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雷鳴と雷鳥

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 京急蒲田で人が多く降りたが、その中にスーツケースを持った人はいない。スーツケースを持った人は必ず空港で降りる。そういう法則が車内に暗黙に流れている。
 私はスーツケースを持っていないので、どこの駅で降りようとその駅周辺に住んでいる住民だと思われるだろう。だが、今日は空港の一歩手前、天空橋へと出かけるのだ。
 天空橋がどういうところか。高層ビルが立ち並び、天高くまでそのガラスの窓が伸びていく。そういう街かもしれない。
 もしくは背の高い木が何本も乱立するように立ち、その葉っぱの隙間から見える空を見て、天空を見た気になるような街かもしれない。
 
 電車が京急蒲田を出てから、電車は高架を走り、椅子に座った私の真横には空と、向こうの方に家々が見えている。覗き込むように下を見ると、民家が整備されていないように乱雑に立っていた。大きさはまばらで、色も全く統一性がない。住宅街というより、自然発生的に発展した住民街だと思う。
 そういう街並みがずっと続いている。
 その街並みの中でひときわ目立つ鳥居を持った家の庭先で犬が死んでいた。私はそこまで目が良くないため、犬の死体を見て気分を悪くすることはなかった。


 どうも想像したような天空は現れそうにない。名前負けした、ただの住民街に向かうのだろうか。私は電車が駅を通過するたびに天空橋で降りる気が削がれていくのを感じた。
 同時にこんなありふれた街並みに天空橋という名前を付けた人間を想像した。おそらくそこには橋がある。立派で、空まで飛んでいきそうなほどの色彩か、形状か、そういうものを持った橋。青いベンチに座りながら橋に名前を付けたのだ。それがどういう流れか、人々に広まり、駅名にまでその流れが及んだ。

 穴守稲荷という駅を過ぎ、アナウンスで天空橋と聞こえた。日本語のアナウンスは聞き逃していたが、その後の英語アナウンスの中に紛れたテンクウバシという奇妙な響きで次の駅だと分かったのだ。
 外を見てもやはり住民街は変わらず続き、赤いコンビニがやけにその存在を主張していた。外はまだ昼間の明るさで、私の乗る飛行機は午後八時に飛び立つ。これから天空橋で五時間ほど時間をつぶさなくてはならない。幸いにも外は雷など全く見えない晴天だ。公園でのんびり過ごすのもいいかもしれない。
 そういうことを思っているといつの間にかトンネルに入っていた。いつから入っていたのか。外を最後に見たのは穴守稲荷駅を出た時だ。
 次の駅は天空橋。天空は地下にあるというのだろうか。

 不思議に思いながら窓の外を見ていると突然青い所に出た。その青は青空のものではなく、深海の藍色のようなものでもなく、サファイアがもつ独特な青に近かった。電車はゆっくりと止まり、ドアが開いた。もちろんスーツケースを持った人は降りない。私はその異様な駅の様子に呆気を取られ一瞬動きが止まってしまったが、ドアが閉まりますというアナウンスに機敏に反応し、急いでドアをすり抜けた。

 振り返ると赤い京急線の車体が見える。閉まったドアの隙間と、窓から車内の明るい様子が見え、ホーム側が少しばかり暗いことがわかる。それ以上にホームの壁や天井の青色。視界を遮るものがなくなったことで、青色がより濃く見える。
 私以外に電車を降りた人はほとんどなく、スーツケースを持った人が電車に運ばれていった。地下駅だからか走行音がやけに響いて聞こえる。
 ごうごうと響く音を青色の光が包み込み、優しい音に変えていくようで、私は低く鳴り響く走行音が消えていくうちに懐かしさに似た感情を持ち始めていた。しばらくして走行音はきれいさっぱり消え、ホーム上には私以外誰も残っていない。
 
 空港に向かう忙しい人々にはこの青く綺麗な駅に魅了され、途中下車する余裕などないのだろう。もしくは都会の人間にとって電車、そしてそれに付随する駅や時刻表は、どこかへ正確な時刻に着くための交通手段でしかないのか。例え窓から綺麗な何かが見えても、汚いドジャブリが見えても、目的の駅以外で降りたり、手元のスマホから目を離し、子供のように窓に鼻を近づけるようなことはしないのだ。子供心を忘れることが都会に染まるということではないことは経験から知っている。
 この幻想的な駅でもこの都会の法則は効いているようで、私のようにこの青さに魅了されている人間は残っていない。人が空の青に魅了され、ことあるごとに海に行ったり、空の写真を撮ったりすることと同じように、この駅を見ている。
 次の電車がもうすぐ来るのか数人の人がホームにやってきて、先約がいたことに驚く人の顔がよく見えた。三人確認できたが皆作業着のようなつなぎを着ていて、一人は髪をずいぶん長く伸ばしている。あとの二人は似たような髪型に、同じくらいも身長と同じようなカバンを持っている。男の三人組だった。
 三人組は飛行機が、何とかと話している。空港の関係者らしく、鞄からは工具らしいものが見えている。この駅は作業員が多く出入りするようだ。一般人はそこまで出入りしない。三分後に電車がやってくるが、三人組以外の人が見えない。一人の男が私の方をじっと見てきたので、どうも居心地が悪くなり、私はエスカレーターへ向かい、地上に向けて昇って行った。  
 
 天空の駅はそのホームの青色の幻想的な空気とは相変わって、何とも地味な駅であった。売店の類は一切なく、駅員の姿も見えない。改札は四つしかなく、辛うじて自動改札が設置してあることが都会のアイデンティティを確立しているようだった。
 私が『天空橋』という名前にどういった想像を抱いていたかは良く覚えていないが、少なくとも今抱いているものは想像していなかった。しかし、目の前に、体を通して感じる駅の雰囲気はどことなく天空のそれを感じさせた。ざわつく配色はなく、人が少ないからか呼吸音のように静かに響いてくる何かの機械音も空の雄大な音を想像させてよりいい。口を閉じ、目覚めの時のような目をしてゆっくりと歩く。そういう人間が似あう空気が流れているのだ。 
地上へ向かうエスカレーターは登りの一方通行で、下りは階段しかない。改めてスーツケースを持ってこなくてよかったと思いながら、止まったエスカレーターのセンサーを通過し、動き出したエスカレーターに乗った。不自然な体制で運ばれていく。靴紐がほどけかけていて、片方がエスカレーターに挟まりそうな予感がしたが、それは当たることなく私はまた歩き出した。


雷はもちろん響かない。
太陽はだいぶ落ちかけていて、左手首にはめた黒い時計は四時三十五分を示している。三分早く進むこの時計を捨てることなく着けている理由は忘れた。
天空橋駅の改札付近には簡素な様子から天空の雰囲気を感じ取れたが、それ以上に駅の外観は天空にありそうなものだった。仮に駅名が天空橋駅でなかったら、ただの小さな駅舎で、灰色一色で作られたその様子は特急の止まらない駅にありそうなものだ。京急線に限らず、こういう地味で人があまり訪れない駅には動物が住み着くことがよくあるが、見える範囲に動物の姿はなかった。
作品名:雷鳴と雷鳥 作家名:晴(ハル)