小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

夕霧

INDEX|14ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

14 天涯孤独


『メールアドレスありがとう
 夕子さんが初めてのメル友です
 聡君のため、お父さんの会社に就職したとのこと、ちょっと心配です
 志津子があれほどまで縁を切りたがっていたところへ、自ら乗り込むというのですから
 でも、何があっても私は夕子さんの味方です
 何でも話してください
 何のお役にも立てませんが、遠くから応援させてもらいます』
 
 手紙を受け取ったあの日、孝子は、夕子にそう返信した。
 思えば、あの町から追われてすぐに始まった志津子との文通。それが途絶えてもう十年になるだろうか。何か事情があるのだろうと心配はしていたが、まさか亡くなっていたとは……
 
 
 父の事件以来、親戚は縁を切り去って行った。パート先でも友人はできなかった。いや作らなかったのだ。過去がわかればみんな去って行くに決まっている、それが怖かった。
 小さな町というのは良い時はとても良い。みな温かく互いを気遣う。でも、一たび事が起これば、まるで別人の集団に変わる。それがたとえ、父のようにある意味降りかかった災難のようなものであっても、人が亡くなっている、という事実は何にもまして大きい。どのような経緯があったかは問題ではない、人を殺めれば悪人なのだ。そんな実直で頑なな風土が根付いていた。
 新しい場所で、親子三人の暮らしが始まった。しかし、孝子が中学を卒業する頃母が病に倒れた。その看病に追われているうちに父が先亡くなった。心労からだろう。そして後を追うように母も。
 唯一の家族である両親もいなくなり本当の孤独の淵に立たされた時、突然志津子が幼い子ども二人を連れて訪ねてきたのだ。そして、たまたま父の件で居合わせた弁護士にすべてを託すことになった。あれは幸運としか言いようがない。女二人いくら考えてもいい案なんて浮かぶはずないのだから。
 二人は弁護士の言う通りにすることにした。そして、その夜は孝子の部屋で簡単な夕食を食べ、ともに休んだ。むろん積もる話はあるのだが、赤ん坊や幼子の世話に追われ、ろくに話もできずに朝を迎えた。
 そして、朝早く人目に付かないよう志津子は聡を置き、夕子とともに帰って行った。志津子は腕に残る聡の感触と、こぼれ落ちそうな涙と闘いながら、振り返ることなく夕子の手をひいてただひたすら歩いた。志津子にとってこれが、友との最後の再会であり、息子との今生の別れとなった。
 
 そして、それからひと月後、孝子のところに孝子が怖れていた弁護士からの連絡が入った。預かり世話をしているうちに、孝子は聡に深い情が湧いてしまったのだ。そして、聡を取り上げられる日が来ることを、孝子はいつしか怖れるようなっていた。
 結婚も出産も諦めていた孝子にとって、母になったように思えた貴重なこの時間は、そのまま引き取って育てたいという強い欲求と闘った時間でもあった。でも、それは許されないこと、それでは意味がないのだ。志津子とまったく縁もゆかりもないところでなければ、この子は幸せになれない。少なくとも母親の志津子はそう考えているのだから。
 
 たったひと月預かった子ですらこんなに手放すのが辛いのだから、生みの母である志津子の思いはどんなであっただろうと、あらためて親友の苦悩を悟った。
 弁護士から委託された関係者が聡を引き取りに来た時のことは生涯忘れられない。まるでわが子から引き離されたようで、孝子はその夜一晩泣き明かした。
 
 時は流れ、パート先で一人の男性と親しくなった。人並みに生まれて初めてできた恋人だった。ところが、どこからか素性が知れたのだろう、その男は去って行った。こうなることが怖くて人との付き合いを避けてきたのに、どうして夢を見てしまったのだろう、と自分を責めるしかなかった。四十を少し過ぎたが、自分も聡のような赤ん坊を抱けるかもしれない、いや抱きたいという欲求に負けてしまったのかもしれない。孝子は激しく後悔し、そして、足はあの神社に向かった。
 
 神社に着くと、一人の若い宮司が社務所にいた。一目で聡だとわかった。志津子の子どもの頃の面影が残っていたからだ。立派に育った聡を目の当たりにして、涙が溢れた。お守りを買い求める参拝者の涙を不審に思い、聡が声をかけた。
「どうかされましたか?」
「あ、いいえ、先日母を亡くしたばかりで……急に涙がこみ上げることがあるんですよ」
 まさか、成長したあなたを見ることができて感情が抑えられなくなった、とは言えない。
「そうですか、それはお力落としですね。こちらの絵馬にお母さまへお気持ちを伝えられたらいかがでしょう? これは私からのご供養の気持ちとさせていただきます」
 そう言って、聡はお守りとともに絵馬を差し出した。
「ありがとうございます」
 思いもよらぬ展開に、孝子は狼狽した。しかし、素直にそれをいただき、丁寧に頭を下げた。涙が頬を伝った。
 絵馬には、聡ちゃんが幸せでありますように、としたため、幾つもの絵馬がかかっている隅の奥の方に目立たぬようにかけた。
 
 あの時、夕子にはただお守りを買った事だけを伝え、この話をしそびれた。いや、自分と聡ふたりだけの出来事として誰にも話したくなかったのかもしれない。

作品名:夕霧 作家名:鏡湖