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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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機械人形アリス零式

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荒波の旋律02


 男がシャワーを浴びて出ると、白いガウンと着替えの両方が置いてあった。男は着替えに手を伸ばし、スラックスを履いてシャツに着替え、最後にジャケットを羽織った。その姿は青年実業家に見える。
 着替えを済ませた男に、アリスは買い物のおつりを手渡そうとしたが、男はそれをにこやかに拒否した。
「チップとして受け取ってもらいたい」
「ありがとうございます」
 数千円の残りをアリスは快く受け取った。
 男が部屋の掛け時計を見ると、時間はまだ夕方の5時前だった。
「まだディナーには早いけれど、僕はお腹が空いてしまってなにか食べたいと思うんだ」
「10メートル以内に中華料理店と松屋、もう少し行ったところにコンビニがございました」
「よく覚えているね。とりあえず外に出てなにか探そう」
 軽やかに部屋の外に出て行こうとする男をアリスが呼び止める。
「お待ちください」
「なんだい?」
 振り返る男にアリスはコートを渡した。
「夜になるといっそう冷えます」
「コートも買ってよくあれだけおつりが出たものだ」
「安物で揃えましてございます」
「あはは、ちょっと僕がシャワーを浴びている間にさすがだね」
「いえいえ」
 謙遜するアリスの仕草は、人間のそれだ。
 コートに袖を通し、男はアリスと共にホテルを出た。
 街中を歩く二人は自然と人々の目を引いた。機械人形の少女を連れていることが最も大きな要因だ。
 アリスの機械人形としての出来は一級品であり、人間と見間違うほどであるが、作られたものゆえの端整さが人間でないと物語っている。工業用以外の機械人形自体が一般にあまり出回っていないこともあるが、これほどまでの機械人形を街中で連れまわす人間はまずいない。
 それもメイド服を着た少女の機械人形だ。
 若い男性が連れていたら、変な目で見られても文句は言えない。
 ずぶ濡れのタキシードを着ていたときよりはマシだが、人々の視線を引いても男は少しも気にしていないようだった。アリスもまったく周りの目など気にせず、男の後をついて歩く。
 この時期の街はいつも以上の喧噪に包まれていた。
 立ち木はイルミネーションで彩られ、もう少し時間が経てば一斉に輝きだす。
 耳を澄ませばどこからか聴こえてくるクリスマスソング。
 繁華街は若いカップルが多く目に付く。
 男はアリスに日付を尋ねる。
「今日は何日かい?」
「12月24日でございます」
 今日はクリスマス・イヴだったのだ。
「なるほど、クリスマス・イヴか……」
「クリスマス・イヴになにか?」
「なにか頭に引っかかるんだ……なにかクリスマスにあったような気がする」
 アリスには心当たりがあった。D∴C∴にとってもクリスマスは神聖な日なのだ。だが、アリスはそれを口にすることはなかった。
 しばらく二人で歩き続け、男はイタリアンレストランの前で足を止めた。店内から音楽が聞こえてくるのだ。ピアノの調べが聴こえてくる。
 男は誘われるように店内に足を運んだ。
 まだディナータイムには早く、店は若干の空席があった。男は迷わずこの店で食事を取ることに決めた。
 店内に響き渡るピアノの調べは、ドレス姿の女性奏者による生演奏だった。曲目はクリスマスソングのジャズアレンジ。
 席についた男はアリスを前に座らせ、注文をすぐに済ませてピアノの調べに耳を傾けた。
「ピアノの音色を聴くと、なぜだか心がとても躍るよ」
 男は楽しそうにアリスに話しかけた。
「もしかしたら、僕はピアノ奏者だったのかもしれないよ」
 笑って語る男にアリスは無感情の顔で応じた。
「だと宜しいのですが、貴方様は本当に記憶を取り戻してご自分の正体を知りたいと思いますか?」
「……もしかして、僕の正体についてなにか手がかりを得たのかい?」
「ええ、お聞きになりたければ、いつでもお話いたします」
 妙にもったいぶった言い方だった。気づいたなら『聞きたければ』など言わずにすぐに話してくれればいい。男はアリスの物言いに疑問を抱かずにいられなかった。
「記憶を取り戻したいに決まっているじゃないか。自分の正体がわかればすぐにでも記憶を取り戻すかもしれない」
「……D∴C∴。なにか聞き覚えは?」
「う〜ん、わからないな」
 男は口を曲げながら難しい顔をしてしまった。
「貴方様はD∴C∴の一員だと思われます」
「そのD∴C∴というのが、僕にはなんのことだかさっぱりだよ」
「D∴C∴は魔導結社の名前でございます。帝都政府からはテロリストと認定され、幹部には多額の懸賞金が賭けられております」
「僕がテロリストの仲間?」
 男は自分の正体に半信半疑のようだ。
「少なくとも、普通の方とは違うというのがわたくしの見解でございます」
「どのあたりが?」
「寒さという感覚をまったく感じていないように思われます」
「そうかな、外よりもここの方が温度が高いことくらいはわかるよ?」
「感じていないのではなく、おそらく耐久性を備えているのではないかと思われます」
 それは男を海から引き上げて砂浜に運んだときから気づいていたことだった。
 極寒の冬の海から引き上げられたはずの男は、健康そうなピンク色の肌をしていたのだ。それに加え、意識を取り戻したあともずぶ濡れのタキシードを着ているのも関わらず、寒さに震えることもなく平然としており、寒いのひとことも言わなかった。
 男はアリスの指摘に少し考え込み、口を開いた。
「なぜ僕がD∴C∴だと?」
「お背中にD∴C∴の刺青がございました」
「D∴C∴のファンかもしれないよ」
「だと宜しいのですが」
 無感情のアリスの顔に少し暗い影が差した。そんなアリスの頬っぺたを男は軽く指先で突付いた。
「せっかくのクリスマス・イヴなのだから、明るい顔をしようじゃないか」
「申し訳ございません」
 アリスは謝りながら微笑んだ。男も微笑み返した。
「表情を作る技術はさほど難しいことではないけれど、アリス君の場合はそれが少し違う。ただの表情ではなく、気持ちがこもっているような気がするんだ」
「わたくしはただの機械人形でございます」
「そうだね、見た目は機械人形だ。でもね僕は君は人間の魂を持っているのではないかと思っている」
 テロリストと言われた男よりも、アリスの方がよっぽど疑問に満ちた表情をしていた。
「わたくしは魔導士の手によって創られたキリングドールでございます」
「やはり魔導士が……。科学の分野では、脳の情報を吸いだしてアンドロイドにインストールする技術実験が進められているけど、まったく上手くいっていないらしい。けれど魔導の分野では魂を他のモノに乗り移させることを古くからしている」
「わたくしがそれだと?」
「さあ、人為的に成功したという事例はデマでしか聞いたことがないね。もし君が成功例なら君と君を創った魔導士に大変な興味があるよ」
 アリスの創造主は今の主人マナではなく、夜魔の魔女セーフィエル。キリングドールアリスはセーフィエルの手にとって創られたのだ。
 男の話を聞き、アリスは確信を強めていた。
「D∴C∴は魔導結社でございますゆえ、貴方様が魔導に深く興味がおありなのも頷けます」
「僕としてはピアニスト説は捨てていないけれどね」
 男は笑って言った。