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雷鳴と雷鳥

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 空の異様な光景は私に妄想を働かせる。そして優越感に似たもので体を包みこむのだ。それはちょうどシャボン玉に似ている。空中に放たれた薄い膜を持った小さな空洞。
 赤い橋にはすぐ着いた。そして面白いことにその赤い橋の反対側の岸には工場らしいものが一つあるだけで一般人には全く必要がないものだった。そういう限定的な橋が見事な色をもち、天空と名付けられた橋は何とも地味な色を持つことが実に面白く、私は赤い橋の傍にいた猫を撫でながらしばらくここにいようと思い、鞄をそばにあったベンチに置いた。そのベンチが今にも崩れそうな色をしている。煙草の吸殻がいくつか地面には落ちていた。
 
 
 その猫は飼い猫ではないようで、黒い体は夕焼けに染まることはない。どんなに強力な光でも黒い毛並みが強調されるだけでその色自体が変わることはない。そういう種類の猫だった。
 その猫は魚を狙っているのか橋の上から川を見ている。その水質はおそらく海と同様で、川というにはきっと塩辛い。それでも橋が何本も架かっていることで、その塩水は川となる。
 空は猫が見ている川にも映り込み、その不思議な色が川に混じるのだが、次第に川が黒くなっていくのが分かる。水に混じった有色がやってきた波によってさらに混ぜられていくが、空の景色を分解するほどの強い波はないようで、ざわつく川面には確かに景色が残っていた。
 猫は暗い川にいる魚を認識し、狙っている。猫の瞳に映る景色に川面の映像が薄く映っている。
 夏が終わる頃だからか、いつもより日の入りが早く感じる。思えば踏切で降ってきた雨粒は葉の上で白く濁っていた。太陽はもう見えない。代わりに太陽の光が分厚い雲に邪魔されながらその雲の輪郭をさらに赤く染めていた。工場の排煙のように見えた空模様はその性質を変えずに私の心を揺さぶる真っ赤な空に変わっている。
 天空橋が右手に見える。私はベンチから立ち上がり、赤い橋の先端に設置されていた車止め、と言おうか、そういう銀色のものに寄り掛かるように座っている。猫はまだ橋の上から川を見ている。橋の綺麗なところを見つけたのか、伏せるようにして私の尻を向けている。
 私は銀色の車止めに寄り掛かり、右の足を思いっきり伸ばし、その足に左足を組んだ。楽な姿勢のまま変わりゆく空の色を見ている。その変化は絵具を足してはヘラで押し伸ばすときに見る色の混ざり具合とは全く異なるもので、はじけ飛ぶ水風船による一瞬の変わり様に似ていた。もちろん時間は水風船の数万倍も掛かっている。 
 その時間さえもぎゅっと圧縮されているように感じるのはこの天空橋付近に流れる独特な空気のせいか、人が現れない無人の地がそうさせているのか、そういうわけで時間はゆっくりと流れながらその時間の経過を感じさせないように圧縮されて私に届いていた。

 猫が突然歩き出し、赤い橋から天空橋に向かう道に進んだ。私は空が暗くなっていき、赤い雲が隠れていく様子を見ながら猫の存在を受け取っていたため、猫の突然の移動に一瞬反応が遅れた。鞄をベンチに取りに戻り、猫の後を追う。時間がいつも通りの流れを取り戻し、空が急に暗くなった。同時に周りの電灯が灯り、自動販売機はお茶の売り切れを強調させている。
 猫は川の傍に作られた低い堤防の上を一直線に歩く。足裏に赤いインクを付けたらきっとかわいらしい肉球の道ができる。
 同時に残された肉球から発された匂いに引き寄せられて猫たちが集まってくるかもしれない。
 しかし、猫の歩き方がどうもおかしい。寝床に帰るときのものと言われれば特に違和感はない。客観的な変化はそこにはない。ただどこかがおかしい。黒い毛並みは夜に染まった空よりも黒い。長く伸びた尻尾はバランスをとるためか左右に揺れている。猫が通り過ぎた落ち葉はきちんと緑色をしている。
 
 猫が進む道を二メートルほど離れて進む。猫は堤防から優雅に降り立ち、天空橋へと続く道を歩いた。その足跡が赤く残される。それに続き、私は天空橋まで来た。
 見えないはずの赤い足跡。その色の既視感。
 その赤色は太陽が雲を染めていたものと同じ色だった。一色ではないのに、確かに赤だと分かるなんとも不思議な色合い。さらにどこかに排煙のような汚いイメージを背負った色。空にはもうその赤はなく、明るい黒があった。都会から漏れ出た電気が空を薄く照らしている。蛍が辺りを照らすときの心もとないものではない、強力な光が無限に広がる空を無残にも変えている。
 私もそう思った。近代化に伴う自然の崩壊に、人は金を払って自然を体感するようになった。
 しかし、猫はそう思っていない。私は不思議とそう断言できた。
猫は天空橋の真ん中を歩いている。そのテンポは一定ではなく、音楽に合わせて歩いているように見え、私もつられて不規則なリズムになった。
明るくなってしまっている暗い空。夜だから暗いと表現するのはおかしいかもしれない。適切な表現がありそうだが、私の中にはなく、ただ暗い空が広がっている。 
猫は暗い中で橋の真ん中まで歩き、止まった。前足を爪とぎのように地面にあて、尻尾をぴんっと張った。 
数秒伸びるような体勢を続けた後、口を開き大きく鳴いた。その鳴き声は喧嘩をするときに猫が出す威嚇のものに似ている。表情は喧嘩のそれではなかった。 

それは咆哮のようにも見えた。大きく溜めた体の内側から放たれた咆哮。その向こうは空しかない。猫の咆哮はしばらく続いた。その長さと力強さから相当なエネルギーを感じた。小さな黒い塊のなかに溜め込まれたエネルギーを想像する。

チナも同じぐらいの大きさだっただろう。黒猫ほどのエネルギーを持っていたかはわからない。
猫の咆哮はゆっくりと小さくなり、口を閉じると同時に終わった。その瞬間の辺りの静けさが私の立毛筋を刺激したのか、毛が逆立つのを感じた。同時に寒気を感じ、何気なく上を見上げると鼻先に水が落ちてきた。その冷たさ。黒い雲に否応なしに冷やされ、重くなり落下してきた雨粒だった。
黒い雲に不純物を取り除かれたのか鼻先に残る雨粒は透明な色をしていて、海の黒さが投影されている。工場の排煙はもう空にはないようだった。雨は次々に降ってきて猫は雨に濡れている。黒い毛に雨が撥ねその表面のつるつるとした感触を暗い中で見せていた。
昼間までの晴天はどこへ行ったのか雨はどんどん強くなる。天空橋に降り注ぐ雨はいつもと変わらない。踏切は近くにないが、あの時の記憶が巻き戻される。猫は雨に濡れることを嫌うはずだが、目の前の黒猫は雨に濡れても視線一つ変えない。じっと赤い橋の空中を見ている。私は傘を持っていない。
猫の毛がだんだん雨によって浸食され始め体本来のラインを見せ始めた。黒猫は意外と毛で覆われていた。

猫は何かに向かって咆哮を出しているように見えたが、その方角には何もなかった。代わりに猫の咆哮に答えるかのように雨が降り出した。その一連の流れが綺麗に川の流れに一致したかのように思え、どこにも不自然な点を感じない。あまりに想像を絶する出来事が起きているとは私にはわからない。
作品名:雷鳴と雷鳥 作家名:晴(ハル)