機械人形アリス零式
と呟き、セーフィエルは顔を上げてマナを見据えて言葉を続ける。
「貴女のところにアリスを?預けて?いたのは、わたくしのところよりは安全であると考えていたのだけれど……」
「あらぁん、今まであたしはアリスちゃんのお守りをさせられていたわけぇん?」
「お守りをしていたのはアリスのほうでしょう。プロトタイプとはいえ、?アリス?の心を受け継いでいる人形を……そうね、敵を皆殺しにしてでも奪い返さなくては……」
夜風が渦巻くように吹いた。それは荒野に吹く風。
マナは身を強張らせた。いつものセーフィエルと?何か?違うと感じた。
そーっとベッドの下に身を隠そうとするマナに、静かな水面のようなセーフィエルの瞳が向けられた。
「さようならマナ」
まるで冷たい死の宣告のようであった。
しかし、マナは九死に一生を得たようで、セーフィエルは水面に落とした墨汁のよう揺れ動き、やがてその姿を完全に消失されてしまった。
残されたマナは額の汗を拭った。
「ウチのセキュリティーをもっと万全にしなきゃいけないわぇん」
一晩に2回も進入を許すとは、たとえ侵入者が類い希なる存在であっても許されない。
すでにマナの頭の中はアリスのことより、新たなセキュリティー対策でいっぱいだった。別にアリスのことをおろそかにしているわけではない。黒猫にできる領分をわきまえ、類い希なる存在たるセーフィエルに全てを託したのだ。
闇夜に潜む陰になりながら、セーフィエルは世界に溶けて移動した。
誘拐犯はわざとらしく痕跡を残している。熟れて甘く魅惑的な匂いが残っている。甘いというのは比喩に過ぎず、それは溺れるほどに官能的な生と死、あらゆる欲の薫り。
それは〈闇〉の放つ腐臭ともいうべきもの。
たとえどんなに魅惑的であっても、人が手を伸ばしてはいけない禁断の罠。
この薫りを道しるべのように残しているのは、それこそが罠。
やがて痕跡は学校の校庭へ導いた。
夜の学校は昼間とは打って変わって静かなものだ。
ここで痕跡は途絶えた。
校庭にはボール1つもなく、人の気配もない。では、敵は校舎で待ち受けているのか?
――否。
セーフィエルは見えない壁にそっと触れた。結界だ。
見えない壁は外部からの侵入者は拒む。
だが、おそらく敵の予想していることだろう。
セーフィエルの指先が見えない壁を通り越し、こちら側からはまるで指先が消失したように見える。そのままセーフィエルは内部へと進入した。
内部に進入すると見えなかったモノが姿を現す。
校庭の真ん中に立つ長身の男。その肩には鴉。
「わざわざこんなところまでご足労でした」
恭しく彪彦は頭を下げた。その傍らにはウッドチェアに座らされたアリスの姿。項垂れたその姿は未だに機能が停止しているらしい。
セーフィエルは足音も立てず彪彦に近づいた。ただし、一定の距離を開けた。およそ5メートル。
「D∴C∴の残党が、なぜこんなことをしたのかしら?」
「残党とは言葉違いです。まだ我々は解体もしておりませんよ」
「つまり求心力を失った今、それを取り戻す工作をしていると理解してよろしいかしら?」
「やはり貴女だと話が早くて助かります。もう察しがついていると思いますが、あのお方とのリンクが断たれ我々は窮地に陥っています。初めのうちはその事を隠して組織を動かして来ましたが、やはりそれには限界がありました。そして、もっとも問題なのは第二団[セカンドオーダー]が不老でなくなったことです。この特権を得るために活動している団員も少なくありません。不老でなくなった者たちは今や大あわて、その様を見ていると笑えるものがありますよ」
丸いサングラスの下で薄ら笑いを浮かべた。
魔導結社D∴C∴の本質を知るものは少ない。一般人から見れば、ただのテロ集団と見なされるだろう。しかし、その実体はもっと強大なモノのために動いている。
彪彦からの話を要約すると、現在D∴C∴は?あの方?と連絡、ないしは供給される?チカラ?のようなモノを断たれていると考えられる。そして、そのことによりセカンドオーダーに所属する者たちが不老でなくなってしまった。
「わたくしは貴女も知っているとおり、すでに不老の存在ですから、目的は純粋なあの方への忠義で動いているんですよ。あの封印を解くことは貴女でもできないことを知っています。が、再びリンクを繋ぐ方法くらいは知っているのではないかと思いましてね」
「アリスと引き替えに、それをしろと言うのね。そう、過去のわたくしは〈闇の子〉の封印を解くことも目的のために辞さないと考えていたわ。けれど今は理由がない」
「交渉決裂ですか……本当は人質をこの人形娘ではなく、解き放たれた貴女の娘にしたかったのですが、どうしても居場所が掴めなくて。帝都政府も見つけられないくらいですしね」
「どちらにしても交渉は不可ね。交渉などせずとも、わたくしは人質を取り返す」
セーフィエルの次の行動は彪彦にも読めた。人質の奪回。そのために、直接アリスに向かうか、それとも彪彦を葬るか。
鴉が上空へ逃げ、彪彦はアリスに手を掛けようとした。
だが、セーフィエルの扇から放たれた風が彪彦の躰を引き千切った。まるで彪彦の躰は霧のように、風によって掻き飛ばされたのだ。
地面に迸って散らばった泥のような物質。人間の残骸とは決して思えない。
セーフィエルはアリスを抱きかかえ、すぐに上空を見上げた。
「まだやるつもり……彪彦?」
呼びかけられたのは鴉。
「さすがは貴女だ。一撃でわたくしの人形を破壊するとは……やはり、わたくしをよく知る貴女では分が悪い」
その声は彪彦のものだった。そう、こちらの鴉こそが彪彦の本体なのだ。
分が悪いことを知っていて策もなしに挑むことはしないだろう。
「いつ貴女に気づかれるか怯えていましたが、まだ気づきませんか?」
「この結界内部から外の様子がまったく伺えないことに何か関係があるかしら?」
見えない壁の向こう側。学校の校舎やフェンスの向こうの道路。一見して不審な光景はない。だが、長くその光景を見続けていればいつか気づくだろう。
景色がまったく動かないのだ。
「気づかれておりましたか、すでにこの場所は包囲されています」
彪彦の言葉が終わると同時に、結界が音もなく解かれた。
多勢に無勢。セーフィエル相手に何十人ものD∴C∴団員が待ち構えていた。
生け捕りは殺害よりも困難だ。相手がセーフィエルならば尚のこと。
東洋龍のような形をした金属のアームがセーフィエルに襲いかかった。さらに背後からはヨーヨー、地面からは幾本もの怨霊の手が伸びた。
アリスを抱いた状態では、セーフィエルの技に制限がある。一人であれば敵の攻撃など難なく回避や無効化できるだろう。
セーフィエルはアリスを抱きかかえたまま上空に飛翔した。
しかし、金属アームが生き物のようにしつこく上空まで追ってくる。
さらに〈輝く矢〉の乱れうちと、セーフィエルの頭上に落ちてくる稲妻。
天空にセーフィエルは手を掲げたかと思うと、その手を振り下ろした。
刹那、稲妻の進路が急激に変化して、金属アームに直撃した。
「あががっががっ!!」
作品名:機械人形アリス零式 作家名:秋月あきら(秋月瑛)