Blackbird
工藤は思った。俺は一体、誰を殺したのだろう。これは、抗争の一部なのだろうか。もしそうなら、この殺しは何を意味するのだろうか。
「あの車、音楽かかってましたね。今日死ぬって分かってたら、あの曲を聴いたのかな」
垂水がスナック菓子の空袋を丸めながら言って、工藤の思考を分断した。
「歌詞は知らねえんすけど、なんか悲しい感じがしたんで」
工藤はジムニーの助手席からネクタイを拾い上げ、巻きなおした。帰る準備が整ったところで、呟くように言った。
「あれは、歌ってるやつが最後に死ぬ歌だ」
垂水は笑った。質問して曖昧な答えが返ってきたことは、今のところない。
工藤は、その厳密さと容赦のなさから、仲間内で『天秤』と呼ばれている。
一方的な『顔見知り』を殺した二日後、二ヶ月前に骨折した傷を診てもらっているときに、苅野が工藤に言った。
「ねえ、地域課のマルキューが自殺したって」
マルキューとは、元々は丸久という名前についたあだ名で、警察官の協力者を指す隠語として使っている。記念すべき第一号が丸久という名前の巡査部長で、それ以来どんな警察関係者でも、所属とその呼び名で呼ぶようになった。
「自殺か。そんな悩むようなタチだったか?」
「知ーらない」
苅野は耳を塞いで舌を出した。元々優秀な女医だったが、何らかの理由で病院を追われた。三十半ばで、目の下には化粧が流れた跡のような大きなクマがある。元々は外科医だが、今は身分証の偽造から悩み相談まで、繊細な作業専門の何でも屋だ。苅野は肋骨の辺りを人差し指で指すと、掠れた声で言った。
「息止めて」
小さな力で押しただけだが、工藤は露骨に顔をしかめた。苅野は笑った。
「んー、まだダメだね」
「骨って、こんなに時間かかったか?」
「よくこれで仕事したね。あなたたちって、自分が生き物だってこと忘れてない?」
苅野は呆れたように笑うと、鎮痛剤の錠剤が満たされたボトルを手渡した。
「はい、一気に食べたら意識飛ぶから、気をつけてよ」
「ありがとな」
工藤はボトルを鞄にしまうと、表に停めたシルバーのチェイサーに乗り込んだ。地域課のマルキューが死んだ。苅野ははっきりと言わなかったが、恐らく自殺という線は信じていない。悪いことは続くものだ。悪い知らせはこれで最後と思って過ごすよりも、生き延びるチャンスは増す。平日の中途半端な時間。ランチタイムが終わるのを待って、指定されたレストランへ向かう。垂水の傷だらけのシーマが斜めに停められている隣にチェイサーを停めたとき、ふと思った。基本的に、用事の内容はそこに顔を出すまでは、知らされることがない。
誰が呼んだ? 古野からの連絡だった。
時間は? いつも通り平日のランチタイムが過ぎた辺り。
この場所は? 年に数回使う。新しい場所ではない。
工藤は深呼吸してからチェイサーから降りると、テーブル席に座る三人を見つけた。垂水はハンバーガーの絵がたくさん描かれた趣味の悪いTシャツに、いつもと同じジーンズを履いていて、振り向くなり歯を見せて笑った。向かいの席に座る古野が疲れ切った目をぱちぱちと瞬きさせると、手を上げた。店員が勘違いして立ち止まり、古野はコーヒーの残りを一気に飲み干すと、お代わりを注文した。工藤がそれに便乗して自分のコーヒーを注文し、垂水が奥にずれた。工藤が座ると、古野の隣に座る神崎が目で一礼した。神崎は犯罪歴がなく、仲間内では珍しい存在だった。族上がりや元暴力団員が多い業界では異色の、元サラリーマン。おまけに仕事となると単独が多い。荒っぽい仕事でも、神崎は仲間と足並みを揃えるのを嫌う。
きっかけは四年前。古野と組んで、ある男を路地に追い詰めた。角を回った先で何かとぶつかる音がして、工藤が古野の肩を掴み、一旦角を回るのをやめさせた。工藤は四五口径をベルトに挟んで、待った。静かになった瞬間、古野がちらりと角から先を覗きこみ、あっと声を上げた。工藤の制止を待たずに走り出し、工藤も四五口径を抜いて後を追った。仰向けに倒れた男が息絶えていて、当時サラリーマンだった神崎が馬乗りになっていた。両手が血まみれで、隣には折れ曲がった傘と黒縁眼鏡が落ちていた。駆け寄った工藤が四五口径の銃口を向けると、古野はその手を横に払った。
『お前が殺してなかったら、両方殺ってた』
かろうじて飛び出した言葉。神崎は『ぶつかってきたから殺した』と言い、その容赦のなさを買われて一員になった。感情の起伏がなく、四年前に血まみれの手から顔を上げたとき以来、何も変わっていないように感じる。年齢は、三十歳ぐらいのはずだった。工藤は言った。
「久しぶりだな。調子はどうだ?」
神崎は口角を上げて、うなずいた。
「ぼちぼちです」
古野が神崎の方をちらりと見ると、仕切りなおすように言った。
「よし、仕事だ仕事」
紙ファイルに綴じた資料を工藤と垂水に向け、一ページ目を開く。建物の図面。二ページ目は建物の写真。古野は言った。
「明日の未明」
「急だな、根回しは済んでんのか?」
工藤が言うと、古野はファイルを閉じて差し出した。工藤はそれを受け取って、中身を見ずに垂水に手渡した。古野は頭の回転が速い。再編にも積極的に関わって口調も敬語になり、本人はほぼ『向こう側』の人間だ。
「工藤さんは、今から坂野と会ってください。缶詰工場です」
古野はそう言って、仕事が完了したように背もたれに体を預けた。神崎はその様子を横目でちらりと見ると、工藤に言った。
「大丈夫ですか?」
神崎を訓練して一人前に育て上げた古野の言葉を借りれば、神崎は生まれもって殺人用に調整された精密機械だ。身長百八十センチの恵まれた体格も相まって、身を守る方法と、人の急所を効率よく潰す方法を素早く学んだ。感情を見せることもなければ、迷うこともない。そうなるためには人の気持ちなど理解してはならないはずだが、時折こうやって超能力でも発動するように人の不安を見抜くことがある。工藤は苦笑いを浮かべると、コーヒーを一口飲んだ。
「俺の顔色は、そんなに悪いか?」
神崎は結論が出ないように首を傾げると、ココアを一口飲んだ。工藤は古野の方を向いて、言った。
「地域課のマルキューが殺られた」
「自殺でしょう?」
古野はそう即答して、工藤と垂水を交互に見た。垂水は初耳だったようで、ハンバーガーの柄に一瞬視線を落とした。工藤は黙って、他の三人の顔を代わる代わる見た。そう、自殺だろう。
「地域課ですか」
神崎は宙を見上げながら、呟いた。
「はあ、地域課っすか」
垂水が視線を上げながら言うと、短く刈り上げた頭を一度撫で付けた。
その様子を見た古野が、呆れたように笑った。
「オウムかよお前ら」
「行くぞ」
工藤がそう言って立ち上がり、三人が続いた。垂水がシーマに乗り込み、古野が駐車場の奥に消えていった。神崎がまだいることに気づいて、工藤は言った。
「お前、どうやって来た?」
「古野さんの車で」
「あいつ、先に行っちまったぞ」
「坂野さんと取引する間、見張れと言われてますんで」
工藤は諦めたように小さくため息をつくと、チェイサーに乗り込んだ。助手席に神崎が乗り込むなり、言った。