短編集36
ハト時計のある部屋
ハト時計のある部屋
「ポッポ、ポッポ……」
午前零時、いつものようにハト時計が時を知らせる。珍しもの好きの千恵子が一年前アンティークショップで見つけてきたものだ。
「まあ、ハト時計なんて珍しいわ」
店員が近寄ってきて、
「いかがですか? 今はこれ一個だけなんですよ。それほど音も大きくないので、静かな部屋に音が響き渡ることもありません」
そう言って、針をずらしてハトが出てくる時間に合わせてくれた。
なるほど、シーンと静まり返ったアンティークショップの中でも、それほど音が響くこともない。これから一人暮らしを始めようとする千恵子にとって、それほど気になるような大きな音ではない。
店は古道具屋という雰囲気から比べればかなり明るい雰囲気に設計されていた。照明も明るく、レイアウトもキチンと整理されていて、若い女性が一人で入っても別にその場に浮いて見えることもない。
だが、店員は少し暗めだった。声のトーンも低く、少し俯き加減で、何よりも千恵子の顔を見ようとはしない。販売員なのだから、普通なら相手の顔を見ながら商売するのだろうに、雰囲気の暗さは顔が見えないところから来ていた。
木造りで細部まで丁寧に彫りこまれているのを見ると、見れば見るほどほしくなってきた。
――ハトが私を呼んでいる――
出てきたハトと目が合った。丸い大きな目の中にあるさらに丸い黒い部分、見つめられていると思うと目が離せなくなる。気持ち悪くもあるが、今まで一人暮らしをしたことのない千恵子に、そこまで考えることはできなかった。
「これください」
最後まで顔を合わせようとしない店員にハト時計を渡すと、時計が少し小さく見えたのは気のせいだろうか。
一応、大きなものなので、配達してもらえることになっている。
千恵子は車を持っていない。当然配達してもらうことになった。
一人暮らしをする住まいはそれほど広い部屋ではない。本当はあまりいろいろなものは入らないので、結構計画を立てて購入もしている。
シックな部屋にしたいと思っていたので、アンティークショップに立ち寄ったのだが、生活必需品はすべて揃った上での計画だった。
生活必需品だけではあまりにも寂しいと感じるのは、千恵子にとって一人暮らしが初めてだからだ。ペットを飼うわけにもいかず、臭いが篭るのを嫌っていたので、小動物も難しい。
その頃はアンティークショップも結構あった。街を歩いていて意識しなければ気付かずに通りすぎていた。道を歩いている時、いつも何かを考えながら歩いている千恵子にとってはなおさら毎日歩く通勤路を気にすることなどほとんどない。
――店が変わっていても気付くだろうか――
とまで思う。
アンティークショップがいつからそこにあったのかあまり記憶にない。しかし、その日は最初からアンティークショップが見えていた。よく見ると、少しだけ通りからは奥まっていて、なるほど今まであまり気付かなかったのも頷ける。
こういう店は奥まっているものだろうか、遠慮深く作られている。なるべく目立たないような造りになっているのはオーナーの性格から来ているのかも知れない。
店を出るとすでに日が暮れていた。会社の帰りに立ち寄ったので、西日が差し込む時間に入ったアンティークショップ、時間でいえばちょうど「夕凪」の時間だったのかも知れない。
まわりがすべて灰色に見えてくる時間、それが「夕凪」の時間だと思っている。それだけに今まで目立たなかったアンティークショップが気になったのだろう。
どうやらその日は千恵子が最後の客だったようだ。ゆっくりとネオンサインを見ながら出口のそばで佇んでいると、シャッターの閉まる音が聞こえた。
――こんな時間に閉めちゃって、商売になっているのかしら――
と感じたほどだ。
アンティークショップに立ち寄ったことは今までにもあった。旅先ではよく立ち寄る。そんな時は必ずオルゴールのコーナーを見に行って、買うとすればオルゴールを買うくらいであった。
もちろん大きなものを買っても持って帰れないのだから、オルゴールに落ち着くのは当たり前で、その音色は店で聞くのと買って帰って部屋で聞くのとでは少し違う。それでも買ったことを後悔することなど一度もなかった。
部屋の模様替えが好きな千恵子は、自分が寂しい性格であることを分かっていた。時間があれば部屋の模様替え、付き合っている人もおらず、休みの日など部屋にいれば、絶えず部屋のレイアウトを気にするような女の子だった。
一年前に始めた一人暮らし、やっと部屋の雰囲気にも慣れてきて、それほど模様替えを頻繁にすることもなくなった。部屋にいてビデオを見たり、本を読んだりと、それなりに自分の時間の使い方も分かってきた。
千恵子にとって仕事は生活をするためだけのものだけではなかった。短大でデザインの勉強をして、今はそれを生かした仕事ができている。なかなか学生時代に勉強したことを生かして仕事ができている人が少ない中で、千恵子は自分が幸せだと思っている。
元々自信過剰なところがある千恵子なだけに、仕事での自分にはかなりの自信を持っていた。人から後ろ指を差されることを嫌って、懸命に勉強を重ねながら絶えず上を向いての仕事を心がけていたのである。
何が嫌といって、自分のやり方を人からとやかく言われることである。とやかく言う連中の多くは妬みや、自分の中途半端な自信を鼻にかけている連中だけだと思っていた。そんな連中に負けるはずはないと自負している千恵子は、まわりとの仕事のレベルのギャップに悩むこともあった。
――どうしてこんなくだらない企画しか出せない連中と仕事しなきゃいけないの――
そんな時の千恵子はまさにキャリヤウーマン、中学生の頃であれば自分が一番嫌いなタイプの女性だったことを完全に忘れてしまっている。
一人暮らしを始めたのもそのあたりに起因している。
――一人でいる方が、自分を見つめることができて、それが仕事をするに当たって一番いいことなんだ――
と思っていたからだ。
一年前までの千恵子はとにかく仕事第一、少し精神的に変わりつつあるが、今でも基本的にその姿勢は変わっていない。だが、一人暮らしが与える生活のリズムは、仕事にも若干影響していることは間違いないようで、何がどのように影響しているかまでは分からないが、仕事をしていて気がつけば他のことを考えていたなどということも少なくはない。
――この私にして気が散るなんて――
今までの千恵子からすれば屈辱的な思いだ。なぜそんなことになったのだろうか、見当もつかない。
元々子供の頃は何をするにも自分に自信を持てない方だった。
まわりの人が皆自分よりも偉く見えて、親や先生から怒られるのも仕方のないことだと思ってきた。
自分が人に説教できるほどの大人になれるなど信じられなかったほどで、
――子供だから仕方がない――
という思いをすっと抱いていた。
中学になっても自分に自信が持てない。それだけに自覚が芽生えるはずもない。友達が少なかったのも人からいろいろ言われるのが嫌だったからだ。