永遠の保障
彼女が何を言いたいのか、すぐには分からず、少し曖昧な返事をしたが、彼女にそのあいまいさが伝わったであろうか?
「中心はあなたの意見。そのまわりに何人いたかということなんだけど、たとえば五人いたとしましょうか。問題はあなたの意見なんだから、問題になっているあなたの意見というのは五分の一に相当するのよね。もちろん、他の四人が皆あなたの意見に反対だったとすればね」
「ええ、そういうことになるわね」
「でも、他の人が皆同じ意見を持っているとは限らない。ただあなたと反対の意見だと言ったとしても、四人が同じであれば、二十対八十で、あなたの意見は思い込みにしかならないのよね。だけど、他の人は全員違う考えだったら、他の人もみんな思い込みになってしまうんじゃないかしら? 自分の意見が突出してしまっているから、反対意見という曖昧な意見が全体を占めてしまう。逆にいうと、反対意見があれば、それをハッキリと口にして、まわりに意思表示しないのであれば、それは意見ではない。ただ反対するだけでは説得力には欠けるということね」
なんとなくではあるが、友達の言いたいことは分かった気がした。
実際には当たり前のことを話しているのだが、当たり前すぎて説明が却って難しくなってしまうこともある。彩香はこの時の話で、そう感じたのだった。
その頃から、彩香は思い込みについて、いろいろ考えるようになった。自分が気が付けば何かを考えている時も、無意識の中に、思い込みという発想を抱いて意識しているのかも知れない。
彩香は、大学時代には文学部に所属し、いずれは出版社に就職したいと思うようになっていた。
中学時代にポエムを書くのが好きだった。メルヘンチックなポエムを書いては、ネットにアップしたりして、それなりに評価を受けていた。もちろん、素人サイトで中学生の書くメルヘンポエムなので、賛同者は同年代だったり、主婦層だったりしたが、それでも人から認められるのが嬉しかった。
大学に入ると、文芸サークルに所属していたが、演芸サークルの友達からのお願いで、
「ごめん、脚本を書いてほしいのよ」
と頼まれたことがあった。
彩香はそれまでシナリオなど書いたことはなかった。興味はあったが、
――私にはできっこないわ――
と思ったからで、基本すら分かっていなかった。
だが、友達のサークルでシナリオを書いていた人が急に病気で入院することになり、シナリオを書く人がいなくなり、サークル活動ができなくなったというのだ。毎年恒例の舞台が控えているということで困っていた。
彩香は困っている人を見ると放ってはおけない性格であることから、何とかしてあげたいという思いもあった。それ以上に友達の顔を見ていると、後ろ髪をひかれる気持ちになっていた。
――寝つきが悪いわ――
気になったらどうしようもなく気になってしまう性格でもあり、そのうちに、彩香特有の開き直りの状態になった。
――どうせ失うものなんか何もないんだわ。ダメでもともと――
と感じ、依頼してきた友達には、
「ダメ元だからね。どうなっても知らないわよ」
と、半分脅しに近い捨て台詞を浴びせたが、彼女はそれでも喜んでいるようで、
「ええ、もちろんよ。あなたが引き受けてくれるというだけで私は嬉しいんだからね」
と言ってくれた。
それで彩香は吹っ切れた。
「分かった。じゃあ引き受けてあげる」
と、恩着せがましくもそういうと、
「ありがとう。感激だわ」
と感激してくれる有様だった。
彩香には、責任感とうまく行った時の達成感の両方を味わうことができる。だが、その正反対ともいえる感情を抱くことはできない。だったら、ポジティブに考えて、うまく行った時の達成感を感じながらシナリオ作業に取り掛かる方がいいに決まっている。彩香は演劇部の先輩で、すでに引退し、就職も決まっている先輩という人の助言を受けて、そこからシナリオ作成に取り掛かることにした。
先輩は優しく指導してくれた。
「彩香さんは、さすがポエムを書いていた経験があるというだけに、セリフや情景を思い浮かべる感性には長けているわね。だから、あなたには、感性的なことを指導することはありません。あくまでも基本的なところだけ指導すれば、あとはあなたがやりたいようにすればいいのよ」
と言って、書き方などの初歩を教えてくれただけだった。
彩香は先輩の、
「あなたがやりたいようにやればいい」
という言葉を思い浮かべていた。
普通に考えれば、やりたいようにやればいいというのは、自由な発想で奔放になれればいいだけのことなのだろうが、実際には自由奔放にやればいいというのは、これほど難しいことはない。テーマが決まっている方が限られた時間で絞りあげるにはありがたいことであった。
だが、彩香はここでも、
――自由にできるというのは、自分を信頼してくれているからだわ――
と考えたことで、思ったよりも大きな壁にぶつかることなく作品を作り上げることができた。
もちろん、第一稿を作り上げた後、実際に演劇としてリハーサルを行っているうちに少しずつ修正が入っていくのも仕方のないことだった。それも、彩香がその後もシナリオを作成する機会があるかということにも結びついていき、処女作が無難に公開され、それなりの評価を受けたことは、彩香にとって大きな自信につながったのだ。
彩香は、それから数作品を作り、演劇部になくてはならない存在になっていたが、そのうちに入院していた演劇部のシナリオ担当の部員が復帰してくると、彩香は、
「これで私の役目も終わりね」
と言って、潔く演劇部を去って行った。
もちろん、ほとんどの部員は、
「何もあなたが辞めることはないのよ。ここまで一緒にやってきたんだから、これからも一緒にやっていきましょう」
と言って引き止めてくれたが、彩香の中では最初から、
――シナリオ担当の彼女が復帰するまで――
と心に決めていたようだ。
文芸サークルに戻った彼女は、それから小説を書くようになった。ポエムではすでに物足りなくなり、かといってシナリオは演劇部のために書いていたからだった。
小説というのは、情景やセリフだけではなく、それよりも登場人物の精神状態や、まわりとの関係を心の中での言葉として表現することができる。ポエムでもできるが、文字が限られていることで物足りなく感じていて、シナリオは人間の心の移り変わりや精神状態などを言葉で表すことはできず、そのために表現したいことに限界があると考えたのだ。
もっとも、シナリオの場合は小説と違って、一人でできるものではない。自分が書いたシナリオを演じてくれる人が必要なのだ。
もちろん、シナリオライターと演じる役者との間の意思の相違を纏めるために、監督やプロデューサーなども必要になる。それだけに完成した時の達成感も大きいのだろうが、演劇部を去った彩香には、一人で表現する小説という分野がちょうどよかった。
いや、ちょうどいいなどという言い方は自分を偽っている。小説こそ自分の意見を最大に表現できるものはないと言えるだろう。
――思い込みがやっと発揮できる場所だわ――
と感じた。