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ネヴァーランド

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単独でうろうろするな。目立つではないか。ところが、単独で、あるいは、小集団で歩いている者達は僕以外にもいた。
清潔な身なりの、栄養の行き届いた、ゆっくり、あるいは揺らめきながら歩く、余裕のありそうな男たちだ。
アルコールの匂いを発散させている者がけっこういる。すれ違う時にこちらがのけぞりそうになるほどのやつもいる。部屋で寝ていた奴らが退屈半分に起きてきたのだ。
通りにいる者と、各戸に寝そべっている者とを加えると、帝国全体としてでは、奴隷やニガーよりも数が多いかもしれない。
彼らは労働を免れた自由市民なのだ。このような層を温存できるほどこの帝国は豊かなのだろう。それにしても不可思議な階層だ。その真の役割は何だろう。
彼らは胡散臭そうな眼で僕を見つめるだけで、慌てて通報する様子はない。僕が異民族の特徴を持っていないからなのか。
だが、そんなことで安心してはならない。安全をしっかり確保せねばならない。ぼんやりしてはいられない。
四辻に面した角部屋に忍び込む。表から見ると、空室であるように見えたからだ。
奥の部屋を女が横切った。見つかってしまった。その女は赤ん坊をひっかかえたまま飛び出してくると、大声で喚いた。おっとりした自由市民男の、目の焦点が合っていない寝ぼけ顔がのぞいた。
あわてて戸口から這い出たところで、左折したばかりの隊列と出くわした。それにもぐりこむ。そうせざるを得なかった。ブレーキが利かず、あっという間もなく既に列の真ん中にいたのだった。
行進をしながら気がついた。
隊列が角を曲がるとき、後ろについているニガーは、曲がってしまった隊列の前半分を見ることができない。先導するニガーは角を曲がる度にいちいち後ろなど振り向かない。だから、列の前半がなす死角に割り込むことも、そこから逃れることも、不可能ではない。奴隷達は、下を向いていることが多く、極端な場合、額を前の者の背中に時々持たせかけて、眠りかけている時もある。そういう場合を見極めてすばやく行動することにより、出入りの自由を掠め取れるかもしれない。ちょうど今のように。
さらにひらめいたことがある。僕はニガーを個別認識できないが、ニガーは僕を識別できるのだろうか。さすがに、目の前で逃亡すれば追ってくるだろうが。
できない可能性がある。頼もしい可能性だ。
僕はびくびくひやひやしながら隊列に混じって進む。
今や、偶発事から生まれた希望的観測がテストされつつある。
興奮を禁じえない。
息を凝らしてニガーを窺う。何も言ってこない。うまくいくかもしれない。奴隷生活を脱するための突破口になるかもしれない。
ヘレンはモーゼの何なのだ? 
女御更衣あまたさぶらっているだろう。そのひとりにちがいない。
あんな、野蛮な、デリカシーのかけらもないナチ野郎と、なんでだ。
嫉妬で狂いそうだ。
ここで不思議なのは、嫉妬心が沸き立つと、性欲も亢進することだ。
興奮を何とか抑えようと、般若心経を唱えた。
無理やりだったのか? そうだったら、僕の気はやや休まる。仕方なかったんだ。その後も権力から逃れては生きていけなかったんだよな。
乳首で窒息しそうだったあの赤ん坊は、モーゼの第何子かで、ちやほや育てられた後、後継者争いで苦労するはめになるのだろう。
隊列は、土砂運搬の流れを遡り、東大路を北へと上る。
奴隷達の足並みは、僕のも含めて、重くのろく、しかし乱れない。僕は自分が目立たないことがうれしくてしょうがない。ニガーだけでなく、前後の奴隷達も、僕が朝から先ほどまで作業をし続けてきたのだと思っている。
道は徐々に狭くなる。上り勾配がかすかに大きくなる。土砂を掻きだす音は一定の音量とリズムを保つ。それにあわせてヨイトマケの唄のコーラスが壁と天井に響く。
僕らは最前線にある堀削現場に近づいていく。
しまった。この点についてだけは貧乏くじを引いた。明日は僕自身が堀削をやる羽目になるかもしれない。
手掘りだ。
やった者の爪は必ず剥がれる。耐えられるか。免れる手はないか。もう角を曲がらないのだろうか。
……僕の子じゃないか?

44)

泉と木の実食堂から帰ってきた僕達は、東大路が突き当たる壁に向かって、三列縦隊に並ばされた。
僕は左の列の先頭だ。怖れていたことが事実となった。
ニガーの号令が後ろから聞こえた。右隣の者が慣れたふうに両手を壁に突いたので、僕も真似る。頭の高さも隣の奴とそろえると、ほとんど四つんばいに近くなった。腹筋を緊張させる。
壁は冷たいが、硬くはない。赤土を主成分にして、砂と泥が斜めに層を成している。開いた指の側面を、泥水が伝っていく。
再び号令が聞こえ、後ろの者が僕の背中によじ登った。さらに肩の上に立った。隣では肩車をしている。
僕の突いた手が、重みでずり下がる。慌てて指を立てる。爪の間に湿った赤土が挟まった。
あくびのような号令を合図に、六名は一斉に掘り始めた。
掘るというよりは引っ掻くに近い。両手を同時に使うと、肩の上の奴の重みで、前に倒れてしまう。
隣を見る。下の奴は、いつのまにか坐っていた。土砂を後ろに押し出すときは、尻を上げ、背中を水平にする。肩車をしたままこれを繰り返すのもきついだろう。僕は背を伸ばし、額を壁につけて体を支えることにした。
足元に落ちる土の量は情けないほどわずかだ。それを足で後ろに蹴って渡す。上から土が降ってきて、耳をかすりながら落下する。頭と顔に泥の飛沫がかかる。乗っている奴の足と僕の首との間に土砂が溜まってしまうが、それは乗っている奴が蹴り落とす。
とてもじゃないが、こんな作業が長続きするはずはない。
食欲がなく、昨日腹を下したので用心したせいもあり、水だけは泉で相当飲んだが、木の実食堂では、ほとんど食べなかった。だから、体力に関する自信はこれっぽっちもない。
僕は昨晩夢でうなされ、ひどい睡眠不足だ。浅い眠りは夢で乱され、何度も目を覚ました。
夢の中で、あの赤ん坊が大声で泣いていた。
愚かな僕は、うろたえあわてて、赤ん坊を抱き、とんでもないことを口走ってしまった。
ほーら、パパだよー。よしよし、いい子、いい子。もうすぐしたら、パパママと暮らそうねー。
赤ん坊はますます大きな声で泣いた。
僕は、赤ん坊をあやすために、小さなプールに入れた。
赤ん坊は、たちまち機嫌を直し、両手を?字形に挙げてはしゃいだ。両手が翼になり、口が延びてくちばしとなり、大河の水際で遊ぶアヤカに変わった。
あっと驚いて、支えていた手を離してしまうと、再び赤ん坊に戻って泣き出した。
声が大きくなっていくにつれて、体も大きくなっていく。とうとうプールをはみ出して、モーゼより大きくなった。
大きな声は、野太いだみ声になって、ニガーが僕をたたき起こす声に重なった。
目覚めた僕は、夢を顧み、惨めさと情けなさの泥にまみれた。それは食欲をなくす原因の一つとなった。
大岩に突き当たった。
肩に乗っている奴が飛び降りた。後ろに控えている土砂運搬係も寄ってきて、全員で岩の縁を掘っていく。
やっと岩を掘り出した。ニガーが、それをころがして外に出しにいく者を特別に選んだ。
再び作業が始まった。
今度は僕が肩に乗るようにと、ニガーに手まねで命じられた。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦