ネヴァーランド
広場を突っ切り、薄暗い密林に入った。踏み固められた道があった。左右には昆虫達が飛び交う藪が茂り、枝と蔦が頭上にかぶさる。取り囲む蝉の声は轟音に近い。ぎりぎり痛む膝は恐怖に支配され、小刻みに踊っている。
林が切れた。
なつかしくも快い音が聞こえる。目の前に、泉が現れた。広さは施設ニッポン内のプールの五倍ほどだ。
僕は切実極まりない渇きと飢えにとらえられた。今まで全く忘れていた。
走り寄ろうとしても、首根っこをつかまえられているので、弓なりにのけぞってしまった。
太陽が目を射る。まぶしさに瞼を閉じたとき、その裏に、頭を水に突っ込まれ、必死の抵抗空しく死んでいく自分の姿を見てしまった。ここが処刑場だったのか。
いやおうなしの力が、僕を水辺に押さえ込んだ。むっとする水の匂いに、くらくらする。
泉の中央はかすかに盛り上がり、あとからあとから湧き出る清水が、薄い皮膜となって四方に広がる。その下には水藻が揺れ動いている。底の岩や石が屈折作用によって浮き上がって見える。水はあふれ、縁から流れ出て、密林の下草の中に消えていく。僕はもう、死んでもいいから水を飲みたいと切に思う。
頭を水中に押し入れられた。
僕は、夢中で、口からだけでなく鼻からも水を飲む。痺れるほどの快感が全身に走る。同時に、溺れ死ぬ恐怖も全身に走る。むせて、大量の水が肺に入った。やはり処刑だったのか。快感と死の恐怖は、競合しながらたちまち上り詰め、苦しみが絶頂に達し、射精しそうになった。
突然、頭の毛を引っつかまれ、後ろに転がされた。僕は胃と肺から出て合流した水を、噴水のように空に吹き、顔に浴びた。それでもまだ肺には水が溜まっていて息ができない……
うつぶせにされ、背中を蹴られて、ようやく水の塊が出た。
ああ、助かった。
僕はあえぎながら、天から授かった贈り物のように、この安堵を愛しんだ。
目の前の、ニガーの大足に、感謝のあまりすがりつきそうだ。
39)
見とれていたその大足の一本が蹴り上げられ、遠慮会釈なく顎をとらえた。目下のところは殺される心配はないという僕の心の緩みが馬鹿面として露わになっただろう。大足に目がついていて、それを鋭く見てとり、嘲罵の一発をかましてきたかのようだ。
歯から再び血が出てきた。これから何度血を出すことになるだろう。たちまち僕は憂鬱になる。
頭の毛だけで吊り上げられ、僕は手足をばたつかせた。僕の顔はニガーの顔にくっつきそうになった。熱くて臭い息がかかる。黄色く濁った網膜に、毛細血管が根を這っている。その奥には皮膚より濃い暗黒がのぞいていた。
僕はいったん放り出され、尻を蹴られた。今度は右手で首根っこをつかまれると、密林のさらに奥へと拉致されていく。
全身が、痛いだけでなく、だるく重い。実際、少々吐いたぐらいは測定誤差内に過ぎないほど大量の水を飲んで、体重は十パーセント増えているはずだ。その証拠のように、一足ごとに腹の中の水が音を立ててゆれ、体の重心をかすかに危うくする。
木の種類が違う一画にやってきた。
広葉樹であるが、さほど太くない。それらの一本の根かたに、別のニガーが座り込んでいた。僕の隣に立っているやつと、双子のようによく似た巨大漢だ。落ち葉の間から、ひっきりなしに、何かを拾い上げて、食べている。
ニガー1はニガー2と親しげに言葉を交わしながら、落ち葉の上に片足で僕を押さえつけた。
硬そうな木の実がたくさん転がっていた。僕は、両手でそれらをかき集め、殻を噛み千切って夢中で食べた。カビていたり、酸っぱかったりするものもあったが、かまっていられない。がっつき過ぎて、水と一緒に吐いたが、すぐ食べ始めた。するとまた吐いた。水を飲みすぎたと後悔した。舌を喉の奥に巻き込んで、思い切り吐いた。涙が出た。吐いた水でびしょぬれの木の実をほおばる。自らの餓鬼畜生かげんをつくづく情けなく思う。
ニガー1はいつの間にか僕の背中に腰を下ろしていた。
なんという重さ。吐くのはこの体重のせいでもあるだろう。
ニガー同士は、選り分けておいた大きな実を食べている。さらに、ニガー2は熟れた黄色い果実を取り出し、二つに割ると、ニガー1と分け合った。トリイをこぐって走っていたとき、誰かが食べていたのと同じものだ。甘くて芳醇な香りが漂ってきた。今の僕の身分ではとても手の届かない高級品だ。
ニガー達は、果実をきれいに食べ尽くすと、立ち上がった。鼻の先をくっつけあい、体を擦り付けあって、ホモの踊りじみた儀式を競演した。ニガー1が、木の根方に座り込み、2が、僕をかばんを持つようにぶら下げ、僕の頭の向きを百八十度変えた。放り投げてから、号令を下すように尻を蹴り、もとの道へと追い立てた。両者は役割交代をした。双子がとりかわったみたいなもので、僕にとっての意義がわからない。
トンネルの入り口に入るときには、再び首を後ろからつかまれ、押された。
断面は縦につぶれただ円形だ。壁面はヌメヌメと滑らかだ。所々に光る破片が目に付く。砂金か、ヘビの鱗か。
不自然に水平なトンネルを行く。両側に深くて幅の広い側溝が掘ってある。すぐに大広間に出た。天井も高く、明かり採りが開いている。ヘビがとぐろを巻いていたところだろう。たまに横切る者があるだけで、閑散としている。しかし、喚き声や騒音はうるさいほどに反響していた。
大広間からは、十本ほどの枝道が延びていた。各々の入り口には、片側に廃棄物の混じった土砂が山盛りになっている。真ん中の大きな口には両側に土砂の山がある。内部から絶え間なく供給され、山の形が刻々と変わっていく。
音源は、これらの枝穴だ。
ニガーは手を離した。愚かな僕は枝穴の一つに吸い寄せられた。ニガーの意志どおりに動いてしまった。
トンネルの右側に、四つんばいになった者達が、入り口から奥まで、一列に並んで作業をしていた。両手で掻いて前の者から引き継いだ土砂を、腹の下を通して、両足で後ろの者に押し出すのだ。この列の先端では、恐らく、穴掘りが行われているのだろう。バケツリレーで、掘り出した土砂を外へ出しているのだ。この原始的な作業に従事する者達には、女も混じっている。ある部分列では、女が連続していた。
さらに観察を続けた。毛色の変わった者が多いのに気づいた。負傷の痕や、身体障害をもつ者たちも目につく。戦争で捕虜になった異民族ではないか?
彼らは、一人ごとをつぶやいたり、前後でヒステリックに口喧嘩をしたり、暗い労働歌を合唱したりはするが、作業は休まない。所々にニガーが立っていて、監視している。サボるとそいつらが何をするのか、予想がつくというものだ。僕は、ニガー2に突き押されながら、先に進んだ。
トンネルは、さらに枝道に分かれる。土砂を運ぶ経路はあくまで一本だ。複数の枝道から土砂が運ばれれば、それを受ける側の能率が悪くなるからだ。
トンネルの左側には部屋がある。大きさはまちまちだ。一つの場合もあるし、部屋の奥にさらに部屋が連なっている場合もある。