
天井から長い糸を垂らしてその端にぶら下がっている生物が、蛍光を放ちながら揺れ動いている。かすかに風が吹いているのだ。
立ち止まって確かめる。人差し指を舐めて、頭上に伸ばし、風向きを探る。川の上流から吹いてくる。
水流が空気を引っ張ってひき起こしているのか、何らかの理由で寒暖の差が洞窟内にあり、対流が生じているのか、それとも……
それとも、外へ通じる口から、風が吹き込んでいるかもしれない。
ここを上水としてみんなに解放すれば、その出入り口も早晩知れてしまう。
僕は、その自由への道を、独占するつもりはない。
知れてしまって封鎖されることを恐れるのだ。
封鎖しそうなやつらだけに知られないようにする手だてがあるだろうか。
せわしない音が聞こえる。いつか聞いた音。きしる翼の音とヒステリックな喚き声。
川下から飛んでくる者達がいる。そちらを厳しく見つめた。僕を丘の上で襲った黒い翼手竜だ。
何頭もいる。悪夢はよみがえり、僕は慌てた。
滑り降りてきた石筍まで走って戻った。
僕が飛び出てきた小さな窓が、絶望的な高みから僕を見下ろしていた。
石筍に跳びついた。
手の爪は、半分以上欠けている。血豆が透けている残りを頼りに、垂直の岩肌に指を掛けた。足の爪は、幸いにも伸びきっている。だから、脚で体重を支えつつ、必死の登攀を試みた。
飛んでいる翼手竜にとっては、獲物のほうから近寄ってきてくれたことになる。
僕は目のくらむような石筍の天辺にようやく達したが、翼手竜に空中で取り囲まれてしまった。
翼が煽るニンニクくさい体臭を嗅ぎ、同じく、翼が煽る目盛りいっぱいのヒーターみたいな、高すぎる体温を感じる。
襲撃を煽り合う嬌声は耳をつんざく。血走った目と、反ったくちばしが、いかにも悪魔っぽい。
僕が、超高層ビルの屋上で、押し寄せてくる怪鳥どもに向かって、腕を振り、胸をたたき、罵声を発しながらも、空しい遺言を考え始めたとき、窓から石が飛んできた。単発ではない。堰を切ったように次から次へと。
一瞬引いた悪魔達の隙を縫って、僕は見えない救世主にこぶしを突き上げて合図をし、窓に飛びついた。
主の両腕が延び、僕を引っ張りあげようとする。いかにも細い、無力な、むなしいまでのかいなだ。
それに感動した。全身をゆすり上げ、懸垂した。
願わくは、主がでんぐり返って僕と一緒に地獄へと転落しませんように!
上半身を、息も絶えだえ、東大路に投げ入れながら、僕を助けようとした救世主を、まじまじと見た。

46)

その少年もまた、僕をまじまじと見ていた。
肩や腹だけでなく、上半身全体を揺り動かしながら、荒く苦しい呼吸をしていた。
見開いた目はきらめき、頬はピンクに上気している。
僕よりもずっと若い。まだ親の扶養の下にあってもおかしくない年頃だ。少年ゲリラ兵として戦って、捕まったらしい。両親は戦争で死んだのかもしれない。
腕だけではなく、どこもかしこも筋肉がほとんど発達していない。
成長過程にあるのに栄養失調に陥っているいう不幸の真っ最中を生きているようだ。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦