Blackbird
「お前、マルキューの話は知ってたか?」
神崎は首を横に振った。工藤がクラッチを踏み込んでキーシリンダーを回したとき、呟くように言った。
「自殺じゃないでしょう」
工藤は国道に合流し、チェイサーを走らせながら考えた。神崎は、くつろいでいるのか緊張しているのか分からない。いつもそうだ。見張るという言葉には、裏がある。こちらの安全を確保することが目的ではない可能性もある。工藤は言った。
「見張りなんて、つまらないだろ」
「正直、そんな必要あるのかと思いました。長年取引してきた相手ですから」
神崎は苦々しく言うと、ラジオから流れる地震のニュースが目に見えるかのように、オーディオの液晶表示へ視線を落とした。
「これが起きてから、一気に進みましたね」
神崎の言葉に、工藤は小さくうなずいた。缶詰工場は山道からさらに狭い林道に折れた先にある廃工場で、裏手に大きな砂利敷の広場がある。坂野は何年も前から取引をしてきた武器商人で、関西弁を操るいかにも商人といった風情の男だ。
「不安は、ありますか?」
神崎が立て続けに話すのを見て、工藤は苦笑いした。
「そっちこそ、どうなんだ?」
「不安は五割ですね」
「何の不安だ?」
「全員の頭が吹っ飛ぶ可能性は、五割。残りは、何事も起きない場合と、僕らだけが死ぬ可能性で半々です」
「それだと、七割五分じゃないのか」
「ほんとですね。死ぬかもしれない不安は、七割五分です」
淡々とした神崎の言葉に、工藤は笑った。相変わらず、頭の中で何が起きているかが全く読めない。
途中運転を交代し、砂利道に揺られながら裏手に回ると、退屈そうな顔をした坂野と運転手がいた。二台の車が停まっていて、片方が仕事用なのはひと目で分かった。工藤は助手席から降りる前に神崎に言った。
「お前、二二口径はあるか?」
神崎はうなずくと、体を少しだけ持ち上げてシートの隙間からスタームルガーMK2を引き抜いた。サプレッサーが銃身と一体になっている。いつそこに仕込んだのかは、気づかなかった。工藤はその手際に納得すると、助手席から降りた。坂野が小さく頭を下げると、BMWのトランクを開けた。
「こんちは、急ぎは大変ですわ」
坂野が横にどき、工藤はトランクの中に寝かされた道具に目を通した。散弾銃と拳銃が一挺ずつ。斧が一本。いつもなら事前に打ち合わせしてから坂野と会うが、今回そんな時間はなかった。
「急にすみませんね」
工藤が言うと、坂野はだらしなくシャツを押し出している腹を一度引っ込めて、散弾銃の隣に置かれた紙箱を開いた。
「いわゆる、ダブルオーですわ。最近引き合いが多いんですけど、なんか起きとるんです?」
工藤は、坂野の横顔を見た。坂野は常に空中に話す。誰かと一緒にいても、その方向を向いて話すことは、ほとんどない。
「色々と、あるみたいですね」
工藤はそう言って、トランクを閉めた。坂野は運転手と一緒に移動用の車に乗り込むと、去り際に窓を下ろして言った。
「ほな、ご安全に」
工藤は小さくうなずくと、仕事用の車に目を凝らせた。神崎がチェイサーをUターンさせてバックさせ、すぐ近くに停めた。降りるなり、言った。
「ピリピリしてましたね」
「そりゃあ、この仕事がなくなったら、あいつも食いっぱぐれるからな」
工藤は神崎を手招きした。トランクの中に置かれた道具の中に斧があることに気づいた神崎は、眉をひそめた。
「斧ですか。一台で三人ってのも、珍しいですね」
「お前、来るのか?」
「見張りです」
神崎は嫌々繰り返すように言った。工藤はトランクを閉めた。恐ろしい馬力を発揮する、白のBMW M5。理にはかなっている。しかし、外車はあまりにも目立つ。
「坂野が外車を用意したことなんて、今までにあったか?」
「いえ。覚えている限りでは、ないですね」
神崎は短く息をつくと、運転席のドアを開けた。シートの下に潜り、マグライトで照らす。その慎重さは、古野譲り。工藤はその様子を見て、四年前のことを再度思い出した。
「才能があって、よかったな」
工藤が言うと、神崎は不安定な体勢のまま頭を上げ、笑顔を見せた。
「どうなんでしょう。あるんですかね」
「言ってみただけだ」
工藤はそう言って、チェイサーに乗り込んだ。四年前の自分を想像する。例え銃口を払われても、正しいと信じていれば、撃ったに違いない。今目の前でBMWのチェックをしている神崎は、工藤にとって一度『死んだ』人間だった。
午前四時、BMWの車載時計が正確に時刻を刻む中、あえてシーマスターに視線を落とした垂水が、助手席の中で居心地悪そうに言った。
「ぼちぼちいきますか」
後部座席に座る工藤は、ハンドルを握る神崎に言った。
「出口に鼻を向けて、バックモニターをつけといてくれ。無線には触れるなよ」
図面を再度確認して、分かったこと。斧は正面のドアを破るためのものだ。一見、建設現場の事務所に見える。開きっぱなしになった大きな門があって、そこを越えると右手に二階建てのプレハブがある。手前に残土の積まれた山があるから、その裏を抜ければ姿を晒すことなく正面入口にたどりつける。一つ気がかりなのは、航空写真で見る限り、重機が一台も停まっていないということ。
工藤は傍らに置いたコンバットコマンダーを右手に持ち、ベルトに挟んだポーチに収まった二本の予備弾倉に左手で触れた。垂水はBMWのラジオを子供のような手つきでいじくり回しながら、口笛を吹いた。
「ハイテクだなあ」
神崎がぐるりとハンドルを回してBMWを転回させ、ヘッドライトを消した。ゆっくりと後退させながら、真っ暗な入口の手前でサイドブレーキを使って停める。バックライトが点かないように細工してあるのは、坂野の仕事。工藤は深呼吸をしてから、後部座席のドアを開けた。コンバットコマンダーをヒップホルスターに収め、斧を持って歩き始める。銃身の短いモスバーグ五〇〇を構えた垂水が先頭を歩き、残土の裏手に回ったところで足を止めた。
「窓からいきますか?」
垂水は、建物の端にある窓から青白い光が漏れているのを見て、言った。工藤は首を横に振った。
「あの光はテレビだ」
光の漏れている角度から考えると、観ている人間がいるとしたら、窓側を向いているはずだ。人影が映ったら先に気づかれる。
「元々の計画で行く」
工藤はそう言って、斧を持ったまま身を低くして走った。垂水が後に続き、入口のドアの前まで来たところでぴたりと足を止めた。南京錠が外からかかっている。正面入口だが、実質は裏口。最低もう一つ、自由に出入りできる入口があるはずだが、それを探している時間はない。南京錠の頭に斧を当てると、工藤は一度垂水と視線を合わせた。垂水はモスバーグを構え、うなずいた。工藤が南京錠を真っ二つに割るのと同時に垂水がドアを蹴破り、飛び込んですぐに目の合った男の頭に銃口を向けて、散弾銃の引き金を引いた。その隣にいた男の胸に、工藤は二発を撃ち込んだ。二人が地面に倒れて死に、二階で棚をひっくり返すような音がした。垂水が階段を二段飛ばしで駆け上がり、廊下に同時に飛び出してきた三人目が銃口を持ち上げるよりも一瞬早く、胸に散弾を喰らわせた。