Blackbird
工藤は部屋のドアを一つ一つ蹴り開け、最後のドアに向けて足を出しかけたとき、思いとどまった。ドアが軋んでいるように見える。弾倉を入れ替えると、たわんでいる部分に当てて、八発全てを撃ちきった。ドアの裏にいた男が前のめりに倒れ、工藤は弾倉を入れ換えると、ドアを蹴り開けた。同時に、二階で垂水が叫んだ。
「クリア!」
一階から同じように工藤の『クリア』という声が届いたことを確認した垂水は、無線のスイッチを押した。運転席で銃声を聞いていた神崎のイヤーピースが雑音を鳴らし、無線越しに声が届いた。
「そのまま下がって、正面入口まで来てくれ」
建物の目の前まで来ると、破られた正面のドアを引き剥がすように垂水が出てきて、斧を拾い上げた。神崎がトランクを開けるのと同時に、散弾銃と斧をトランクへと放り込み、助手席に乗り込むと手の平で額の汗を拭いながら言った。
「くそっ。ほんと嫌な仕事だよ。撃たれるとこだったぜ」
「ホトケはそのままでいいんですか」
「今回は、残しとけってよ」
垂水は苦々しい表情で言うと、振り返った。
「出てこねえな」
工藤が帰ってこない。神崎はシートの隙間から二二口径を掴み上げ、膝の上に置いた。垂水がそれに気づいて、言った。
「お前、何してんだ」
「見張れと言われてますんで」
神崎はそう言って、二二口径の安全装置をゆっくりと下ろした。垂水は汗で滑るシーマスターに視線を落とした。トランクに放り込んだ散弾銃に意識が向いている様子で、呟いた。
「早くしろ……」
傾いたドアが内側から蹴り破られ、工藤が出てきたことを確認した垂水は、大きく息をついた。背中に何かをおぶっていることに気づいて、再度その息を吸い込み直した。後部座席のドアを開けた工藤は、意識を失っている女を乱暴に放り込んだ。
「ちょっと待ってください」
垂水が言うと、工藤は自分も乗り込むなり後部座席のドアを閉めて、呟くように言った。
「出せ」
朝方に起こされた苅野は、コーヒーと煙草を手に持ったまま、少しでも気を抜くと眠りに落ちてしまうように体を揺らせた。
「ほんと、勘弁してよ」
工藤は神崎と二人がかりで女をベッドにまっすぐ寝かせると、言った。
「ごめんな、急用だ」
苅野は女の目にライトを当てた。瞳孔の様子を見て、ため息をついた。
「OD? このまま起きないかも」
工藤は車庫まで戻ると、BMWの助手席で待っている垂水に言った。
「この車使っていいから、先に戻ってろ」
垂水がBMWで走り去るのを見た工藤は、壁に頭をくっつけて眉間を押さえた。仕事自体は完了した。
女の首に巻かれたネックレスを見た苅野は、呟いた。
「神崎くん、顔を見られた?」
神崎は首を横に振った。苅野はコーヒーを一口飲んだ。患者を診るときだけかける黒縁眼鏡が真っ白に曇り、神崎はその様子を見ながら、ネックレスの頭の部分を手に持った。番号が書かれている。
「番号がありますね」
苅野はうなずいた。眼鏡についた湯気が少しずつ引いていくのに合わせて頭が冴えてきたように、苦々しげに言った。
「このネックレスは、商品を管理するタグだよ」
神崎はネックレスから手を離した。苅野は深入りしたくないように、少し身を引いた。それでも関わらずにはいられないように、神崎の目をじっと見つめた。
「医者だったときに、このネックレスをつけた子が緊急に運ばれてきたことがあるわ。もう死んでたけど。警察に通報しても、音沙汰なしだったよ」
「そういう組織があるってことですか」
神崎は関心がなさそうに呟きながら、思った。人を殺す組織があるなら、人を商品として扱う組織もあるだろう。工藤が戻ってきて、言った。
「苅野、悪いがちょっと預かっててくれるか」
「マジで言ってる?」
呆れたように言うと、苅野は諦めたようにうなずいた。『天秤』は冗談を言わない。重さに応じて上下に振れるだけだ。工藤は神崎の背中を押して外に出ると、夜が明けて青白くなった空気を大きく吸い込んだ。神崎はBMWがないことに気づき、言った。
「垂水さんは帰ったんですか?」
「帰した。神崎、よく聞け」
工藤は、神崎の鋭い目が最大限の注意と共にこちらを向くのを待った。工藤が話し始めるよりも先に、神崎は言った。
「僕は抜けません」
時々、超能力者のように相手の心情を言い当てるときがある。工藤は呆気に取られて、その場に立ち尽くした。神崎は一度目を伏せると、そのまま黙った。工藤は言った。
「四年前、お前はどうしたかったんだ」
あのとき、引き金を引かなかった。神崎がここにいるという結果は、自分が生み出したのだ。工藤が答えを待っていると、神崎は首をかしげた。
「正直、自分にも分かりません」
「いいか。マルキューが死んだのは偶然じゃない。相手が少しずつ手綱を締めてるんだ」
工藤が言うと、神崎は小さくうなずいた。そんなことはお見通しのように、伏せていた目を上げて、工藤の目を真っ直ぐと見据えた。工藤は言った。
「あのネックレスが何か知ってるか?」
神崎は苅野の言葉を思い出したが、すぐに頭から打ち消した。工藤は続けた。
「あれは、人身売買を専門に扱う連中が使ってるタグだよ。何人か知ってる奴がいるが、皆相手側の下請けだ。俺たちは身内同士で潰し合ってるんだよ」
神崎はBMWが停まっていた駐車スペースに答えがあるように、視線を落とした。
「この仕事は古野さんから来ましたよね。あの人は、すでに相手側についたんだと思ってました」
工藤は首を横に振った。
「あいつは何も知らない。上からの指示を俺たちに回してるだけだからな。だからこそ、これは今までの殺しとは違う。抗争なんだ」
神崎は、自分の知り得ないところで起きている争いを想像した。末端は流動的でも、上はお互いの利権を守ろうとしている。つまり、自分たちはそういう人間の代理で弾を撃つ役に選ばれたということだ。工藤は言った。
「どっち側につくか選ぶときが来たんだ」
「それが、工藤さんの天秤ですか?」
神崎は言った。工藤は首を横に振った。
「俺は関係ない。お前の話だ」
「四年前、あの男を殺したとき。矛盾しているかもしれませんが、ここで死んでもいいと思ったんです」
神崎は呟くように言った。工藤は、素手で男を殴り殺した後の神崎の目を思い出していた。あれは殺人機械の目ではなく、一度その場で『死んだ』男の目だった。
「結果的に、死ぬこともなく刑務所にも行かずに、こうやってここにいます」
工藤が黙っていると、神崎は完全にコントロールされた機械のような笑顔を見せた。
「時々思うんですよ、自分はとんでもない幸運の持ち主なんじゃないかって」
言い終えたとき、工藤がわき腹を庇うようにしかめ面を作るのを見て、言った。
「骨ですか?」
「この年になるとな、骨も勝手にはくっつかないんだ」
工藤は自分自身に呆れたように笑った。
道路脇に停めたアテンザの運転席で眠っていた神崎は、携帯電話の着信音で目を覚ました。仕事を終えて『家』に帰ったのが、午前八時。そこから十二時間が経っている。
『とんでもない幸運の持ち主』