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ネヴァーランド

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僕から彼らに接近し、僕から彼らと交渉を断った。どちらも僕のわがままな行動だった。彼らには何のプラスにもならなかった。混乱を持ち込んだだけだった。さらに彼ら、はっきり言うと、女の子達を傷つけた。きっかけは向こうが先に作ったとしても。このまま何事もなかったかのような生活をしてはいられない。
「ほほう。彼らの動物的な意思と判断に任せろというのだね。その結果、彼らが集団家出を決行でもしたらさぞや私は寂しいだろうね。彼らは私の生徒たちなのだよ。しかしダメだと言ったら、お前はまた自殺するとでも言いかねないな。愛するお前がそんなことをしたら私も死んでしまうよ」
父は大げさに言い終えた。だが、本当に悲しそうだ。
「お父さんも、僕を脅してるね」
僕は、わざとぞんざいな口ぶりで父を責めた。父はかすかに笑った。僕が父の口調に動揺しているのを見抜かれなかったかな?
「わかった。彼らをサファリパーク見物に連れていってやろう」

僕は二日後、呆然と高層アパートの群れを見上げていた。
こんなにはっきりと結論が出るとは思わなかった。
みんな行ってしまった。

19)

彼らが出て行って以来、僕の部屋と通路の間、体育館の出入り口、団地への入り口等のシャッターは上がったままになった。
父にその理由を訊くと、お前の自由度を少し上げてやっただけだ、と答えた。
僕は時々だれもいない団地を散歩する。
中央の大通りは以前よりさらに幅が広くなった感じがする。
暗渠から暗渠へと通じる川に相変わらず水は流れていないが、よく見ると土手に真新しい喫水線が走っている。完全に枯れているわけではないらしい。
アパートの階段や廊下には、たくさんの足跡がついている。
ドアは開けっ放しなので、部屋にも入る。
一通りの掃除はしてあるが、彼らの生活臭がまだ残っていた。
僕は壁や床のしみや傷跡を興味深く観察する。
へこみがある。血痕や乾いた痰がついている。毛が落ちている。こぼした食べ物や糞尿をぬぐった跡がある。
空中にかれらのおしゃべりが残響となって飛び交っている錯覚にとらわれる。
彼らが身をくねらせ、ど突きあい、走り回り、跳ね回る幻影を見る。
彼らに思いを馳せるのは団地をさ迷う時だけではない。夜も昼も彼らを思う。
時が経つに連れて、僕は心配になってきてしまったのだ。
頭の中に繰り返し父の言葉が聞こえる。
?全滅の可能性があるな?
僕は、脱出が彼ら全員の希望だと見て取った。それは正しかった。
集団としての力を発揮すれば生き延びていけるだろう、もともと外でそうして生きてきたらしいから、と推定した。実感に基づいていた。しかし、今思う。間違っていたかもしれない。
集団戦術を期待したのは付和雷同を買いかぶっていたせいだとしたら? 僕はおぞましい想像をしてしまう。彼らが群れをなして暴走し、崖から大河へ飛び込んでいく。僕は恐れる。実感が僕をだましていた。実感であると僕が僕を言いくるめていた……
時が経つにつれて肝心の実感が薄れていくのを僕は実感している。
ドギーの場合を思い起こす。
外のことをドギーに伝えなければ、唯一の友情を偽のものにしてしまう恐れがあった。外の世界の危険性を詳細に説明すれば、出て行く気は起こらないはずだった。
長い間のドギーとの付き合いから、彼が臆病であるのはよく分かっていたので、その判断には実感が伴っていた。
だが僕は間違った。僕のせいでドギーは外に出て、死んでしまったのだ。
仲間達が出て行った理由はドギーのそれとは異なる。だが、僕が、父に提案して、直接の原因を作った。ほとんど脅して強要した。
彼らに災いが降りかかるとしたら、いやもうそうなっているかもしれないが、僕は同じ間違いを繰り返したことになる。最初は個である親友に対して、二度目は集団である仲間達に対して。
僕はとんでもないツミビトなのか?
このままではいられない。彼らのために何ができるだろう。僕は思い惑う。
とにかく、何をするにしても、前提となる体力は大急ぎで作っておく必要があった。今にも彼らが危機に瀕していると思うと、居ても立ってもいられないが、いきなり飛び出してサドンデスでは仕方がない。
僕は今までの倍食べるようになった。ノルマに上乗せして、自己流に編み出したトレーニングメニューを消化していった。
垂直跳びの記録は二倍になった。持久走の距離が伸びただけでなく、速く走れるようになった。バサロ泳法も上達した。
より高く、より速く、より強く、を僕はめざす。
来るべき旅と労働と戦闘に備えて。
父は、学習面での質疑応答の際以外には、ほとんど話さなくなった。
彼らはどこに行ったのかと訊いても知らないと答える。僕は今何ができるだろうかと訊いても自分で考えなさいと答える。
再び外へ出ようと企てている僕は、外についてのどんなわずかの知識でも手に入れたい。しかし、父は、今までの学習と経験を思いかえしなさい、と繰り返すだけだ。僕にきつく反省を強いているみたいだ。そうされる理由は大いにあるだろう。
僕は変わっていくが父も変わった。僕は父の気持ちが読み取れない。
父は彼らを自分の生徒達だと言っていた。
生徒達が父のもとを去ったことを悲しんでいるのだろうか。僕の要求を認めたことを悔いているのだろうか。生徒達と僕自身を天秤にかけさせた僕のことを批難しているのだろうか。憶測は果てしない。
こんなことじゃだめだ。何重もの不安定な要因にまみれたまま、出口のないノイローゼに陥ってはならない。
正確な現実を知り、何らかの働きかけをするために、僕はここを脱出するつもりだ。父には悪いが決心は固まっている。
ある時、眠っていた僕は、かすかな物音で眼を覚ました。
何かがこすれる音がする。
ベッドの上で体をひねって机の下を眼で探した。
奇怪なことには、ポテトチップスのかけらが垂直に立ち上がり、少しずつ移動していた。夢の中にまだ居るのかと疑った。
頭を振って気を取り直し、飛び起きて駆け寄った。
アリだ。シャッターが開いているので入ってきたのだ。
ポテトチップスと一緒に叩き潰した。
僕は、アリの辿ってきた道程を逆順に想像してみた。
渡り廊下、体育館、また渡り廊下、団地、大通り、干上がった川、暗渠、鉄格子、川原。
しかし、この想像が一箇所だけ間違っているのに気づく時が来た。

20)

まず音が聞こえた。
せわしなく床をこする。沈黙。またこする。沈黙。
床との接触による音だけではなく、そのもの自体の部分同士がこすれあう音程の高い音も混じる。音がひきつる。油が切れている。
僕は椅子に坐ったままゆっくりと首を右にめぐらせた。
視野の端に、二本の鞭が前後左右にゆれていた。
びっくりした。そこで何が起きているのか。大急ぎで考えた。
昆虫の触角だ。
恐るおそる床を見た。
その昆虫は、キーボードを縦横とも二倍にしたほどの大きさだった。
いやに平べったい。
威圧するツノもない、幻惑する色彩もない。一つの方向に向かう贅沢な進化の浪費がない。
必要最小限の機能に即した形態、大量生産にふさわしい始原的形態だ。
全身は黒褐色で、特に頭部と前胸部は黒くくすんでいる。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦