夕霧
16 社外情報
秋月機械はこの町で唯一の機械メーカーである。そして、この町で得意先といえば、ほとんどが稲村繊維、あるいはその子会社になる。
稲村繊維が急成長を遂げていた時には多くの機械の受注を受け、秋月機械も同様に会社を拡張した。そんな深い関係であったが、実務一筋の徳次郎と、人情派の哲次とはウマが合うわけもなく、ビジネスライクの関係を長年通してきた。それは数年前、子ども同士の結婚により親戚関係になっても変わらなかった。
そして、稲村繊維の業績が頭打ちになった昨今は、新しい機械の納入はぐっと減り、秋月機械はメンテナンスが主な仕事となってきた。徳次郎がすべてをなげうって一代で築き上げた会社も、そのワンマンぶりがあだとなり、時代に乗り遅れた格好だ。とはいえ、この町ではまだまだ大きな影響力を持ち、城主として君臨している。
その稲村繊維の機械を一手に引き受ける秋月機械はいわば家老のような存在である。以前ほどの勢いはないとはいえ、メンテナンスだけでも十分会社はやっていける。
営業部の仕事は主に、得意先からのメンテナンスの依頼を担当部署に伝達すること、修理状況の把握、つまり現場との連絡役だ。営業と言っても、ライバル社がないも同然なので世間一般の営業職とは意味合いが異なるのだ。
涼介は三社の得意先の担当になり、先輩社員について回った。三社と言ってもその中の一つは先日まで勤めていた親の会社、稲村繊維で、残りの二社はもちろんその子会社だ。
ひと月がたち一人立ちしたある日、作業に関する打ち合わせで稲村繊維に呼びだされた。そこで、稲村繊維で同期だった藤本にバッタリ会った。
「よ、若社長、秋本機械に出向になったんだってな。それも社長業への修業か?」
藤本は涼介のことを以前から若社長と呼んでいた。
「…………」
「でもおまえ、うかうかしていたらまずいんじゃないか? そうだ、少しは時間あるんだろ?」
藤本はあたりを見渡して涼介を社外へ連れ出し、近くの喫茶店に入った。
「俺、実はこの前、大変なことを聞いてしまったんだ」
もったいぶったように藤本はそこでコーヒーを口にした。
「あれは三日ほど前だったかな、食後の一服をしようと喫煙室へ向かったんだ。近くまで来るとタバコのにおいが漂ってきた。変だなと思って見ると、喫煙室のドアがかすかに開いているじゃないか。それで中から煙とともに誰かの話し声が漏れてきていたんだ。思わずその場に立ち止まってしまったよ。
手がかりはまだか? とか断片的なことがかすかに聞こえただけだったが、それを繋ぎ合わせると大変な話だと気づいて、慌ててその場を離れたよ。
俺の推理では、社長には外に隠し子がいるが、行方が分からない、そして今、必死にその子の行方を探している、ま、こんなところだ。どうだ、凄い話だろ!
つまり、おまえが後継者となることに何か問題でも起きているんじゃないか? おまえには早く知らせてやらなきゃと思っていたんだ。今日会えてよかったよ。
出向先で力を見せつけるなり、早く戻って親父さんの機嫌を取るなりしないと、異母兄弟に次期社長の座を乗っ取られてしまうぜ」
その話を黙って聞いていた涼介は、興奮気味に話す藤本をたしなめた。
「勝手なことばかりよく並べたもんだ。すべてお前の空想だろ? お前の推理なんて当てになるものか」
そうは言ったものの、涼介の心中は穏やかではなかった。社長の座などに未練はないはずだったが、もし藤本の言う通りだとしたら……
藤本と別れて、改めて稲村繊維を訪れた涼介は、担当者から機械の調子を聞いてメンテナンスの必要の有無などを書類に記入し、仕事を終えた。だが、さっきの藤本の話が頭から離れない。誰か顔見知りに出会わないかと、ロビーで待ち合わせを装いしばらく座っていた。するとそこへ新田が現れた。社長付きの新田と出会うとは、これ以上の相手はいない。
涼介に気がついた新田が、足を止めて尋ねた。
「涼介さん、誰かとお待ち合わせですか?」
「いや、秋月の仕事で来たんだけど、ちょっと気になる話を聞いて、君を待っていたんだ」
別に新田を待っていたわけではないが、まったくの嘘でもない。
「親父が人探しをしていると聞いたが本当かい?」
涼介は新田に近づき、声をひそめ尋ねた。
「あ、はい……そのようです」
「僕の異母兄弟と聞いたが、それも事実かい?」
「それは……」
「君に聞いたなんて言わないよ。そもそも、別に教えてくれた奴がいて、その確認をしたいだけだ」
「はあ、詳しくはわかりませんがそのようです。ただ」
「ただ?」
「その方のお姉さんが先日からこちらで働いています」
「なんだって! もうひとり、父には子どもがいたのか!」
「いいえ、その娘さんは連れ子だそうです」
「その人に会いたい、今どこいるかわかるか?」
「はい、私の部下ですので社内にいます」