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夕霧

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22 無謀


「社長の状態はどうだい?」
 朝、病院に出勤し、午後、一度社に戻って入院中の社長と会社との連絡役を果たしている夕子を捕まえて、新田が尋ねた。
「ええ、だいぶ落ち着いてこられた感じです。ただ、検査結果がでたようでそれが気がかりです。ご高齢ですから」
「そうだな、ところで時間があればお茶でもどうかな?」
「はい、でもこれから社長のご自宅に寄らなければならないのですみません」
「君、自宅へ行ったことがあるの?」
「いいえ、今日が初めてです」
「じゃあ、僕が案内するよ」
「ありがとうございます」

 道すがら、夕子が尋ねた。
「奥さまってどんな方ですか?」
「社長の陰に隠れていて、目立たない人だよ。もっともあの社長と対等に話せる人なんてそうはいないだろうけど」
(世話になった母は、なおさら言うがままに従ったことだろう)
「ところで、自宅へは何か取りに行くのかい? 社長の使いだろ?」
「いいえ、奥さまにご挨拶をして、社長のご様子を報告に伺います。ドクターからの伝言もありますから」
「それって、まさか社長に無断て言うわけじゃないよね?」
「そんなこと申し上げたら、社長が了解すると思いますか?」
「ええ!!」
「関わるのがお困りでしたらどうぞ新田さんはお引き取りください。私はひとりで大丈夫ですから」
 
 
 これぞ日本家屋というような、まるで老舗の宿のたたずまいの屋敷だった。その玄関を入ってすぐの簡単な来客用の部屋で夕子と新田は待たされた。そして、しばらくすると、品のいい着物姿の年配の女性が現れた。二人はさっと立ち上がりその社長婦人を迎えた。
「おひさしぶりです、奥さま。この度は社長のことでご心労のことと思いますが大丈夫ですか?」
「ありがとう、新田さん。ま、お座りになって。
 ところでこちらは?」
「初めまして、秘書見習いで今は入院中の社長のお世話をさせていただいております高瀬夕子です」
 そう言って一礼した。
「夕子さん、掛けさせてもらおう」
 二人は緊張した面持ちで着席した。
「ああ、あなたが主人に付いていて下さっている方ね。ご苦労さま」
「社長は、いろいろな検査を受けられました。安静にしておられるせいかお顔色もよく、お食事の量も増えてきました」
「そう、それはよかったわ。それで今日は主人から何かことづかって来たんでしょ? 何かしら?」
「いいえ、私の個人的なお願いがあって参りました」
 夫人と新田は思わず顔を見合わせた。
「おい、何を言い出すんだい!」
 制止する新田の言葉を振り切って、夕子は続けた。
「初めてお会いして不躾なことを申し上げるようですが、どうかお許しください。
 奥様、どうかお見舞いにいらしていただけないでしょうか? いいえ、お見舞いではなく社長に付き添っていただきたいのです。失礼ですがご夫婦なら当然のことだと思います。たとえ裕福でも地位があっても、体が弱った時に近くで支えるのは身内です」
 予想もしない訪問者の言葉に驚きながらも、社長夫人の貴美子は冷静に対応した。
「それはそうね。でも、あなたは主人を知らないからそんなことが言えるのよ。私などがしゃしゃり出たら大変。あの人は普通ではないの」
「それでしたら、普通のご主人に変えて差し上げて下さい」
「だから、あなたは何もわかっていないのよ!」
 それまでの表情とは一転して貴美子は厳しい視線を投げつけた。それでも臆することなく、夕子は静かに続けた。
「奥様、社長のご年齢からしても時間は限られているかと思います。その中でごく当たり前の家族の温かさを感じていただきたいのです。どうか奥さまの深いお心で包んで差しあげて下さい。
 差し出がましいことを申し上げていることは重々承知しています。ですが、どうか聞いてください。
 過去がどうあれ、そんなことは忘れて、ここまでお近くで歩んでこられたご主人に向き合ってください。そして、どんな言葉を投げつけられてもひるむことなく、温かい言葉を返してあげて下さい。長期戦になるでしょう、もしかしたら……もしかしたら無駄なことになるかもしれません。それでも、それでも……」
 最後は涙声だった。

「あなた、ただの社員ではないわね?」
 夕子の顔をじっと見つめながら、貴美子が尋ねた。
「はい、こちらのお宅とは少なからずご縁があります。
 私が生まれて間もなく、父は事業の借金を残して亡くなりました。幼い私を抱え途方に暮れた母を、社長が助けて下さったそうです。私がそれを知ったのはつい最近のことです。社長が借金を肩代わりしてくださったことで私たち親子は助かることができたのです。でも……でもその代わりに母は自由を失いました……
 その母はとうに亡くなりましたが、事実を知った時、娘の私としましてはとても複雑な思いがありました。
 でも、年老いて、ベッドに横たわる社長のお姿を目の当たりにして、考えが変わりました。受け入れ難かった仕打ちは忘れて、良くしていただいたことだけを思い、恩を返せないかと」
 貴美子は、もう何も言わずただ黙って聞いていた。
「私は先日、涼介さんともお会いしてお話させていただきました。涼介さんはきっと会社に戻り、後を継いでくださると思います。ただそれには、社長の頑なな誰をも寄せ付けないところを改めていただかなければなりません。頑固なご老人ほどその殻は固いかもしれません。でも、家族みんなで協力しあえば、必ず思いは通じると思います」
「『北風と太陽』っていうわけか……おっと失礼」
 思わず口を挟んだ新田はバツが悪そうに引き下がった。
「その前に奥さま、主治医の先生が奥さまをお呼びです。それが今日こちらに伺った一番の要件ですが、この機会を置いて他にはないと思い、私の思いを先に伝えさせていただきました」

作品名:夕霧 作家名:鏡湖