夕霧
7 母の足跡
翌朝、夕子はまだ暗いうちに家を出た。
昨夜は確信まで持った孝子という女性の存在だったが、始発電車に揺られているうちにあれは自分の空想にすぎないのではないだろうか、という疑問が心の中に広がってきた。こうであってほしい、という願望が作り上げた単なる妄想かもしれない。今向かっている住所に孝子がいる、なんてそんな都合のいいことがあるだろうか――そんな不安と戦っているうちに、夕子は目的の駅に着いた。
駅を出ると、かろうじて広場らしきものがあり、その先には小さな商店街が続いていた。まだ朝早いためか店は閉まり、人通りもない。そんな中、夕子は立ち止まって昨夜のメモを取り出した。
そこに書き出された所番地の組み合わせは三通りあった。一つ一つ当たってもわけはない。先ほどまでの不安をかき消し、気持ちを奮い立たせ歩き出した。仮に、志津子と孝子が夕子の想像するような関係にあったとしても、今でもその孝子がその場所にいるとは限らない。母の死から長い年月が流れている。
まず、一軒目は駐車場になっていた。もしここが正解だとしたら、道は完全に閉ざされる。
次に希望を託し、二軒目に向かった。そこには建物はあったが別人の表札がかかっていた。孝子の後に引っ越してきた可能性もあるが、そのことを尋ねるにはこの早朝の時間というのがはばかられた。ここは後回しにすることにして、最後の場所へ先に行くことにした。
そこには古い家が建っていた。そして、壊れかけている郵便受けにはかすれた文字で『間中』と書かれている。
(あった! ここだ! 本当に母は孝子という友人の存在を私に言い遺したのだ――)
夕子は、心臓の鼓動を落ち着かせてから、呼び鈴を押した。が、音が鳴らない。壊れているみたいだった。しかたなく、ノックしてみた。それでも反応がない。朝早いということが再度のノックをためらわせた。
(出直そうか……)
そう思った時、いきなりドアが開いた。
中から顔をのぞかせたのは、中年の女性だった。母が生きていればこのくらいだろうと思われるその女性を見て、夕子は孝子だと確信した。
「どなた?」
「朝早くからすみません。私は高瀬夕子、高瀬志津子の娘です」
夕子は、母の名前を聞いて孝子がどんなに喜ぶだろうと、満面の笑みでその女性を見つめた。
ところがその女は、表情一つ変えずこう言った。
「高瀬さん? 知らないわね」
思いもしない反応に、大概のことでは動じない夕子も面喰った。
(人違いだろうか? いや、間中などという姓がそんなにあるわけはない。この人は間違いなく母の親友の間中孝子だ)
すぐに冷静さを取り戻し、続けた。
「弟のことをお聞きしたくて来ました」
「弟さん? あなたの弟さんを私が知るわけないでしょ」
そう答えて、ドアを閉めようとする女に夕子が言った。
「モナカアイスはお好きですか?」
女の表情が一瞬で変わった。そして、辺りを見回してから、夕子の腕を取って家の中に入れた。