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ネヴァーランド

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せりあがった首の頂に、長大な黄色いくちばしを持った、やはり銀白色の顔がある。突き出た鼻梁から、ずいぶん離れた側面に、目は細く開いている。
表情というものがまるでない。型で押した仮面だ。
翼手竜が進化して、さらに飛翔能力を向上させるために羽毛を持ったのか、恐竜が保温のための羽毛を転用して飛翔能力を持つ鳥類となったのか、議論の分かれるところだ。僕の周りを飛びまわるこの者達は、どちらなのか。
僕の進化の歴史についてのレッスンは、白亜紀の最終段階でストップしているが、その学習の限りでは、両者の混在はありうる。
レッスンをストップして家出したのは僕の判断だった。どのような全体構想の下で父が僕を教育していたのかは、もう、うかがい知るべくもない。願わくば、今までの教育が、全体の構想が実現する以前でも、部分的に有効であり、現実的であり、生産的であるように。
思い切り息を吸ってから潜水し、やつらが泡を立ててバタ足をしている様子を観る。最も近いところにいたのがこちらを向いた。正面から見た脚の先には、三本の指が根のように張り出し、その間に前後にひくつく膜が張ってある。親指と小指が退化していて見えない。アヤカと同類であることがほぼ明らかだ。鳥だ。
さて、僕は、間近に迫ったやつらに、極度の敵愾心を抱く。
数に驕って、僕とアヤカを分断し、保護者たる僕を虚仮にしたのだ。
アヤカに向かって頭を近づける者もいる。
突こうとするのか、咬もうとするのか、そいつの尻が邪魔で見極められない。
首を振りふり、睨んでいるのもいる。
どういう理由からか、翼を半開きにして風を送るのもいる。
僕はとてもとても心配になってきた。
群れの隙間からアヤカを窺おうとする。
いざとなったら、隙間を突破して、アヤカを背にして、いや、アヤカの背中によじ登って、歯をむいてやつらを威嚇しよう、などと思う。
やつらは仮面をかぶっていて、目と目が尾根を挟んで背反する山腹についているので、僕は、威嚇の焦点を合わせづらく、眼をちらちら動揺させ、慌てっぱなしになるだろうが。
僕は言ってやる。
うちの子に、何するんだ。触るな、サナヴァヴィッチ。帰れ、帰れ。
潜水に関しては、やつらより僕のほうが得意かもしれない。過剰なほどの羽毛が生む大盥の浮力は、深い潜水に抵抗するだろう。
もぐって下から腹に頭突きを食らわし、脚に噛みついてやろうか。
戦術の空想にしたたか酔ったあげくに気がつくと、僕のほうが、アヤカと彼らを中心にして、何周も円を描いていた。
アヤカの姿がちらちら見える。
狼狽している。わめきながら背伸びをし、右に左に回転する。僕を探しているのか?
突入を真剣に考え、一点突破の場所を窺いながら武者震いをし始めたとき、その勢いを、背後から抱きついて、思いとどまらせようとするものが出現した。
物理的な拘束力ではない。記憶だ。仲間の宴会に連れて行かれた時のことを思い出したのだ。
期待が三分の招待、恐れが七分の拉致だった。
言葉は通じない、やたらと触られ、こ突かれる。
最初は面食らったものだった。そのうち威嚇と媚に慣れ、親しくなった。憩いの時が訪れた。ついには擬似信頼関係のようなものさえ生まれた。
その実態は不明であるし、その展開は今後の課題だが、僕は第一段階は経たと思っている。あれは忘れられない。
今この場面も重要な出会いの機会なのではないかな。
かわいそうだが、手を出さないことにした。
アヤカも僕も、あとしばらく、辛抱する必要があるようだ。
さらに何周しただろうか。
アヤカが落ち着いてきた。余裕が出てきた。自分から相手のほうに首を伸ばしてなにやら仕掛けるそぶりも見せた。
ひときわ大きな一頭が、首を水面に突っ込むと、一瞬後に魚をくわえて天を仰ぎ、アヤカをまだ未熟者と思ってか、口移しにそれを食べさせた。
よい兆候だ。
もういいだろう。
僕は、ゆっくりと遠ざかる。
別れの時が来たのだ。
意思の疎通が難しいだろうし、いじめられることもあるだろうが、似た者たちに囲まれて暮らすほうがいい。
僕もまた似た者たちの間で暮らす。
親離れ、しな。
僕は本当の親ではないけれど。僕の親離れさえ完了していないけれど。
僕にではなく、新しい仲間たちに、関心を移しなさい。
バルサを押して、ひっそりと岬をめぐった。そこで翼を休めている者たちのたくさんの視線をひしひしと感じながら。
前方に開けた景色を覆う霞の奥に、ぼやけて見える白亜の城塞、アメリカ、が、確実に大きくなっていた。
突然、体が震えた。いったいこれはなにごとだろう。
今からでも遅くはない。
別れてはならない。
後ろを振り返った。
岬が、のこぎりのように湖に食い込んでいた。
僕は、長い間それを見つめていたが、元の姿勢に戻った。
息が、さすがに、荒い。

35)

針葉樹林帯が突如切れて、照葉樹林が取って代わった。
境目は、厳密に直線をなし、山腹をよじ登って霞の中に消えている。
あまりの明瞭さに、この境目は単に地表だけを分けているのではなく、地中深くにまで延びた面であり、断層、というよりは、平面をなす不整合か、と思う。
あるいは、これを境に、右か左かが、溶岩流の跡であり、一気に駆け下りた溶岩の勢いが、直線として残っているのか。
さらにあるいは、東西に延びた、山稜の影が、日照量の較差をもたらし、その結果として樹林帯に差異をつけたのか。
とにかく山腹は、これまでの、黒く高くまっすぐで一律な姿の喬木群から、鮮やかな緑や青や黄が交じり合った比較的低い、幹がくねった雑木の集まりへと一変した。
僕は、湖の底にまで引かれた想像の境界線を、泳いで越えた。
昆虫や獣の鳴き声が、転調し、多様で大きくなった。
針葉樹のヤニの匂いではなく、樹液と花と果実の匂いが漂う。動物の体臭さえ混じる。
水面に、腐った果実が浮いている。僕と同じように、アリがそれにつかまっていた。
僕は、これらの変化を心から歓迎した。
岸辺に泳ぎ寄る誘惑を押しとどめるのに苦労した。
密林の中を彷徨するより、湖面から、山腹の相当範囲を展望するほうが、仲間を発見するチャンスは大きいだろうから。
期待に胸躍らせ、きょろきょろしながら進んだ。
そして、ついに見つけたのだ。
砂浜を少し上がったところを、水平に、僕と同じ方向に、何かの会合時刻に遅れかけているかのように足早に進む仲間を。
木の枝をかいくぐり、幹をよけ、笹の間を突っ切っていく。
ヤツに遅れないように、バタ足のピッチを上げた。
ちょっと考えた。
ここで、入り江に入り、陸に接近すると、下から見上げることになり、草木と岩の陰になったヤツの姿を見失う。その間ヤツは歩みをやめないだろうから、このまま水平に進んだか山腹を登ったか、わからなくなる。
湖面を進んでいれば、あいつが方向転換をしたのを見極めてから追跡ができる。
岬が邪魔になる。しかし、岬を過ぎた後に現れないなら、岬の根元で山腹を登り始めたとわかるだろう。
僕は、左の頬を水につけたまま、ふと姿が見えなくなるたびに胃を萎縮させつつ、ひたすら泳ぐ。
見つけてから、二つ目の岬を越えた時、ヤツは小さな岩の上で立ち止まった。
ゆっくりと首を左に九十度回した。それに続けて、体を、ゆっくりと同じ向きに回した。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦