小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

少年A++(プラプラ)

INDEX|2ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

カムイ外伝の『抜け忍』(注記)という雰囲気が正解に近いのかもしれないが、鍛え上げられた戦う技も肉体も無く、追う組織者も居ない、そんな軟弱な『抜け忍』を想起すると解り易いかもしれない。
注記:漫画好きの人ならすぐに理解する。「ガロ」という雑誌に連載された「カムイ伝」の仲間の桎梏(しっこく)から逃げ出し、掟のために仲間から追われ続ける戦闘部分だけを続編のように描いた「カムイ外伝」という作品の中に出てくる。かなりヲタクの青年になる前の子供は好んで読んだ。大学生の特権だったかのように言うのは間違いだ。
余計に解り難いって?それは、〈君〉?の年齢に責任があるのだと、解り難かったら、諦めて欲しい。
 何時ものように、皆から置いて行かれ、泣きながらトボトボと路地の塀の上の猫をのんびりとした自由であるかのように羨ましく思い、野町駅の近くの祖母の家へ歩いていた。
たしか、寺町の中原中也が遊んだらしい松月寺の大きな桜の木の下で集まっていた記憶がある。余計な補足かもしれないが中原中也は金沢の北陸幼稚園を出ているのだ。当時の子供たちの行動範囲は、今のような交通事情が存在せず、かなり広かったのだけは確実に覚えている。
野町駅の山側、弥生小学校の裏手に差し掛かると、不思議なかなり古い大きな家があり、裏庭の木戸が開いていた。江戸時代に建てられたと思われる屋敷で、また、その話を書くと、どこかで一悶着ありそうだから、詳しい話は脇に置いて置くとしよう。
とにかくそういう家があったのだ。
 僕は蓮華の花びらを千切(ちぎ)りながら、一枚一枚の花びらに僕を置いて去っていった子らを重ねて『恨み言』をぶつぶつ口ずさんで風に飛ばしていた。
 なんて書くと少しは詩的になるのかな。まあ、少しだけ『詩的』な方がいいのかもしれないけれど、小説は一遍を読み終えるとその読み終わった達成感とか脱力感の中から自分で『詩的空間』を作り上げ、百人居たら、百個の詩的な幻想が形成されるべき存在なのだろう。
文学の評論家ではないので、そんな事は僕の知り得ないことにして置こう。くれぐれも僕の守備範囲ではないのだ。
 僕は何を盗もうと思った訳でもなく、その不思議な家の木戸を潜っていた。意味などあろう筈もなく、足が自然に向いてしまったのだ。そんなことは少年には良くある事だ。大した問題ではないだろう。
 それは物語を予感させるような行為に違いなく、他の人からみたら、ただの悪餓鬼の悪戯に見えたのかもしれない。あるいは迷子と見えたのかもしれない。
 木戸を通り過ぎると綺麗に整備された庭園というのに相応しい庭が拡がっていた。子供の視線からは緑が眩いばかりに迫り、灯篭なんかがあると幻想的に見えるのは当たり前だった。僕はその美しさに珍しく感動していた。『珍しく感動』?珍しくと言うのは解りにくいだろうが、感動が少なかったという意味で、まあ、そういう風に感じる少年だった、ということもこの話の筋から寂しい少年を連想するのは悪くはないだろう。
 「おまえさん、おまえさん、首を洗って待っときな♪そのうちヲラもそっちへ行くよ♪首は綺麗に拭いてくれ♪そんならヲラも化粧して♪つま先立てて、添い寝する♪おまえさん、おまえさん♪早く帰ってねんねしな♪」
 不気味な歌が庭の奥から聞こえてきた。
 当然、僕は背中から押される得体の知れない冷たい雰囲気も味わっていたけれど、歌声に釣られて庭をどんどん進んでいった。怖いもの観たさは、幽霊屋敷に好んで行くハロウィン好きの若者と同じ理屈かも知れない。途中の素人がしたような中途半端な並べ方をしてあった庭石の抵抗を物ともせずに。
 庭の奥には屋敷の濡縁があり、その隅で一人の腰の曲がった小さい老婆が歌っていたのだ。老婆は現在のようにナンバー制度や戸籍のデジタル化も無かった昭和三十年の頃だから、記録ははっきりしないのだろうが、軽く九十歳を超えていると思われた。もしかしたら百歳近かったのだろうか。調べる必要などある理由もなく、調べようもないので、あまり定かではない。
 とにかく、老婆の不気味な歌が続いていた。はっきりと意味は解らなかったけれど、不気味に違いなく、泣きそうになりながらも少年にありがちな好奇心とも一寸だけ違う意味の独特の『現状認識不足が引き起こす逆説的な心情』が手助けをして、老婆の傍へ近寄って行ったのだ。
 「ぼく?どうしたんだい?。」
 老婆の声は若く、見た目とは響きが違い、歌の響きとも大きく違い、僕は引っくり返るぐらいに驚いた。なんだか自分のあまり喋らない母親の声に似ていたのだ。語りかけられ何かを言わなければいけないのだろうが、口からエクソシストのような霊魂が言霊(ことだま)の煙になって出る訳でもなく、マジシャンのように口からトランプを出せる訳でもなく、何も言えず黙って老婆の傍(そば)へ座った。
 老婆は金沢弁で『おじゃみ』という所謂(いわゆる)普通のお手玉をしながら、また、不気味に歌い続けていた。
 「おまえさんが喰うかいな♪それならヲラにもおくんなさい♪くれなきゃ鬼がやって来て♪まるごと全部喰っちゃうぞ♪おまえさん♪おぉまえさん♪喰われるな♪鬼に喰われりゃヲラ喰えぬ♪喰えなきゃヲラは三度化ける♪三度化けたら仙人だ♪化ける皮もありゃしない♪骨ぇと皮とでまずかろう♪…………。」
 僕は不気味だったけれど、おろおろするばかりで無様(ぶざま)だった。ただ促されるままに老婆の横に座り、『おじゃみ』が空中で交差するのを見詰めていた。
 老婆がにっこり笑い、皺だらけのか細い手を伸ばして、僕に『おじゃみ』をやらせようとした。僕は運動神経が極端に弱かったので、ジャグリングなんぞ出来る筈も無かった。黙って手を後ろに廻し、黙って口を一文字に結び、首を横に振っていた。
 老婆は皺の影からにやりと笑い、
 「最近の子らはこんなことも出来ないのかね。」
 などと言って、さらに不気味な歌を続けていた。
「ひとつとせ♪ひとつ人の世はかなんで♪二目と見られぬ顔をして♪醜い顔で世を渡る♪世の中誤解は憑き物で♪向うの人とて七不思議♪やあぁっつ最後に八つ当たり♪苦労はとうに終わらせよ♪やれっ、終わらせよ♪。」
『おじゃみ』は、空間を彷徨って、まるで永久に回転するのではないかと思われる程、気持ち良く宙を舞っていた。
 僕はなんだか老婆が不気味に見える自分が恥ずかしいような気分になり、やたらと落ち込んでしまった。すると老婆はそれを察したかのように縁側に置いてあったお盆の上の九谷焼の茶碗にお茶を注ぎ僕に差し出した。
 老婆は続けて言った。
 「森(もり)八(はち)の羊羹(ようかん)を食べるかね?。」
 僕には断る理由は在り得なかった。そもそも森八の羊羹などと言う高級なものは、話には聞いていたが、食べたことは無かった。さぞかし美味しいだろうなとは思っていた。
 僕は汚いカエル臭い手を差し出した。昭和の二十年代生まれの子供の手も現在の子供たちと一緒で、何を触ったか不確かで、洗わなければそういう匂いがしたのだった。老婆は黙って手拭を差し出し、僕に手を拭うことを促した。