短編集37(過去作品)
違次元恋愛
違次元恋愛
桜井心は本当の恋をしたことがないのかも知れない。大学時代までに何度か女性と付き合ってきたが、ここまで本当に人を好きになったことなどおそらくなかっただろう。今まで付き合ってきた女性の誰が、そう感じさせてくれるというのだろう……。
大学時代に女性と付き合ったことがあるといっても、軽い付き合いばかりで、長くても三ヶ月だった。本人はもっと付き合いたいと思っていたが、いつも別れは突然にやってくる。
「あなたとはもう付き合っていけないわ」
と言われるのならまだいいが、ほとんどは話もしてくれない。
なぜなのか分からずに、ストーカーのような行為まで発展してしまいそうになった。
――納得がいかない――
ただそれだけの理由で相手に詰め寄る。
そんなことをしてもどうにもなるわけがないことは、冷静に考えれば分かることだ。それが分からなかったこと自体、同じ過ちを繰り返す結果に繋がったのだろう。
納得の行かないことを追求するという気持ちは人一倍かも知れない。人それぞれ考え方の違いがあるが、どうしても自分の考えを押し通そうとしてしまうと、納得行かないことを追求しないことはただの妥協となってしまい、それを許せない自分がいるのだ。
納得の行かないことが、そのまま後悔に繋がる。後悔したくない一心から桜井は妥協を許さなくなり、それがわがままの裏返しであることに気付かないでいた。
強情なのはいいことだと言い聞かせてきた。言い聞かせてきたということは、心の底では悪いことだと認めている自分がいる。理不尽なことだと思い自分を責めることもあったが、基本的には本能のままの考えを押し通そうとするところがあるのだ。
最初の付き合いはソフトで、第一印象はかなりいいらしい。自分でも爽やかな感じがしてくるのだが、そこに惹かれる女性も爽やかな人が多い。
真面目な付き合いを望んでいる二人はうまくいくと思っているのだが、次第に重たくなってくるらしい。
――恋に恋する――
という言葉があるが、女性はメルヘンチックな考えの人が多いので、人に恋している自分をいとおしく思っているのではないだろうか。しかし桜井は違う。相手を真剣な目で見始めると独占欲が強まってくるのだ。
男性に比べ、女性の考えは意外としたたかで、逆にメルヘンチックな男性を求めている女性も多いようだ。
またそんな女性を好きになるのが桜井で、自分がメルヘンチックでもないのに、相手に合わせようと無理をすると、却って相手に気を遣わせることになるようだ。
あまり一目惚れをしたことのない桜井にとって、最初は軽い付き合いであっても、次第に相手を分かってくるにつれ好きになっていくと、目の色が変わってくる。そんな桜井を
――怖い――
と感じるようになるのも無理のないことで、特にメルヘンチックな恋愛を望んでいる女性には生々しさしか写らない。
――そんな男性を好きでいるというのは苦しいだけ――
と思うようになり、桜井から離れていく。
「女性ってね。ギリギリまで我慢できるんだけど、限界を超えると、憎しみしか残らないこともあるのよ」
女性の中には、桜井と付き合っている間に浮気をしていた人もいたと後から聞かされて愕然となった。
「俺には浮気なんて信じられないな」
といつも話している桜井だったが、その話を聞いた時、不思議と怒りはこみ上げてこなかった。
――かわいそうな人だ――
浮気した相手はあくまで浮気、相手にも彼女がいたようだ。
「浮気ってそんなにいいものなのかな?」
と、友達に話したことがある。彼は桜井にとって腹を割って話のできる唯一の友達だった。名前を村田という。
「スリルを味わうというわけでは片付けられない何かがあるんだ。俺は一度浮気をしたことがあるんだよ」
真面目で有名な村田の発言とは思えない。
「浮気って興奮するのと癒されたいという気持ちだけじゃないのかい?」
「それが違うんだ。正直、一度してしまうと一度では収まらないかも知れない。相手が違ってそれが二度三度と重なると、もう後へは引けなくなってしまうと思えるよ」
「病み付きになるってこと?」
「病み付きという言葉が正解なのかは分からないけど、一度味を覚えると、抜けられなくなるかも知れないね。これは君には分からないかも知れない。喫煙家には分かるんじゃないかな」
桜井はタバコを吸わない。確かに喫煙家はタバコがやめられないというが、どうしてなのか分からない。
――浮気はそれに似ているというのか? まるで嗜好品のようじゃないか――
と心の中で呟いたが、嗜好品という意味でいけば、コーヒーのようなものなのかも知れない。
以前付き合っていた女性に浮気をされたことがあった。
「ごめんなさい。やっぱりあなたがいいわ」
と言って、泣いて許しを請う女性に対し、あまり強く言えなかった。優しさがとりえだと思っている桜井は、相手の女がどうして浮気などをしたか問い詰めるまではいかなかった。
本当ならバレないはずだったのだろう。ふとしたことで立ち入るはずもなかったところに桜井が現われたのだから女もビックリだ。
大学の友達にこのあたりの人がいないことは女の計算に入っていた。遊びでの浮気なのだと思い込んでいる桜井にとって、
――ここで許しておけば彼女の気持ちを絶対的に支配できる――
とまで思ったとしても無理のない状況だっただろう。
何しろ浮気の現場を押さえたのだから、言い訳などできようはずもない。ホテルから出てくる瞬間を見た桜井の頭に去来したものは、彼女への怒りでも嫉妬でもなかった。なぜか最初に一緒にホテルに入った時のことだった。
車を持たない桜井は、初めて入ったホテルは駅前だった。あまり綺麗とは言えない、昔からあるいわゆる「温泉マーク」といわれるような場所。ムードなどあっただろうか。
浮気の現場を押さえた時に二人が出てきたホテルも、ちょうどそんなところだった。
男も車を持っていないのだろう。仲良く腕を組んでいるわけでもなく、どこか後ろめたさの中に、微妙な興奮を覚える二人。桜井にはそう見えた。
男は呆然と立ちすくむ桜井を見てすべてを悟ったのだろう。彼女が浮気であることは分かっていたはずだ。女はウソのつけない性格なわりに、よく浮気などできたものだとある意味感心してしまうくらいだ。
最初は後ろめたさを感じていた女も、男が逃げるように立ち去るのを後ろから見ながら、
「やれやれ」
といった感じで肩をすくめ、両手を上に返した。そしてそのままキッと目をこちらに向けると睨むような目で桜井の横を通りすぎていく。
――開き直っているんだ――
分かっているが、罵倒するだけの勇気はない。静かなホテルの前で大声で罵倒などすればいい笑い者だ。それくらいのことは分かっている。
こんなところで喧嘩をすればまるで修羅場に見えるだろう。喧嘩の原因はハッキリとしているだけに、誰にも文句が言えないだろう。
――君子危うきに近寄らず――
である。
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次