短編集38(過去作品)
感性は永遠に
感性は永遠に
原因が何であれ、イライラするということは嫌なものだ。身体に変調を来たすこともあれば、何よりも楽しくない。生活をしていて、いつも考えごとをしている。その考えごともいつしか同じところへ帰ってくるような感じなのだ。
そうすれば狭い範囲の中でしか生活ができなくなるというもので、そのことに気付かずに生活しているからイライラしてくるのだろう。
そんな中、そのことに気付き始めた一人の男、有田正平は何が永遠なものなのかを探している。彼のそんなお話をお聞かせしよう。
平凡なサラリーマンである有田は、今年二十五歳を迎えた。仕事にも慣れてきた頃で、出張も時々あるような忙しい日々を送っていた。
元々営業で入社したのだが、最初の数年間でいろいろな部署を経験することによって、やっと一人前の営業として仕事ができるのである。営業をしていれば、いろいろトラブルも起こるが、それでも時間外で飛び回らなければならないほどのトラブルがないのは幸いだった。営業として働きながら、就業時間外は自分の時間が持てることに最近やっと喜びを感じられるようになっていた。
出張は嫌いではない。知らない土地に行って、ビジネスホテルに泊まり、昼間は営業先を訪問、夜は接待を受けたりするが、あまり呑めない有田を知ってか、相手もそれほどの時間を費やすことをしない。
最近はビジネスホテルといってもサービスが充実しているところもあり、ビジネスマンにとってはありがたいものだ。中には温泉のあるところもあり、そんな土地を訪れるのは楽しみだ。
大学時代から田舎を出て一人暮らしをしていたが、今となっては田舎の町を訪れるのは楽しいものだった。
田舎から出てきての大学生活は、どれを取っても新鮮で、それまで田舎でしか見ていなかったものを忘れてしまいそうなくらいに目新しい発見が絶えずあったのだ。だが、都会の生活にも慣れ、結局都会でも毎日が同じ生活の繰り返しだということに気付くと、今度は田舎が懐かしくなる。
――隣の家のバラは赤い――
というではないか。
田舎へと出張に行くと、自分が育ってきた家を思い出す。
――ずっと都会で育ってきて、田舎に移り住んだ経験があるんじゃないか――
とさえ思えてくるようで、まず都会の雰囲気が頭に浮かんで、それから自分の田舎に思いを馳せるのだ。そんな自分が嫌になる時もあるが、それもこれも、田舎が嫌になって出てきたという思いが強いからだろう。
田舎というものがこれほど懐かしく心に残るものだとは思いもしなかった。毎日生活していて、面白いことは何もない。小学校低学年時代は友達と楽しく遊んだという記憶があるが、高学年になると、都会の話が友達から出てくるのだ。
都会にはどういう楽しいものがあるのかということだったり、小学生でも話が合わないほど楽しいことがいっぱいあるなどという話を聞かされると、憧れだけが膨らんでくる。夏休みになって都会の親戚が遊びに来たり、逆に都会に遊びに行ったりする友達が増えると、それも仕方のないことなのだろう。
――都会って一体どんなところなんだろう――
まだ見ぬ都会へ、馳せる思いは果てしない。
高校を卒業すると、東京へ出て行く人も多かった。小学生の頃にそんな先輩たちを見て羨ましく思ったものだが、中学に入ると少しその気持ちが揺らいだこともあった。
勇んで都会へと旅立っていった人たちの中で夢破れて帰ってくる人がいるのを知ったからだ。中には都会で成功し、就職して数年後に田舎で事業を起こす人もいたが、なかなかそこまでの人は限られている。ほとんどが夢破れて帰ってくる人のようであった。
彼らも最初こそなかなか家から出ることもなかったようだが。落ち着いてくると仕事を探し始め、そのうちに田舎の女性と結婚し、田舎での平凡な人生を歩んでいるようだ。
そんな人たちを悪いというのではない。しかし血気盛んな成長期にある少年は、果てしない夢を見続けていたいものだ。その頃には、怖いもの知らずで、都会への願望が強い反面、都会という知らないところへの恐怖心が芽生え始めていた頃かも知れない。
だが、実際には都会への思いを捨てきれずに田舎を飛び出したのだが、今でもそれは勢いではなかったと思っている。息が詰まりそうなほど暇な田舎の生活、そして、たっぷりと田舎の匂いが沁みこんだ自分が嫌で嫌でたまらなかった。
大学へ入ると、目新しい発見が毎日のようにいくつも出てくる。一日一日が長いくせに気がつくとあっという間に一週間が過ぎていたりする。逆に一日を長く感じることもあったが、そんな時は一週間があっという間に思えてくる。
大学生活で楽しかったのは、下宿住まいの友達のところを泊まり歩くことだった。夜を徹していろいろな話をするのが好きで、女の話を肴に酒を呑んだり、さらには、将来のことに思いを馳せて、自分の夢について話をするのも楽しかった。
それも自分の性格を冷静に分析しながら、お互いのことを話していると、時間が経つのも忘れてしまいそうだ。未来について話すには、当然過去や育ってきた環境について話をすることで盛り上がってくるもので、あれだけ毛嫌いしていた田舎の生活も、この時ばかりは話をするのに臆するところはない。
却って自分から話すことで、田舎に対してのわだかまりを解いているような気がする。そんな時間が貴重に思えた。
泊まり歩く友達の下宿の中には風呂がなく、近くにある銭湯へ行っている友達もいた。銭湯は都会でも最近はほとんどなくなっているようで、田舎でも見ることはない。それだけに都会で育った友達にも田舎で育った有田にも共通の新鮮さがあった。
歩いて十五分ほどの距離であるが、
「一人で歩いていると結構時間を感じるけど、こうやって誰かと一緒だとあっという間って感じがするな」
という言葉が示すとおり、十五分という時間があっという間だった。
いつも空を見上げるとそこには月が出ている。満月の時もあれば三日月の時もある。有田は三日月が好きだった。
――田舎にいる時は満月が好きだったんだけどな――
と感じるのは、田舎で見る満月が都会で見る満月の数倍も大きく感じるからだ。
――逆のような気がするんだけどな――
田舎の夜空はまさしく天空という表現にふさわしく、果てしないもののように思える。まわりには障害物がなく、空気も綺麗なので、星のすべてが煌いて見えるのだ。しかし都会にはビルなどの障害物のせいで空が小さく感じられる。そう、まるでビルの谷間に掛かった屋根のようにさえ思えることがある。そんな状態で月を見ればどちらが大きく感じるか一目瞭然というものだろう。要するに大きさは距離感に比例しているということだ。
田舎にいる時に、空を見る時、股の間から見たことがある。日本三景である天橋立を見るように、後ろ向きに立って足を広げて股の間から空を見るのだが、これは天橋立の見方というのを知る前からやっていたことだった。それだけ空が大きく感じるかということなのだが、田舎に住んでいると、都会では想像もつかないような発想が生まれるものだということを痛感した時でもあった。
作品名:短編集38(過去作品) 作家名:森本晃次