短編集36
ピエロの村
ピエロの村
――時間の流れを感じさせないところ――
そんなところが本当に存在するのだろうか。会社の同僚と呑みに行った時に出てきた話であるが、まったく違う空気の漂っている村があるらしい。
楽しければ時間があっという間に過ぎてしまうような錯覚に陥ってしまうし、悩んでいたりすると、時間に重たさを感じ、なかなか過ぎてくれないものである。規則的に時を刻むのが時間というもの、すべてが錯覚ではあるが、意識として残ってしまうと、それが自分の感覚になってしまうのだ。だからこそ同僚の話に興味があった。
学生時代から旅行が好きで、いつも気ままな一人旅をモットーとしていた。電車での移動がほとんどだったので、急に思い立って途中下車などしょっちゅうだったようだ。
学生時代の気ままな旅、思い出すと懐かしい。光山も学生時代にはよく一人旅をしたものだった。さすがに同僚ほどの行動力はなく、いきなり気に入った場所があるからといって途中下車をして、そのままそこに滞在するようなこともなかった。同僚と呑みに来るのが好きなのは、彼のそんな武勇伝を聞くことで、自分の学生時代が思い出されるからである。
今年で三十五歳になる光山は、まだ独身だった。会社ではなかなか休みも取れないほど忙しい毎日だったが、秋の人事異動で少し楽な部署への転属となった。立場的には中間管理職で変わりはないのだが、気分的に楽である。特に前の部署は勤務時間も不規則で、予定など立てても、
「予定は未定だからね」
としか言えない状態だった。
前の部署では、まとまった休みも取れなかったが、新しい部署に移って数日の休みが取れた。まず最初に考えたのはやはり旅行だった。
まとまった休みが取れても、一緒にいる相手がいるわけではない。付き合っている女性がいれば一緒に行きたいと思うのだろうが、気がつけば一人なのだ。一人で過ごす一日の長さを考えると、今までのギャップとで、何をしていいのか分からなくなるだろう。一番楽しい時間は、休みの前の晩だけかも知れない。
休みの前の日は夜更かしをした。以前から時間ができたら見ようと溜めていたテレビのロードショーの録画ビデオ、ビデオラックから引っ張り出して、ブラウン管に映し出す。
あれだけ楽しみにしていて、ゆっくり見たいと思っていたのに、流れる映像に目は引きつけられているが実際に意識して見ているわけではない。流れる映像を漠然と見ているだけで、意識している時間もごくわずかである。気がついて映像に集中しようとしても、すぐに意識が散漫になっている。何かいろいろなことが頭の中を駆け巡っているようだ。
忙しい時には、考える余裕などない。仕事ではいつもそうだった。一つのことに集中してしまうと他のことが見えなくなる性格は、光山にとってあまりありがたくないものである。
きっと注意力が散漫になるのだろう。元々管理職が似合うとは思っていなかった。一つのことに集中しコツコツとこなすことに長けている光山には、まわりを管理しなければならない立場が辛いだけにしか思えなかった。
――しばらく頑張れば、慣れてくるに違いない――
最初は誰だって戸惑うはずだと思えば、自分にだってできないはずはないと思って仕事をしてきた。だが、順応性に長けているわけではない光山には難しかった。光山の意図していないところでのトラブルも多く、部署内での立場が危うくなってきた。部署替えもそのあたりが起因していたに違いない。
ショックもあったが、それ以上にホッとしていた。今までの部署に比べればトラブルの多いところではない。時間的にも精神的にも余裕が持てる。それだけでも嬉しかった。
電車通勤をしているが、会社から駅までの足取りも軽やかである。前はまわりを見る余裕などない精神状態だったが、今は気持ちに余裕があるため、まわりの景色を再発見した気分になれる。意外と駅までの道のり、本屋があったり、喫茶店があったり、飲み屋があったりと立ち寄りたくなるようなところがいっぱいあるのには驚いた。
飲み屋の存在だけは意識していた。香ばしい匂いが風に誘われて香ってくるのだから、意識しない方がウソである。精神的にも時間的にも立ち寄る余裕などないにもかかわらず身体は正直で、お腹が鳴ってしまうのは分かっていた。いつも空腹と戦いながら飲み屋の前を通り過ぎていった。
――今なら時間的にも精神的にも余裕があるな――
と思っているが、いつでも行けると思っているとなかなか行かないものである。夏はビールや枝豆、冬は日本酒に鍋、想像しているだけで楽しい気分にさせられる。だが、何よりも光山は馴染みの店がほしかった。まるで家に帰ってきたような安心感を与えられ、少々酔っ払っても大丈夫なようにするには、家の近くの店がいいに決まっている。あまり呑めない光山は、そう考えていた。
駅前にある本屋に寄ることが多くなった。落ち着いた気分になると旅行に出かけたいと思うのは、自分がまだ若いと思っている証拠である。二十歳代を中心に仕事ばかりしていたので、落ち着いて考えてみるとついこの間大学を卒業したのではないかと思えるほどであった。
それまで趣味もなく過ごしてきたことに少し後悔しながらも、これからはもう少し趣味を持ちたいと思っている。今まで仕事に集中していた時間が無駄だったわけではないのに、後悔しているのは、無駄だったのと同じだと思えてならない。光山はそういう性格であった。
学生時代に好きだった旅行に行ってみたいと思うのも、その頃の自分を思い出したいと考えているからで、戻れるわけもないと分かっている。
ひょっとして過ぎてしまった時間に対する後悔がまたしても襲ってくるかも知れない。しかし、それでもリフレッシュした気持ちになれることの方が大切であった。
――新しい出会いがあるかも知れない――
今まで結婚しなかったのは、確かに仕事が忙しく、二十歳代は仕事を趣味のように考えていたが、役職に就いた途端、仕事に追われる立場になってしまった。どちらにしても出会いがなかったのは、仕事がすべてに影響していたのである。
本屋に寄るとガイドブックがところ狭しと並んでいる。それを手にとって見るが、さすがに旅行会社によって作られただけあって行ってみたいと思わせるだけの内容だ。
学生時代の気ままな旅を思い出していた。
予定も立てずに出かける気ままな旅、その日の宿だけ予約をしておいて、帰ってくる日も決めずに出かける。旅先で知り合った人に、
「次はどこに行くんですか?」
と尋ねて、自分が来た方向でなければ行動を共にする。
そんな旅行ばかりしていたのだ。
もちろん旅行から帰ってきても連絡を取り合っていた人はたくさんいた。友達がどんどん増えていくことが一種の快感でもあり、また旅に出る時の参考にもなるのだ。いくら気ままな旅とはいえ、いろいろな土地の情報を知っておくことは大切だった。知り合った人との会話の中で大切なウエイトを占めているのだと、光山は信じて疑わなかった。
本屋に行ってガイドブックを見るのは学生の頃から好きだった。社会人になってからは、仕事が第一だったことで、ガイドブックを見る気にもならなかった。