雷鳴と雷鳥
猫はずっと雨の落ちる様子を見ている。赤い橋の上を見上げ、雨に濡れる自分には全く興味がないようだった。尻尾はピンと張っているが、それも自分でない何かに向けた緊張のようだった。
猫が突然鳴いた。それまで表情を変えず上を見上げていた。その顔が一気にクシャっと歪み、低くのどを鳴らしながら鳴いたのだ。明らかに何かがそこにいる。
雨はやまない。傘を持たない私と猫は延々と雨に濡れていく。鞄は水気を吸って重くなり、きっと中の紙はインクが滲んでいるだろう。判別不能になるまで滲むことはないだろうが。読みにくい文字の羅列を注意深く読み解くには時間と労力が必要になる。
そういう面倒なことが雨に濡れることによって生じるが、私はどうもこの猫への興味が薄れず、雨に濡れることを嫌とは感じない。地蔵の小屋に入り、雨宿りをする気分ではない。猫と共に雨に濡れ、何かの訪れを待っている。
何かを待っている、無自覚ながらそう感じ取れると頭にあの霹靂が見えた。この暗い夜空。星はもちろん雨雲によって見えないから、純粋な稲光が見えるだろう。都会の電気の余韻など無力化するほどの稲光と、こびりつき始めた雨音を払拭するほどの霹靂。空一面から私めがけて圧縮されて飛んでくるのだ。
猫は怒っているのだろうか。あの顔つきは怒りの時のもの。もしくは威嚇するときに見た覚えがある。叔母から送られてきたチナはいつも笑顔だった。怒った顔をわざわざ送り付ける人ではなかった。
猫は表情を一瞬緩めたかと思うと突然走り出した。その初速の速さは私の体の重心を揺さぶり、頭の中で頭蓋骨以外の味噌が混ざり合感覚に襲われた。猫は私の足の間を颯爽と駆け抜け、雨はその猫を避けている。私が猫を追うために振り向くと背中側に熱さを感じた。それは火や炎による熱傷的な熱さではなく、電球から微量に出される熱に似ていた。その微量な熱が一気に放出されたような。それも一点ではなく、面で伝わる、霹靂のような熱さだった。
同時に光も感じた。光は私の体を透過し、眼下に私のシルエット影として作っている。夜の濃さを一瞬だけ薄くさせている。その稲光は一つではなく、さらに一瞬のものではなく、連続して落ちてくるその様子は落雷の瞬間をとらえた無数の写真を連続して入れ替えているようなものだった。落雷の着地点はすこし遠くにあったが、天候において視覚はほとんど役に立たない。
その異様な集中的な落雷も不思議だが、それ以上に雷鳴が一切聞こえないのが不思議というより、不気味であった。また、恐怖だった。これほど大量の落雷の雷鳴が一切聞こえない。相当距離が離れており、音速と高速の差から生じる爆音の誤差。それが積み重なりやってくる。
猫はこれを察知して逃げ出したのか。私は両耳を両手でふさぎ、猫を追った。猫は素早く、向こう側の赤い橋にもういた。雨が降っているから、赤い橋は表面の色合いを風化させ上曇って見える。空の隙間から雲が見え、その輪郭が赤く染まっていた。
猫のいる赤い橋までやってくると猫は雨に打たれながら礼儀正しく座っていた。黒猫の毛はすっかり濡れきっていて体重は二倍ほどになっていそうだった。その猫のか細い体のシルエットは雨天時特有のもので、赤い橋の風景にしっかりとはまっている。
そんなことより雷鳴。きっと雷鳴の群れは霹靂となる。一丸となった爆音は繰り返される雷鳴の数倍は重い。
ところで猫はどうしてここに来たのだろうか。霹靂を遮るものはここにはない。赤い橋が何か特殊なバリアに囲まれているという突拍子もないことは起きない。魔法は存在しないし、突然雷雨が止むこともない。
猫の横に立ち、猫が見上げる方角を見る。ちょうど猫は橋の中央に座っており、右の耳と左の耳は左右対称になっている。模様が一切ない黒猫は橋の中央で同じ半身になりそうだった。
猫の耳に惹かれているとその下の目に驚いた。怒っている。表情は先ほどの威嚇のものと同じようだった。目の皴と口元に見える黄色く染まった歯並びが威嚇の対象に向けられている。猫の視線はずいぶん高い所にあり、雨が降る雲に向けられている。私は視線の高さが猫と自分とかなり差があり、どうも同じ目線にならなくてはならないように思えて、その場にしゃがんだ。雨に流され小さな砂粒が赤い橋の隅に向かって流れていく。膝が地面にあたり、雨の残骸が瞬間的に冷たさを持ってきたが、全身濡れた私の痛覚及び感覚は晴天の時のそれとはまるで違うものに変えられているのだ。膝が濡れる程度のことに気を割くような神経は残っていない。
それはつまり現代人の意識の一部を失っているということになるだろう。東京の駅前で雨に濡れた膝をそのままの意識を保って歩く人間はいない。
赤い橋の向こう岸の空中、そこにやたら黒い雲が漂っていて、その色や不気味さは雨の中でも異様なほど鮮明に見えた。その雲は全く動かず、周りのゆっくりと動く雨雲に混じる違和感だった。猫はずっとそれを見ている。横に伏せた私には全く気を向けない。
雨が強くなったと思うと黒い雲から何かが落ちてきた。それは雨粒でもなく、雹や霰でもない。もっと明るいそれは落下した後ろに箒星のような残光を持っていた。隕石の落下でもなさそうで、どこか生物的なものを感じている。
猫はその落下物に向かって威嚇している。雨に濡れ、小さくなった体で煌びやかに落下してくる幻想的な光。それは突然降りだした雨の風景の波長に何とも合いそうで、天空橋一帯の神秘的な空気をさらに強くさせた。赤い夕焼けの恐怖すら抱かせるその色合いのようなものが暗い雨景色にもあった。
この景色は踏切の時のものとは異なり、どちらの雨を好むかは人によるだろうが、この暗い雨景色を一人、いや正しくは一人と一匹で傍観するという優越感に浸るような体験はそうできることではない。
さらにあの落下物。それはいつまでも
空中を落下している。物理法則を無視した力が地面から発せられているかのように、着地してこない。その落下のスピードも衰えることなく、増すこともなく、ただずっと落下している。
しばらく雨に紛れて落下する発行物体を見ていると、あの多発した稲光の雷鳴の存在を思い出した。耳を完全に塞いでいたことはない。開かれた耳には雷鳴の轟くというものが届いていない。どこかで雷鳴がふつと消えた。
それはつまり音を伴わない雷だ。霹靂は人体の細胞一つ一つを刺激し、感動に似た心を全身の血液の沸騰を通じて体感させる。それを一切伴わない閃光がただただ人の網膜に刻まれ、記憶のページに書き込まれる。
人はまず声を忘れる。音を忘れる。音をそもそも伴わない落雷はどう記憶に残るだろうか。鮮明に、不鮮明に、映像的に、色彩的に。記憶を振り返ることはまだできないが、この無音の閃光が特別なものとして残ることは簡単に想像できる。
あの壮大な閃光よりもか弱い落下物の光。雷雲に換算して瓶に詰め込んでもきっと小さな落雷を起こすだけだろう。それでも猫は威嚇している。
猫が威嚇を止め、私の体に寄り添ってきた。雨に濡れ、冷えた体を暖めたいのだろう。その体温を通して猫の本音が流れ込んでくることは科学的にありえない。