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記憶の中の墓地

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                 第一章 デッサン画

 一年の中でも数少ない、過ごしやすく、雨の少ない貴重なこの時期。しばらくするとじっとりとした雨に見舞われる梅雨の到来を意識しないわけにはいかない時期。心地よいはずなのに、夕方になると襲われる気だるさは、一日の労働を意識させるものだった。
 しかし、その労働も、感じる人それぞれで意識も違ってくる。仕事が終わって労をねぎらうかのように、仲間内で呑みに出かけることを日課としている人もいれば、さっさと家に帰り、家族の顔を見ることが癒しになると思っている人、逆に家に帰ることを苦痛に思っているサラリーマンも少なくないだろう。
 迎える人の立場は人それぞれなのだが、やってくる時間に変わりはない。いかに充実した一日を過ごしていようと、ストレスを溜めながら過ごした人であっても、気だるさを感じるのだ。
 ただ、同じ感じる気だるさであっても、それを誰かと一緒に感じるのと、一人で感じるのとでは違いがある。それはその日のその人の過ごし方に関係なく、自分がまわりに対してどういう立場なのかということでの方が大きな違いを抱えているのだ。
 子供の頃からいつも一人で、孤独を感じていた男性でも、自分に趣味を持つことで、それまでの生き方がまったく変わってしまうという例もある。
「一人でコツコツする趣味は、他人と関りがない方が、充実した時間を過ごすことができる」
 中学生の頃に絵を描くことを好きになった門脇正則は、高校卒業まで、趣味としてずっと絵を描いていた。
 最初は学校が休みの日に近くの神社に行って、スケッチをする程度だったが、次第に学校が終わってから、帰宅途中に神社に寄って、絵を描いていた。
「絵を描いていると、時間を感じない」
 と思うようになったのが今までずっと続いてきた一番の理由だと思っている。
 小学生の頃は、何をするのも嫌だった。しかも人と一緒にいるのが億劫で、先生から言われる、
「集団行動」
 という言葉が一番嫌いだった。
 小学三年生の頃に母親が病気で死んだと聞いたが、それからいつも一人でいることが多くなったことで、
「あの子は、お母さんが亡くなってから変わってしまった」
 とまわりから言われるようになった。
 だが、本当は違っている。
 正則は、物心ついた頃から一人でいるのが好きだった。父親も必要以上に子供に構うことはなかったが、たまに一緒にいる時は他の家族と変わりなく笑顔を交わしていたからだ。しかし、それはお互いに気持ちが通じ合っていたからに他ならない。父親も正則と同じように、いつも一人でいることが好きだった。母親もそのことは分かっていたが、まさか、それが子供に遺伝しているなどと思ってもいない。
「少し変わった子供だわ」
 と思いはしたが、
「子供なんだから、成長するにつれて変わってくるわ」
 というまわりの意見にそのまま看過された。
 だからというわけではないが、正則は成長するにつれて変わってくることはなかった。むしろ、父親の悪いところに似てきたような気がして、父親としては、母親が亡くなって、やっとそのことに気づいたのだった。
 しかし、子供の成長はそんなに簡単に変わるわけもなく、性格として息づいてしまったら、そう簡単に変えることはできない。
「人の性格というのは、持って生まれたものと、環境に作用されるというけど、やっぱり持って生まれた性格だけは、どうにもならないのかも知れないわね」
 近所の人が話しているのを聞かされた父親は、それを聞くとしばらく鬱状態に陥った。子供のことよりも自分のことの方が重大となり、しばらく神経内科に通った。医者はその原因を、
「奥さんを亡くされて、そのショックがかなり大きかったのかも知れませんね」
 それも一つの原因なので、そこで、
「違います」
 とは言えなかった。
 自分の性格で、まわりに流されやすいというところが最大の欠点だということを一番よく分かっていたのは、当の本人だったのかも知れない。
 まわりからは、
「奥さんを亡くしたことでの鬱状態」
 として同情が集まった。
 同情を受ける方が楽であった。父親に限らず、人というのは、楽な方に進みたがるもの、同情が集まることで自分が楽になれるのであれば、それを抗う必要はどこにもない。母親は、自分のために子供のことを気にかけていることを封印した。
 正則も、父親の考えていることがウスウス分かっていた。一人孤独な人の方が、結構まわりのことが分かるもののようで、それは、
「集団行動しかできない群れを成す連中には理解できないこと」
 という意識があるからだ。
 集団行動しかできない連中は、きっと孤独な人を、
「可哀そうな人」
 という目で見ていることだろう。
 いわゆる、
――上から目線――
 であり、集団行動から抜けられない理由は、その上から目線という意識を持っていないことだと正則は感じるようになった。
 だから、小学生の頃の道徳の授業だったり、集団行動を強いる運動会や音楽会は大嫌いだった。
 かといって、一人逆らうことができるほど成長しているわけではないので、
「俺はまわりとは違うんだ」
 という意識を強く持っていた。
 しかも、その感情には、
――上から目線――
 を含めない。含めてしまっては、父親と同じになってしまうと思っていた。
 反面教師は父親だった。
「同情を受けることで楽になろうとするなんて」
 と、子供心に母親のやり方を憎んだものだ。だが、母親を嫌いになったわけではない。むしろ、
「可哀そうな人だ」
 と思うようになった。
 それだけに、自分が母親との違いをしっかりと意識して、孤独を愛することができる人間になれるように心がけることにしていた。
 そうすれば、大嫌いな学校行事も何とか乗り切ることができる。だが、次第にその時間がもったいなくなってきた。
「無駄な時間を過ごさなければいけないのなら、無駄だとは思うことのできない時間を自分で持たなければいけない」
 という感情を抱けるようになったのが、やっと中学生になってからだった。
 最初に絵を描くことに興味を持ったのは、学校の帰りに神社があったが、そこは正則の通学路だった。近道にもなる神社を通っていると、時々そこでスケッチをしている人を見かけることがあった。
 最初は、何ら意識をしていなかったが、絵を描いている人は別に楽しそうでもないのに、いつも同じ場所で描いている。
――楽しいと思えないことは、やるだけ無駄だ――
 と思っていた正則は、その人の目が、真剣な眼差しで、描いている点を見つめているのを感じると、分からなくなってしまった。
 決して上から目線ではないところが気になった。今まで自分が何かに集中して時間を過ごしたことがないことに、その時初めて気が付いたくらいだ。
「そういえば、試験は嫌いなのに、勉強している時、そんなに嫌な時間を過ごしているような気はしなかったな」
 と感じた。
 それが一生懸命に集中して時間を使っているからだという今から考えれば当たり前のことに気づかなかった自分が恥ずかしいくらいだ。
 サラサラと画用紙に鉛筆を走らせている。いわゆる油絵ではないデッサンだった。
作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次