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リミット

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 この店の常連に、ポスターの女の子がいることを知ったのは、この店の常連になって一か月後のことだった。この店の常連になった時、ポスターの女の子のことが一番気になっていた時期だったというのも、何かの暗示に思えるくらいだった。もし、この暗示がなければ、この娘のことを、ここまで気に掛けなかったかも知れない。
 今までなら、別にタイプというわけでもない女の子だったので、もし、ここで会話になったとしても、それ以上気に掛けることはなかったに違いない。それなのに、ここまで気になったということは、ポスターを見た時感じた感覚が間違いではなかったという証明と、さらに、自分が暗示にかかりやすいという、さらなる暗示を二重に自分に掛けたことで生まれた感情だった。
 彼女はお忍びとまでは行かないが、サングラスにズボンといった、ポスターからは想像できないような雰囲気を醸し出している。幸一も、
「彼女、ほら、よく街に貼ってあるポスターがあるでしょう?」
 と、マスターから教えられなければ、まず分からなかっただろう。ポスターの彼女は、完全な正面からというよりも、若干右下の方から軽く見上げるような視線が、何かモノ欲しそうな不安に見える表情を醸し出すことで、男性の心をドキッとさせる効力を持っているようである。
 幸一は、それを彼女の魅力だと思いながらも、どこか嵌ってはいけない穴がそこにあるように思えた。一度嵌れば抜け出すことのできないアリ地獄のような穴だ。
 だが、ポスターを何度も見ているうちに、それが自分の思い過ごしであることに気付いた。思い過ごしというよりも、思いこみに近い。あまりにもポスターとして嵌りすぎていることで、自分にとっての高嶺の花を飛び越したような錯覚に陥ったからだ。思いこみというのは、ポスターの中の彼女が、自分を引き寄せている力を持っていて、魅力が魔力に変わってしまった感覚が襲ってきたからだ。
 最初にポスターを見た時よりも、回数を重ねるごとに、ポスターの中で彼女の占める割合が、次第に大きくなってくるかのようだった。それも顔が大きく感じられるようになったからで、全体的にはさほど変わっていないのかも知れない。それでも、顔がすぐそばにあるように感じると、ポスターの彼女と目が合った時、しばし目を背けることができなくなった。ポスターを見つけると、どうしても目に視線が行ってしまう。人間なら簡単に目を背けることができるのに、どうしてポスターなら無理なのか、幸一は不思議に感じていた。
 ポスターの彼女のイメージが強すぎるために、サングラスやズボンなどで変装した彼女は、なるべくなら見たくはなかった。イメージを壊してくれたマスターに思わず嫌みを言いたくなったくらいで、それを堪えていると、お忍びで店にやってきた彼女のソワソワした態度は、本当に別人のようだった。
 ポスターの彼女は、凛々しく、まわりを気にするなど、ありえないという雰囲気を持っていた。それなのに、
――どうして、そんな夢を壊すようなことをするんだ――
 もし、これが他のポスター、たとえば人気アイドルを使ったポスターで、彼女がお忍びで来ていたとしても、腹は立たない。
――人気アイドルなんだから仕方ない――
 と思うからで、
――差別なんだ――
 と思いながらも彼女に対して余計な思い込みを持っている幸一は、自分が失礼なことをしていることは自覚していた。
 だが、アイドルではない普通の女の子が、ポスターに起用されることに偏見があるわけではないが、アイドルにはない何かを持っていてほしいと思っている。
「彼女、名前を理美ちゃんといいます。仲良くしてあげてください」
 と、マスターが紹介してくれると、
「理美です。よろしくね」
 サングラスを取って、笑顔で彼女は握手を求めてきた。まるでアイドルの握手会にでも行ったような錯覚に一瞬だが陥ってしまった自分が恥かしかった。思わず、ズボンの生地の上で、手を拭いてしまうという、初めてミーハーが追っかけアイドルの握手会に参加したみたいな気分だったのだ。
 ポスターで見た時は大人し目の女の子だというイメージしかなかったが、実際に生で見ていると、笑顔が絶えない普通の女の子だ。どちらかというと、こっちの方がタイプなので、ポスターの女の子という意識は次第に薄れてきて、親近感が湧いてくるのを感じた。
 理美も幸一のそんな気持ちが分かったのか、絶えず楽しそうな表情になっていて、
――本当に、あのポスターの女の子と同一人物なんだろうか?
 と感じるほどだった、
 確かに顔のパーツを一つ一つ思い出してみると、同一人物のようだった。特徴は少し厚めの唇にあった。サングラスをしていても、マスクをしていなければ、分かる人には分かるかも知れないと思ったほどだ。
「私、今度引退するのよ」
 と、会話の中でぽつりと理美が呟いた。
 幸一は、理美が自分の仕事に誇りを持っているだろうと思い、なるべく会話の話題を彼女のモデルとしての仕事に持って行こうとしていたのだが、彼女の意外な言葉に、少なからずのショックを感じていた。
「えっ、そうなんだね」
 ショックを受けたが、それに対して、どう答えていいのか分からなかった。
 ただ、今度はそのことに触れてはいけないと思い、また何を話していいのか、悩んでしまう結果になってしまった。
 理美は、自分からいろいろなことを話そうとするタイプではない。聞かれたことに対して、二言三言返すくらいだ。声のトーンは非常に高く、印象に残りやすい。幸一も理美の声を聞いて、心地よい暖かさに感じられるのが嬉しかった。
 目を瞑って理美の声を聞いていると、感じられるのは、今正面にいる理美の顔だけだった。最初笑顔が絶えない普通の女の子だと思ったのだが、話が進むにつれて、次第に表情が暗くなってくるのを見ると、よほど自分の話題がつまらないからなのか、それとも、本当に彼女は明るさとは無縁な性格なのかのどちらかに思えて仕方がなかった。
 ポスターの彼女の顔が思い出された。今、少し暗くなりかかっている顔とは、それでも少し違っている。
――彼女は一体いくつの顔を持っているんだろう?
 というのが、幸一の思いだったが、
――そのうち、どれが一番の彼女の魅力なんだろう?
 と思うようになった。だが、彼女に関して言えば、魅力に感じられるのは一つだけとは限らない。それだけ多彩な表情を持っているように思えた。
「理美ちゃんは、お付き合いしている人や、彼氏と呼べる人はいるのかい?」
 今までの幸一なら、理美のようなタイプの女性に、いきなりこんなことを聞くなど、今までに考えられないことだった。
「前はいたんですけど、今はいない」
 理美はそう言って、少し俯き加減になっていた。
「ごめんね。変なこと聞いちゃったかな?」
 と言って、理美の顔を覗きこむと、理美はそれを察したかのように、すぐに顔を上げると、
「幸一さんは、どんな女性がお好みなんですか?」
 と聞いてきた。
「そうだなぁ、落ち着いた感じの人なんかいいんじゃないかな?」
 と、思いに耽りながら答えた。
「そっか、だから、お母さんなんだ」
「えっ、何か言った?」
「あ、いえ、何も」
 小さな声で呟いたが、
作品名:リミット 作家名:森本晃次