小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集35(過去作品)

INDEX|1ページ/21ページ|

次のページ
 

木を見て森を・・・



                  木を見て森を・・・


 いつも何かを比較している人がいる。明と暗、広と狭、大と小、比較対象もいろいろである。
 色にこだわってもみた。最初は青系統が好きだったのだが、途中から赤系統の色にも陶酔するようになった。情熱的になってきたのだろうか? いや、明るい人がまわりに多かったのが影響している。
 比較対象はまわりがないと存在しえない。まわりの影響に左右されることを厭わない人だからこそ、自分の考えに陶酔できるのだ。そうでなければ杓子定規になりすぎて、自分をコントロールできなくなるだろう。
 今彼は杓子定規になりかけていることを心配している。自分の性格を把握できないのではないかと思うことが怖いのだ。
 彼は名前を沢木という。社会人になって五年が経ち、そろそろ主任としての仕事を任されかけようとしている頃だ。
――自分にはまだそんな技量は身についていない――
 と考えているが、まわりの評価は好評だ。
 沢木にとって考え込む性格は決していい性格と言えないことは自分も分かっているつもりだ。
 ではいったい何が不安なのだろう? すべてを二つに分けないと気がすまない性格の人間に、人という実に流動的なものを扱うことは難しいからだ。社会人になっても営業の仕事などできるはずがないと思っていたが、経理関係の勉強をして簿記の資格を取ることで今までやってきた。すべてが下準備をすることでこなしてきたと言っても過言ではない。そんな沢木にとって大袈裟だが、人生の転機だと言えるのではなかろうか。今までは比較するものが見えていたはずなのに、人を管理するというだけのことが、今まで見えていたものをまったく違った形で見ることになるのだ。
――自分が部下の時に感じたことを、今度は自分が演出してやればいいんだ――
 と頭の中で思っても、いざ立場が変わればそう簡単にいかないものだ。
 物忘れの激しさを最近よく感じるようになっていた。たった今考えていたことを思い出せないのだ。覚えていると思っていても、気がつけば忘れている。そんな日々が続くうちに、自覚へと変わっていった。
 自覚をしていれば何とかなった時期もあった。しかし、それは新入社員の頃で、今からは未知の世界なのだ。今までが他人事のように上司を漠然と見ていたことを後悔している。もう少し自覚があればと思っても後の祭り、まず何をしていいのかを悩むばかりである。
 しかし私生活は別だった。いつも比較対象を求めることで、成功してきた。どちらの道を選ぶかの選択で失敗したことはない。したがってそれが自信となって培われて、迷いというものをなくさせるのだ。
 夢にしてもそうである。よく目の前に分かれ道が広がっているところから始まることが多い。本当はそれ以前に夢を見ていて覚えているのがそこからだけなのかも知れないが、所詮夢である。そんなものだと思えばそれ以上気にならない。
 分岐点の前で腕組みをする沢木、一つ大きなため息をつくと、左右を大きく首を振るようにして見つめている。
「さて、どちらにしたものか」
 思わず声に出してみるが、すでに行く先は決まっていた。
「今日は左に行ってみよう」
 右足から踏み出してみる。これもジンクスのようなもので、右利きだからというだけではないのだ。
 果たして歩いている時に不安などは一切ない。不安を持っていれば進まないことを一番分かっているのも沢木自身で、一切迷いのない自分を夢の中とはいえ、客観的に見ていて頼もしく思う。これが現実の世界でも同じなのだから、自信を持つことがどれだけ大切なことかを夢が教えてくれているのだろう。
 ギャンブルはパチンコくらいしかしない。休みの日に競馬、競輪などの公営ギャンブルで時間を潰すのがもったいないという強い気持ちがあるが、本音をいえば、公営ギャンブルは自分に合っていないと思っているのだ。選択に迷いのない沢木だが、ギャンブルだけには当てはまらない。ギャンブルが自分にとってあまり清潔なものに見えないことが一番影響しているに違いない。
 元々が潔癖症の沢木である。ルール違反に対しては自分以外の他人でも許せないところがある。もちろん、自分でもしっかり守るのだが、他人がモラルに反することをしていると露骨に不快感をあらわにする。目の前でのくわえタバコ、携帯電話の使用など、実に不快感から苛立ちへと変わるのだ。
 そんなものを朝から見せられたりしたら、さあ大変。一日中、苛立ちが消えないなんて日があるのだ。
「たった一人の心無いやつのために、何で私が……」
 他人には言えないことだ。
「お前がそんなにこだわることないじゃないか。お前が気にしたって世の中よくなるものじゃない」
 と言われるに決まっている。実はその言葉を一番恐れている。
「所詮、一人……」
 この考えが潔癖症の人間には致命傷ではないかと思うのだ。
 潔癖症の人間は自分を孤独だと自覚している。本当なら人間関係の中で、なあなあで済ませるところを根本から問題にするのである。他の人から疎ましがられても無理のないことだ。
「そんなに杓子定規にならなくともいいのに」
 ここでも杓子定規が気になってしまう。しかし、潔癖症である以上、杓子定規な考え方を切っても切り離せないのだ。
――どうしてこんな性格になっちまったのだろう――
 人の性格は持って生まれたものと、環境によって培われたものがミックスされていると認識しているが、それがうまくミックスされている時は、疑いもなくその人の性格となるのだ。どちらが強いというわけでもない、相乗効果と呼ばれるものが働いているに違いない。
 タバコは元々やらない。沢木の父親が中学の時に目の前で見事に禁煙に成功してから、父親の喫煙家に対する考えが揺るぎないものになっていた。
「タバコなんて百害あって一利なしさ」
 よく聞く言葉である。しかし、それも説得力がなければ、まるで「絵に描いた餅」、それに比べて父の言葉には重みがあるのだ。しかも、社会の風潮が嫌煙権を叫び始めてから一気に喫煙者への風当たりが強くなっていった。そんな状況で、タバコなど本当にナンセンスにしか思えないではないか。
 しかも一部の喫煙者のモラルのなさ、あれを見せ付けられてはどうしようもない。くわえタバコ、ポイ捨てなど、
――これほど世の中で醜いものはない――
 と思わざるおえないではないか。
 夢を見ていても、そんなモラルを守れない最低な人間たちが出てくる。中には必要悪だと言う人もいるようだが、とても沢木には承服できるものであるはずはない。ある程度までは我慢できる自分が不快なのだから、他の人は口に出さないまでも不快感でたまらなくなっているはずだと思えてならないのだ。
「お前、最近変わったな」
 学生時代の友達に会うとよく言われる。
「どこも変わっちゃいないよ」
 そう言いながら頭の中が半信半疑だ。
「少しうろたえているな? それが何よりの証拠だよ」
 ニコニコと馴染みある表情であるが、却って不気味に感じられてしまう。変わっていないと言いながら自分でも心当たりがある。それを指摘されるのが怖いのかも知れない。
作品名:短編集35(過去作品) 作家名:森本晃次