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記憶の中の墓地

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 正則は、石段の上から見た前の街の光景を意識できなくなっていたが、境内の裏にある墓地の記憶はハッキリと残っていた。その光景は子供の頃にも感じたことのあるもので、
――その頃って、まだ父親が生きていた頃だったはずなので、この街のはずはないんだけどな――
 と、前の街にいた時から不思議に思っていた。
 裏にある墓地には、時々立ち寄った。別に用があるわけでもない。デッサンをしたという意識もない。ただ、線香の匂いが漂っている空間を歩くのが好きだったという意識だけは残っている。
 正則が墓地に立ち寄った時、墓参りをしている人に出会ったことは一度もないが、線香の匂いはしっかりと残っている。
――ついさっきまで、誰かのお参りに来ていたんだな――
 と、漠然と思っていたが、いつもニアミスを繰り返していることに対して、さほど不思議に感じることはなかった。
 誰かと出会うのが、あまり好きではなかったからであった。
 とりあえず、無言で頭を下げるくらいのことはするだろう。相手も会釈をしてくれるかも知れないが、形式的な挨拶だという意識になってしまうのが分かったからだ。
 場所が墓地だということを意識しているからなのかも知れない。ただいつも同じ場所に線香が焚かれている。白い煙が風になびくように立ち上っているのを見ると、静寂を余計に感じるのだった。
 正則は、境内への石畳をゆっくり歩き、狛犬の前を横切ると、その向こうに見える境内の裏への道を見つけた。この道も、前の街の墓地までの道にそっくりに思えたが、さっき石段から見えたと思った前の街で感じていた光景が意識の中から消えてしまったことを思えば、今感じている記憶も、本当に前の街のものだったのか、疑問に感じていた。
――ここにいれば、前の街の記憶がどんどん消されて行っているような気がする――
 それは嫌なことではなかった。
 消えてくれて結構なものであり、新たな生活を始める上では、却って好都合と言えるのではないだろうか。
 消えてしまったと思っている記憶は、封印されてしまったのか、本当に抹消されたのか分からない。しかし、思い出したくない記憶であることは確かだった。正則の今までに消えてしまったと思っている記憶の中で、思い出したくない記憶というのがどれほどあったのか、考えるのが怖いほどたくさんあった気がした。
 そんなことを考えながら、正則は境内の裏に回り込むと、自分が思っていた通りの墓地が現れた。
 仄かに匂ってくる線香の香り、
――懐かしい――
 思わず、目を閉じて、顎を突き出すようにしながら、軽く上を向いて感無量の気分になっていた。
 ただ、今までになかったものをその時正則は感じた。
――誰かいる――
 人の気配を感じたのだ。
 人の気配を感じたことで、そこにいるのが、誰なのか想像ができた。
 手を合わせる二人の女性。
 一人は中年の女性で、もう一人は若い女性だった。明らかに親子だった。
 娘の方は見覚えがあった。
「麻衣子さん」
 思わず声を出してしまったが、お参りに集中しているのか、相手は気づかない。
 そして、その横で手を合わせている中年女性の横顔は、以前父親から見せてもらった母親の写真だった。
 そこまで感じると、またしても、懐かしさが募ってきた。
 目の前にいるのが、自分であっても、別に違和感がないように思えてきたのだ。
――むしろ、そこにいるのは俺じゃないといけないんだ――
 そう思って二人を見ていた。
 この墓地の雰囲気、そして二人が手を合わせているお墓の位置、そこは自分の聖域だと思っていた。何度も何度も毎日のようにお参りした場所……。
 そう思っていると、
「お父さん……」
 そう言って、目を瞑って手を合わせている麻衣子がいた。
 次の瞬間、目の前の墓地で手を合わせている正則を、静かな目で見ているもう一人の自分がいたのだった……。

                  ( 完 )



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作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次