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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ルナティック・ハイ

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影踏み02 影武者


 この都市は闇を消し去ろうと、眩いまでの繁栄を極めていた。
 24年前の暑い夏の日、世界は変わった。
 黙示の戦いとも云える謎の〈聖戦〉による崩壊。そして、女帝による新たなる都市の創造。
 誰がこの世界で魔導が繁栄すると想像しただろうか?
 帝都エデンは科学と魔導が混在する街。
 魔導炉は原子力発電を凌駕し、都市のエネルギーを賄う。
 この都市が輝けるのはすべて魔導のおかげだった。
 しかし、どんなに輝こうとも、輝けば輝くほどに、闇はその深さを濃くしていく。
 都市の輝きは及ばぬ地域、それがスラム街である。
 スラム街の一区間は〈ホーム〉と呼ばれ、アンダーグラウンドな世界を築き上げている。
 人々の放つ猥雑な価値観が混沌と渦巻き、武器の密輸が平然と行われ、昼間から売春婦たち闊歩し、スラムの地下では新興宗教が密会し、可笑しな実験が四六時中行われているのだ。
 帝都エデンの繁栄の陰で、スラムの闇は濃さを増す。
 都市の電力パイプからエネルギーを失敬して、夜でもスラムは妖しい輝きを放っている。
 路地に立ち並ぶ仮設テントから微かな光が漏れ、左右に建つビルは廃ビル寸前だ。基本的にビルに住む人々のほうが、ここでは上層階級と言えるだろう。
 買い物帰りの瑠流斗は紙袋を抱えながら、スプレーアートに埋め尽くされたボロアパートに入っていった。
 エレベーターはいつから故障しているのかわからない。瑠流斗はエレベーターを素通りして、ゆっくりと階段を上がった。
 3階のフロアに出て、短い廊下を進む。
 廊下の左右にある玄関のナンバーが増えていく。
 歩き続ける瑠流斗の耳に、ヒステリックな金切り声が届いた。
「殺してやる殺してやる!」
 若い女の声だ。
 次の瞬間、ドアの向こうから銃声が聞こえた。
 あの部屋に住んでいたのは若い男だったと思う。女の出入りが激しく、瑠流斗が覚えている限りで十人以上の女が出入りしていた。
 銃声の聞こえた部屋のドアが開かれ、苦痛に顔をゆがませながら、腹から滴る血を押さえる男が這い出てきた。
「た、助けてくれ」
 涙目を浮かべる男の視線の先に立っていたのは瑠流斗だった。
 しかし、紅い尾を引いて床に這い蹲る男を見る瑠流斗の眼差しは、夏の夜風のように涼しげだった。
「すまないね、ボクの職業は人の命を救うことじゃないんだ」
 それだけを言い残して、瑠流斗は男の倒れるすぐ横で、自分の部屋のドアを開けて入って行った。
 そして、瑠流斗の背後でまた銃声が響き渡った。
 1発、2発、3発……。
 銃声は恨みの数だけ聞こえた。
「おかえりなさい瑠流斗様!」
 部屋に入ったとたん、弾んだ声が響き渡り、小柄な少女が笑顔で瑠流斗を出迎えた。
 少女は質素なドレスの裾を揺らしながら、眉を軽く上げた瑠流斗に飛びついた。
「隣の部屋で銃声が聞こえたけど、なにがあったんでしょうね?」
「男がついに撃たれたよ」
 淡々と語る瑠流斗の顔を透き通った大きな蒼い瞳が覗き込む。
「瑠流斗様は隣人が殺されても動揺ひとつしないんですね」
「このアパートは壁が薄いからね。これで騒音公害がひとつ減ったよ」
「平気な顔をしていつもそんなことを言う。瑠流斗様はいつも仮面を被っているの」
「それに比べて君は表情も感情も豊かだね」
「ありがと瑠流斗様!」
「――機械人形なのにね」
 そう、瑠流斗の目の前にいるのは人間ではなく、機械人形だったのだ。
「瑠流斗様、あれちゃんと買って来てくれました?」
 瑠流斗は紙袋の中から、20センチほどの円柱型の物体を取り出して、人形娘アリスに手渡した。
「機械人形のためのエネルギー炉。安物が品切れでね、最高級の物を買って来てしまったよ」
「あとで取り付けてくださいね」
「あとでね。ボクはこれから夕飯の支度をしなきゃいけないから、家事がなにひとつできない君の変わりに」
「ひっど〜い」
 機械人形の少女は人間のように顔を紅くして頬を膨らませた。
「人間らしい表情だね。そういう表情が組み込まれているということは、接待業か、メイドアンドロイドだと思うのだけれど、それにしては家事もできないなんて、やはり廃棄処分のためにこのスラムに捨てられたのだろうね」
「それを拾ってくれたのは瑠流斗様です」
「自分でもなぜ拾ったのか理解できないよ」
 それは雨の降る昼下がりだった。壁に持たれかかり座っていた小柄な少女。薄汚れたドレスが雨を十分に吸い込み、まるで捨てられた仔猫のようだった。
 瞬き一つしない蒼い瞳は、虚空を映していた。それが人間の眼でないことは、すぐにわかった。
 そして、気づくと瑠流斗は自分の家に、泥だらけのアリスを運び入れていたのだ。
 なぜ拾ってしまったのか、本人の瑠流斗ですら理由がわからない。
 そう言えば、前にも捨てられた猫を拾ったことがあったような気がする。
 瑠流斗は過去を回想しながら、ぼんやりと遅い夕食を済ませた。すでに時計は深夜3時過ぎを示している。
 皿洗いをする瑠流斗の横で、椅子にちょこんと座り、床に届かない脚をバタつかせるアリス。その姿はまるで本物の少女のようだ。
「瑠流斗様、早くバッテリーの交換してくださいよ」
「君が皿洗いを手伝えば、早く替えてあげられるよ」
「だって瑠流斗様が洗い物をするなって言ったんだもん」
「そうだったかな」
 そうだったような気がする。料理を任せれば味付けに消火器の粉を振りまけ、皿洗いを任せれば豪快な音楽を奏でてくれた。それ以来、瑠流斗はアリスに家事をやらせていない。
 皿洗いを終えた瑠流斗はアリスを寝室に招き入れた。
「上半身裸になって、ベッドに横たわってくれるかな?」
 と言われた人形娘アリスは顔をほのかに赤らめた。
「恥ずかしいです」
「思考停止状態の君に、ボクがなにか変な真似をすると思っているのかい?」
「瑠流斗様はわたくしにとってご主人様ですけど、瑠流斗様は仮にも男性だし……」
「たしかに機械人形の所有者の中には、性欲を満たすために人形を使う者いるだろうね。でもね、ボクは君のことをただの人形としか見ていないよ。君は女性じゃない、人形さ」
 アリスは少し哀しそうな顔をしてから、瑠流斗に背中を向けてから上着を脱ぎはじめた。
 陶器のような白い背中を露にした少女の模造品は、小さな胸元を両手で隠しながらベッドにうつ伏せになった。
 瑠流斗の繊手が背中に伸びた。
 微かに震え、陶器のような肌に赤味が差す。
 指でやさしく背中をなぞり、瑠流斗は囁くように呟いた。
「ここだね」
「そこです」
 人の肌と寸分変わらぬその下に、微かに硬いボタンのようなモノを感じた。
「しばらくの間、おやすみ」
 そこでアリスの思考回路は停止した。
 目に見えないほど細い切れ目が開かれ、機械人形の背中は見た目とはアンバランスな機械の部分をあらわにした。
 中に入っていた20センチほどの筒を取り出した瑠流斗は、それに刻まれた年号とエネルギー残量メーターに目をやった。
「ふむ、たった1ヶ月でエネルギー残量がゼロに近い。ボクが買ってきたバッテリーと同じ商品なのにも関わらず」