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少年A++(プラプラ)

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 少年の頃の話をしよう。
 もちろん、他ならない〈君〉?にだ。
 地球上には沢山の人生があり、それを全て言葉にして、デジタル媒体だろうが、何でもいいのだが、記録(記憶では無い。注記)して遺そうとすると幻想それ自体の重みで地球が壊れるのかもしれない。
注記:記憶とすると『記憶の永続』みたいなサラバドール・ダリの絵だらけになってしまい。地球は気味の悪い個の集大成になりそうだ。嘘だと思ったら彼の絵を部屋中の壁に貼って見て下さい。必ず夜寝られなくなります。
 井上揚水の『少年時代』のように想い出をメロディに乗せて表現したら、少しは救われるのかもしれない。美しさを共有出来ることである種の幸せを感じるのかもしれない。
 救われた少年時代の話をしようと思った。生まれた、そして生きた、ついでに死んでしまった、では、物語にはならない。
 現実をそのまま普通の優等生の文体で書いたら、誰の人生でも『それぞれの』と、面白い話であっても仕方が無いと言う風に括弧に入れてしまわれそうだ。でも、そのまま面白い文体で書ける天才はそうざらには居ないのだ。普通は物語性を追加しなければゴミになって書けなくなってしまう。これは小説なので、そのまま書く筈はないのだ。それに天才ではないので、他人の人生を組み立てる不自由さも味わわなくていいのだろう。他人の人生を登場させて描くのには苦痛が伴うらしい。でも、僕には解らない。他人の人生だと、眉をひそめ、考え込んでしまって『へぇー、さいでっか。』と言うしか能力がない。凡人は自分のドラマツルギーを楽しめなければ面白くない。
さあ、果たして成功するか?どうか。
 自分の過去をヒントに自分の事を物語にするのは、取材と言う厄介な客観性を必要としないので、容易いのかもしれない。そして費用も恐らく最低限で済むので『効率的』なのだろう。
 決して特殊な人生として、『読み捨て』ないで欲しい、楽しまなければ、読んだ人の人生もつまらない方へ誘導してしまうかもしれない。果して、上手く行くかどうかは、
〈君〉?次第だ。
 沢山の人々の人生を替わりに生きることが出来たなら、それはそれと同じ数だけ沢山の苦痛に終わるのかもしれないし、違った世界を味わうことが出来るのかもしれない。それぞれの人々の人生を切り取って美しい部分だけモザイク画のように繋ぎ合わせたら、
素敵な絵が出来上がるだろうか?
素敵な詩が唄えるのだろうか?
決して出来上がらないように僕には思えて仕方が無い。
 抒情詩のように読んで貰えたらどんなにか有頂天になれるのだろうと思う。
 人生を典型として個別的な無機質な言葉に定着しなければ哲学や思想にならないのだろうか?『懐かしい』それだけで満足ではないのだろうか?
僕には良く解らない。
きっと死ぬ瞬間には『幸せだったよ、有難う。』なんて言えるのが最高かもしれない。でも、僕には絶対に不可能だ。多くの人がそうであるように、そんな絵に描いたような人生ではないし、なかったし、これからも在り得ない。
それにまた、在り得ないと思って死んでいくような気がしないでもない。
 僕は少年の頃、少年でしかなかった。当たり前の文にある種の意味を込めて書いている。どうか、快く『了解』とメールの返信のように答えて欲しいのだ。
これを読んでいる?〈君〉?にしかそれは出来ない。
 僕は金沢市の寺町大通りにある石田病院というところで、首に臍の緒(へそのお)を巻きつけながら逆子として足から生まれた。足から出てくる赤ん坊は時々いるみたいだけれど、臍の緒の位置から言って、絞首刑のように酸欠になったのだろうと想像できる筈だ。
ああ、どうか、気持ち悪いと逃げ出さないでくれ。この部分に『ドラマ』の本質を隠そうと必死なのだから。
 赤ん坊の時に住んでいた家は寺町通りの小立野(こだつの)側の斜面の借家だった。そこでの記憶は定かでは無いのは当たり前で、なににせよ、可愛い?赤ちゃんだったのだ。親族からの僅かな情報で僕の記憶を作り上げるしかないのだが…………。
僕が無理に『僕は』と小説を書く人達が立ち止まりそうな主人公を立てる意味を解って欲しい。自分を巨視の自分自身が書くのだ。嘘だらけになろうが、頭が変になろうが、ロジック・エラーであろうが、そうしなければいけないような気がしたのだ。『猫』とか『大谷』とかにしたら、どんなに楽か?まるで哲学の脅し文句のように『僕』が『僕』を『僕』の巨視の眼で書こうというのだ。物を書く人への恫喝のように思えたら少し『僕』は救われた気分になるのかも知れない。
〈君〉?は理解出来るはずだ。
薄っすらと僕自身が覚えているのは、這い這いがようやく出来るようになった時、その時、不思議と次の実話?が鮮明なのだ。人々はそういう経験を小さい子供が会話を開始すると同時に語り出すと、その時に自分のことを天才ではないかと思うのか?どうか?は、知らない。親たちは小さい子がそういう事を子供が言うと、うちの子は天才だと簡単に思うのかも知れない。全ての人類が親が想像する天才だったら、どんなに素敵な世界が創れるのだろう?僕には解らない。
そういう推察は僕の守備範囲ではないのだ。
 「ただいま。おおい!今帰ったよ。」
 僕の父が大声で玄関から叫んだ。その借家は昭和初期の造りで、玄関のすぐ横に曲がり階段が在り、二階で父の声を聞いた僕は、嬉しくて、
 「うば、うば、お父ちゃん。」
 とは言えなかったと思うが、ブローカーのような仕事であまり家へ帰って来ない父の声が嬉しくて、嬉しくて、ただ、嬉しくて、言葉にならないように嬉しくて、唄のように嬉しくて、出来るようになった這い這いで、全身で父の姿を見ようと階段へ這い這いの可能な最高のスピードで向かって行ったのだ。
 当然、結果は悲惨で、余りにも気持ちが悪いから詳しくは書きたくないのだが、まあ、そこのところは理解しておいて欲しい。つまり階段から落ちてその衝撃で高熱を発したのだ。外傷は殆ど無かったが、何かが『障壁』となって残ってしまったのは間違いない。間違えないで読んで欲しい。『障壁』と書いている。重要な意味がありそうで、面白いではないか。
 色々な大人達の事情があり、僕は母方の祖父の家で育てられることになった。『何不自由なく。』とは言えないけれど、まあ、それなりに普通に育ち、記憶がはっきりし、自意識がそれなりに形成される『少年A++』になっていた。コンピュータの言葉のように『少年エープラプラ』と読んで欲しいと意識的に書いて置く。
 僕が、ここら辺りの話をすんなりと通り過ぎる処がまた、別の意味でドラマでしょ?
どうか解っていて下さい。大人達の事情は、まあ、一般的なものだと想像しながら次へ進んで欲しい。
 運動音痴の僕は小学校に入学する少し前、良くありがちな『置いてかれっ子』で、友人たちの群れから逸れることが多かった。泣きながら後を追うのだが、追い付けない。『まあいいや!』なんて諦めの気持ちを子供心にしっかりと刻み込んだものだった。現実を受け入れるのは大人達よりも子供の方が早いのかもしれない。抗う言葉も力もないと、受け入れるしかないのだ。