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少年A++(プラプラ)

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 僕のような、と言うか?あの頃の日本は殆ど貧乏人で埋め尽くされていて、その中で生きていく子供の知恵と言うのは特筆すべきことなのかもしれない。カソリックの孤児院のクリスマスの行事が羨ましくて、いっそ孤児の方が幸せかもしれないと思っていた程だ。其処へ行けば、珍しいものが手に入るという情報は当然のように、僕にも迷い込んでいたのだ。僕は同級生の孤児の子に紛れて愛育児童園と名前の記憶が定かでない孤児院へ潜入し、その同級生の子に『悪者ではない』と必死にシスターに説得してもらい助けて貰った記憶がある。大事(おおごと)にならずに済んで、僕はその子を一生の恩人だと思ったくらいだ。
僕は歴史学者や歴史好きのおじさんではないので、その辺の正しい知識は『他』の誰かを当たってみて欲しい。ただし、関わった全員の口が重く、並大抵の覚悟が無ければ聞き出せないので注意して置いて欲しい。
『常識』と言う名の『社会的陰謀』が大人の口を閉ざしてしまう事を身をもって体験するのも〈君〉?の人生にとって何かの役に立つかもしれない。
僕は、とにかく『毛頭』という老婆の言葉だけに違和感を持っていたのだ。
老婆は何時終わるかも解らない話を突然辞めてしまった。老婆の家の主婦と思われる六十歳ぐらいの女の人が珍しそうな顔をして、そっと近づいて来たのだった。
「あらあ、良い子ねえ、大きいおばあちゃんの話し相手をしてくれているの?偉いわねぇ。何処の子?。」
老婆はあんたには関係ないというような表情をし、その女の人を睨み付けたのだ。
「あんたには関係ないでしょ!大丈夫なんだから!きっと近くの子だよ。この子は何処の子か解らないけれど、見たことは何度もあるんだよ。庭に迷い込んだから『おじゃみ』を教えていただけだよ。」
女の人は小さく『そうなの?』と呟き家の奥の方へ去っていった。老婆と会話をするのを出来るだけ避けているようだった。僕の出所は気にならなかったのだろうか、良く解らなかった。
「おまえさん♪おまえさん♪早く帰ってねんねしな♪…………。」
老婆は不気味な『おじゃみ唄』を声を大きくして家中に響くように歌いだした。一家の全ての家族に自分の存在をアピールしているようだった。
歌声の大きさに流石の僕もまいってしまい、その場を立ち去りたくなっていた。この家の何かの秘密を知ってしまったような気もしないことはなかったのだ。
で、『あんやと!』と、金沢弁で礼を言ってその場を走って抜け出した。
その後、その周辺をうろついたが、似たようなお屋敷が多く、老婆の家には到達出来なかった。お礼を持って行きなさいと僕の祖母が言ったから探したのだ。でも、子供の方向感覚はいい加減なもので、どの家やら解らなくなってしまっていたのだ。
まるでカフカだね。
で、僕は、
「お礼をして来たよ。」
と、嘘を言い、祖母が持たしてくれた御礼の『小出(こいで)の芝(しば)舟(ぶね)』(森八と並ぶ老舗のお菓子)を喰ってしまったのである。〈無かったことにする〉世過ぎをその時に覚えたのかもしれない。『小出の芝舟』は量が多すぎて、煎餅の上に塗られた生姜が確実に僕の口を攻撃していたから記憶が鮮明なのだ。
僕は今にして思えば、もう一度『おじゃみ唄』を聴きながら、老婆の話を大人の耳でじっくりと聞きたいと思う。果して、不気味に聞こえるかどうか?試してみたいのである。
これ以外の僕の小学校へ入る直前の話は一般的なのかもしれないし、他人に話してもあまり面白くないと思う。
ただ、ひとつ書くとすると、野町の善隣館という保育園で描かされた絵の気持ち悪さが指に残って、何時までも忘れられない。今でも忘れられないのだ。真っ黒な塗料が画板一面に塗ってあり、それを指先で落として地肌の白で描くという考えられないお茶目なアイデアが広まっていたのだ。今でもあるらしいのだ。僕はただただ気持ち悪くて泣き出したくらいだった。何故?トラウマになるような教育が存在するのか?今でも少し疑問だ。素手で芋ほり?ノーだ。泥の池にダイビング?冗談ではないのだ。自分の身体に汚いものが憑依するのを嫌がる性格もこの世にはあるのだ。児童を床に座らせるのも、トイレへ入った後の足の裏の痕跡があるに決まっている床に座らされるのだ。不衛生とは考えないのだろうか?最近の学校でもやらされているのを見ると、日本が後進国に思えてしまう。僕の子供には、お尻にはそれ用にハンカチを持たせるから、それを敷いて座りなさいと教えて置いてあった。
僕は、典型的な悪餓鬼という程の事もなく、ほとんど問題もなく?小学校へ入学出来たのである。
お陰さまでね。
まあ、貧乏だったけど、というのは皆がはだしで廊下を駆け巡っていた時代だから、書かなくても想像は出来ると思う。
〈君〉?程の知性があるならばね。
小学校へ入学してからは、『置いて行かれ病』は完治したかに思えたが、別の恐怖の卍(まんじ)固めが待っていた。
それは僕の近所に住んでいる姉の同級生たちが運動神経音痴の僕をリヤカーに乗せて遊んであげるという、大人的な、それらしい理由を付けて連れ廻したことだ。やたらと尤もらしい常識的な大人のような理屈を付けていたけれど、笑いながら僕が怖がるのを楽しんでいたのに間違いはないだろう。
有松(ありまつ)辺りの急な坂を駆け上がり、坂の上から手を離し、坂の下の草むらへ僕がリヤカーから投げ出されるのが楽しかったのかもしれない。当時。有松の坂の下には草むら以外なにもなかった。カエルの沢山いる田んぼを見付けて来て、リヤカーごとなんの経緯か記憶に無いが、カエルが大嫌いになった僕を落とし、汚れを落すのに消火栓のホースで勢い良く水を浴びせかけ、ついでに蛙をポンポンと僕の周りで水圧で潰したのだ。カエルのポンポン潰れる音は、想像を絶するものだ。それからリヤカーを思い切り走らせて、泣いている僕を乾かしていったのである。寒いと思う暇よりも怖さの方が全身を占領するものだった。
それだけなら、許せそうな気がする人は残酷だ。
それだけで済んでいる訳はないのだ。リヤカーに乗せた僕を町外れの思い切り遠くの朽ち果てかけた神社の隅に置き去りにし、隠れて、僕が心細くて泣き出すのを望遠鏡で観察していたのだ。しかもその望遠鏡は僕が祖父から譲って貰ったものを強引に取り上げたものだった。祖父の望遠鏡は日本海軍のもので、勲章のように授けられた僕だけの誇りだったのだ。
その神社は『出る』という噂のある神社で、偽者の傷痍軍人が密かに集まり街頭で募金活動をして集めた分け前の取り合いをして、殺人事件が起った経緯があるのだ。また、旅館などにしけこむお金もない恋人同士がじゃれ合う不遜な夜は汚らしい場所だとも噂されていた。そういう恋人たちが『出る』という話を広めたのかも知れない。神社はお寺のように死んだ人の魂をあの世へ送る場所ではなく、思い切り怖い場所として子供達が当時は認識していたのだ。
お寺は比較的人間的な霊魂がやって来る場所で、神社は一度結界(けっかい)を破ったら、神々が何をするか解らない場所として子供達は認識していたのだ。『怖さ』の質が違っていたことを現在の子供達に教える術はないのだろうか?とにかく、怖かった。異様に。