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ネヴァーランド

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進むにつれて耳鳴りが激しくなる。
とうとう石と岩だらけの川原に出た。
耳鳴りではなかった。
正面に巨大な滝があった。大河の正体を見た気がした。
滝つぼは水煙を上げている。それに虹がかかっている。オゾンの匂いが濃い。
滝の水で垂直の崖は洗われ、石灰岩の生地を見せている。
ここは昔海の底だったのだ。
立ち上る水煙は、上方で霧となって、滝の上半身を見せなくしている。

僕は段丘に上る。
滝の音は遠ざかり、霧も去り、青空が広がった。
急な斜面を点検し、清水の流れる粘土の道を登る。
アヤカは岩伝いに跳びながら登っている。
翼を使う。バランスをとり、落ちかけるとはばたいて揚力を得ることもできる。本格的にはまだ飛べないが、僕と比べると随分有利だ。
アヤカが滑った。翼を広げた。潅木に引っ掛かった。片方の翼をからませたまま崖にぶら下がってあがいている。
僕は慌てて助けに行くが、粘土に足を滑らせて、転落した。
木々と青空が視野をよぎり、太陽がまぶしい。
右足に激痛が走った。
岩に後頭部をぶつけた。ふっと意識が遠のく。
アヤカの鳴き声で目が覚めた。崖の途中のテラスに倒れていた。
いざって岩陰に身を寄せ、岩に背中を持たせかけて、傷を調べた。
膝から足首まで、外側に裂傷が走り、めくれた皮膚の下に、白と黄色の脂肪が見えた。赤黒い血が固まりかけていた。ずきずきする。膿まねばよいがと思う。
アヤカは無事だったようだ。鳴きながら、草や小枝を咥えては僕の体を覆っていく。
早まるな、墓など作るな。
おまえが鳴いてもしょうがないとも言った。
何を言っても、もちろん通じない。
鳴き止まないで、同じ作業を繰り返している。
僕は、アヤカが咥えてきたものの中から、特別匂いが強い草を選び、よく噛んでから脚に吹き付けた。
何度もそうしているうちに、アヤカは学習し、自分でも試みた。
だが、くちばしでは噛めない。歯がないのだから。
よだれだらけの葉が僕の傷の上に落ちてかぶさった。
アヤカは香草を咥えると、口をあけて僕の顔に近づけてきた。
僕は、口移しにそれを咥えると噛んで吐いた。
夜になっても、アヤカは草を採りに行こうとした。目が見えなくなるので、危険だ。
やめろと何度も言った。行こうとしたら暴れてやった。やっと分かったようで、僕のそばにへたり込む。
もう鳴くな、寝かせてくれ、と言ったが、低く鳴き続けている。
僕はあきらめる。眠気に負けていく。
鳴き声が、なにやら子守唄のように聴こえぬでもない。
それはいつまでも続いた。

苦―っ、苦―っ。悲―っ、悲―っ。
苦―っ、苦―っ。悲―っ、悲―っ。

28)

滝の音で目が覚めた。
目覚める寸前、滝が近寄ってきたような感じがした。
ぐっすり眠った自覚がある。既に体に活力が満ちていた。
意識を右足に集中する。痛くない。火照っていない。
上半身を起こす。傷口は、ややずれたまま盛り上がってふさがっていた。
膝を折り曲げ、足首を回す。傷口自体にそっと触ってみる。
何の問題もない。
僕の生命力に感謝する。
空は珍しく曇っている。
東の空を眺めても、比較的明るいだけだ。
太陽は、雲の裏側を銀色に輝かせているだろうが、今朝は隠れている。
そのかわり、滝のオゾンと森林の香りをいっぱいに吸い込んだ東風が、僕の体をなでていく。
朝日のようにさわやかに。
僕の傍らでアヤカが頭を翼の下にもぐりこませて眠っていた。そのわき腹をつつく。出発だ。
僕はゆっくりと慎重に移動する。
三点確保を墨守する。四肢のうち、三っつを固定しておいて、残り一つで次のポイントを探す。
高さを稼ごうとしない。なるべく滝から離れるようにする。離れるほどに、斜面の勾配が緩くなるからだ。
木の根を支えにする。粘土はもちろんだが、岩や土砂にも出来る限り足をつけない。
次はどうする、次はどうすると、自分を問い詰めていく。
その間が少しでもあくと、宙吊りの恐怖が襲ってくる。落下の記憶がよみがえる。
下からの風圧を受けて、凧になったような気分。パニックの中にかすかに混じっていた身を任せてしまいたい誘惑……
いかん、いかん。次はどうするんだ。
この体勢で攻撃されてはたまらない。
一単位の移動ごとに静止して耳を澄ます。
アヤカの立てる音以外に、不規則な音が聞こえないか。
滝の音はかなり遠くなった。蝉の声。鳥の声。森林の葉ずれ。どれも単調に続いていた。
小石が落ちてきた。
昆虫が飛び立つ際に蹴ったのだ。
そいつは飛ぶのが上手ではなさそうで、すぐに着地した。
長い脚の間で、青緑色に光る蛇腹が、息をついている。
この程度の者ならば、威嚇すれば追い払うことができるだろう。
大型動物が現れたらどうするか。
昨日のように、慌ててはならない。
急激な変化に対して、急激な反応をするな。
おや、これは父のいいつけだった。昨日再び僕はそれを破った。よく破る息子だ。
ゆっくりじわじわ進む変化に対しては、急速に対応策をとるべきなのかな。
えい、余計なことを考えるな。
大型動物は、急斜面が苦手なはずだ。現れる確率は低い。もし出てきたら、その時に考えよう。
徐々に斜面が緩くなってきた。
斜めに生えていた木が垂直に立つようになり、幹も太くなった。
頂は横に長々と広がって、その向こうは灰色の空だ。
何かが待ち構えている感じがする。

29)

頂にたどり着いた。そこは鞍部になっていた。東西に尾根が続いていて限りがない。
正面には何があるのか。
初めは焦点が合わなかった。
やがて僕は仰天した。
夢か幻か。
眼下に海が広がっていた。
気を取り直す。海がこんな高みにあるはずはない。
大河が別の大河と合流を繰り返し、行き着く果てが海だ。はるか後方、はるか下方にある。
これは湖というものだろう。
大森林が岸辺のそばまで下りていた。いくつもの入り江が重なりあって遠ざかり、霞の中に掻き消えていた。
雲を映して灰色である水面も、延びてのびて霞の下に入り込む。
ここかしこで、さざ波が横なぐりの模様を描き、跳び上がる魚が輪を描くが、水自体はただ存在するだけだ。
長い間流水のそばで過ごしてきた僕には新鮮だった。
僕は、短い草と黄色い花が一面に生えた、緩やかな斜面を降りていく。
地面は暖かく、柔らかだ。
僕の周りを昆虫が飛び交っている。
僕は足を早める。蟻塚を蹴飛ばしてしまう。自分も転ぶ。そのままわざと転がる。
一回転ごとに、後ろのアヤカを見る。
宙に浮いている、翼をVの字にかかげている、前につんのめる。
僕は、息をつきながら仰向けになる。雲が動いていた。その向こうが赤く染まってきた。
再び起き上がり、走り、転がる。
転がったまま、わずかな砂地を過ぎて、水の中へ。
なんという冷たさだろう。氷が融けた直後のようだ。
うつぶせに浮いたまま水を飲み、仰向けに浮いて空を見た。さらに雲が薄くなってきた。
水音がする。
アヤカが浅瀬を歩き回っていた。
どうしようか迷っているようだ。
僕は岸辺に上がると、砂浜に寝そべって、興味深くその様子を見る。
やがて、アヤカは意を決して座り込んだ。
浮いた具合が全く安定していた。水面を優雅にすべる。スピードを上げながら僕の目の前を往復する。得意そうだ。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦