短編集39(過去作品)
それは昭雄が思い出させてくれたのだ。
それにしても、よくそれが告白の前に日であったと思い出せたものだ。そちらの方が不思議で仕方がない。
「僕は鏡をあまり見ることはないんだけど、ある日を境によく見るようになったんだよ」
「それっていつからなの?」
「馴染みの喫茶店で「シオン」という店があるんだけど、そこで鏡を見てからだね」
昭雄は同僚から聞かされた話をした。
「不思議な話ね」
と言いながら、自分にも同じような思いがあったことを思い出していた。後ろ姿を見てそれが自分だと思ったことや、前からの姿でも、そっくりなのだが、本当に自分なのか不思議に思うという感覚がリアルに思い出せるのである。
毎日鏡を見ないと気がすまなくなったのは、二人がお互いにその話をしてからだ。鏡の中にいる自分が本当に自分なのかという疑問、そしてこちらを覗いている人の存在を感じながら見ているのだ。昭雄が覗く鏡には千春が、千春が覗く鏡には昭雄が、それぞれ意識しながら鏡を通して見つめている。
相手にもそれが分かっている。ニコヤカに微笑むと相手も微笑む。鏡を通しての実に不思議な距離だ。
――遠いようで近い。近いようで遠い距離――
まさしくそうなのだ。
恋愛というのもそうではないだろうか。恋愛に限らず広い意味での人間関係もすべてそうだ。ただ、相手の存在に気付いているかいないかである。
実際お互いにおぼろげながら気付いていて、意識をした時に初めて鏡の向こうに存在を感じることができる。気付くか気付かないかなのだ。
鏡というものは、自分の左右対称の姿、そして後ろにあるもののすべてを忠実に左右対称の姿として浮かび上がらせるだけのものではないようだ。それに気付いた二人は、鏡に魅せられたといっても過言ではないだろう。
鏡が写し出す姿。それは、「姿」ではなく、「素型」ではないだろうか。鏡に写ったお互いの顔が、そう言っているように思えてならない二人だった……。
( 完 )
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次