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九丸(ひさまる)
九丸(ひさまる)
novelistID. 65562
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言いたくて言えない言葉一つ

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あれこれ悩む姿が無性に可愛らしく思えて、僕は魅入ってしまった。
別に今初めて目にした訳じゃないけど、今夜は特にそう思えた。
はからずも行き付けに連れてくるというハードルを越えた、今の僕の達成感から来る心の余裕がそうさせているのかもしれない。
今でも決して余裕があるわけではないけど、たった数分前よりは良く見える。
そして、それはこれからも。

酒が運ばれて来て、僕らはお疲れ様と乾杯をした。

「ねえ、ねえ、頼んでいい?」

「どうぞ、お好きなものを」

「竹内君のオススメも食べたいな」

「僕のオススメは、だし巻き玉子です。焼き加減が最高ですから」

「竹内君さあ、なんかいっつも頼むよね。玉子焼き系」

「確かにそうなんですが、ここのは絶品ですから」

「分かったよ。じゃあ、頼むね」

お願いしますと女将さんを呼び、佐々木さんは注文し始めた。

「だし巻き玉子と自家製厚揚げと、あとは牛スジの煮込みください」

「はい。ありがとうございます」

女将さんが、カウンターの中に入ったのを見届けて、僕は佐々木さんに話しかけた。

「今日は本当にありがとうございました。助かりました」

「今日だけじゃなくて、いつもでしょ」

「まあ、その通りです。いつもご迷惑おかけしてます」

「わたしは別に構わないけどね。その度にご飯にありつけるから」

「いや、それくらいは当然です。佐々木さんの貴重な時間をいただいてるんですから」

「まあ、今日のは仕方ないよ。課長の無茶振りだったからね。急ぎなら早く言えよって感じ」

「そうなんですよね。ちょいちょいあるから困るんですよね」

「竹内君も四年目なんだから、もっと巧くやりなよ。他に振るとかさあ。身がもたないよ」

「要領悪い自覚はあるんですが。断りずらいし、振るのもなんか」

「違うよ。竹内君はね、自分の仕事の要領はいいのよ。自覚ないんだろうけど、出来るから抱えちゃうのよね。そこに関しては要領悪いのよね」

「はあ、気をつけます」

ちゃんと僕のことを見ていてくれてる佐々木さんの言葉は、じんわりと染みる。
佐々木さんにとって、僕は手のかかる弟みたいなのだろうか。
僕の想いは、それを変えることができるだろうか。
言わなきゃ始まらない。
当たり前のことが、今の僕にはできない。
漢字合わせてたった二文字の『好き』が、僕には何千万字の書物より重い。
想いに潰されそうだ。
男らしくない。
女々しい。
自虐の言葉が勝手に浮かび、攻撃して消えていく。
好きになるって、こんなに面倒だっけ?
自問したって、返ってくる答えなどあるはずもない。
駄目だ。今はこの時間を楽しまないと。

「お待たせいたしました」

僕は女将さんの声に救われた。

「わあ、この厚揚げ美味しそう!」

「ありがとうございます。このネギ味噌で召し上がってくださいね」

早速佐々木さんは、小皿のネギ味噌を少し厚揚げに乗せて、小分けの塊を一口食べる。

「旨い! これは日本酒だね。竹内君、飲むでしょ?」

「はい。佐々木さんが飲むなら」

「よし頼もう。すみません、鶴の友を冷やで一合お願いします」

「佐々木さん、いっつも鶴の友ですね。さっきのお返しじゃないですけど」

「そうだよ竹内君。わたしは鶴の友をこよなく愛する女だからね」

佐々木さんと食事をするようになって、あまり好きではなかった日本酒も飲めるようになった。
人は繋がることによって、いろんな影響を授受する。
想い人ならなおのこと。
僕は佐々木さんに与えていることはあるだろうか。
ほんの少しでいいから、もしそんなことがあるなら、僕の心は満たされるだろう。
色に染めて染まりたい。
二人の色は何色になるだろうか。
駄目だ。また妄想してしまう。

僕は我に返り、佐々木さんに話しかける。

「そう言えば、何でそんなに鶴の友が好きなんですか?」

少し考えて佐々木さんは答えた。

「好きだから。好きに理由なんてないんだよ竹内君。まあ、理由が言える好きもあるけど、言えない好きの方が純粋だと思うなあ。なんてね。好きなものは好き。以上」

僕が佐々木さんに対する好きの感覚と同じことに、胸が高鳴った。
そうだ。理由なんていらない。

「なんか安心しました。僕の感覚と一緒だなと思って」

「竹内君もそう思うのね。わたし達気が合うね」

「あれ? 今頃気づいたんですか。僕は前からそう思ってましたよ」

「わたしだって思ってたわよ。じゃなきゃ、いくらお礼でも一緒にご飯行かないから」

「そうなんですか? そう言ってもらえると素直に嬉しいです」

舞い上がった感情が顔にでないか心配してしまったが、ちょうど女将さんが鶴の友を持ってきてくれたので、悟られてはいないと思う。
また女将さんに救われてしまった。

僕らは互いに酌をして、お猪口を軽く合わせる。

佐々木さんは一口飲んで、

「旨いねえ。やっぱり日本酒は鶴の友だねえ」

とおじさん口調で言った。

おっさんみたいですよと、笑いながら突っ込みを入れて僕も一口飲む。

今夜の日本酒はいつもりより美味しく感じる。
何をじゃなくて、誰となんだなと実感してしまう。

「だし巻き玉子と焼き秋刀魚お待たせいたしました」

僕らの鼻腔を、焼けた秋刀魚の香ばしい匂いがくすぐる。
佐々木さんは匂いだけで酒が進むと笑顔をみせた。

「メインが来たよ、竹内君。だし巻き玉子はわたしは少しでいいよ。その代わり、秋刀魚はほとんどわたしがもらうからね」

「お好きなようにしてください」

「うむ。では、そうさせてもらおう」

「ちょいちょいオヤジになりますね」

僕らの会話を聞いて女将さんが笑顔で言った。

「まあ、仲がおよろしいことで」

「いや、女将さん、僕らはそんな関係ではなくて」

焦って否定する僕を、佐々木さんは意地悪そうに見て言う。

「そうなんですよ。待ってるのに全然アプローチがないんですよね。待ちくたびれちゃいました」

「な、何を言ってるんですか佐々木さんまで。さ、さあ、早く食べましょう」

言えるものなら、とっくに言ってるよ。
冗談にしても、今の僕には堪えますよ、佐々木さん。

「だし巻き玉子もらうね」

そう言って、一口食べた佐々木さんの顔に驚きが広がった。

「竹内君、本当に美味しいよ。びっくりだね!」

「だから言ったじゃないですか。美味しいって」

そして秋刀魚を一口食べて、また喜んだ。

「秋刀魚も美味しい! ダメだ、お酒が止まらない」

「飲み過ぎないでくださいね。明日も仕事なんですから」

「堅いこと言ってないで、ほら、竹内君も早く食べなよ」

「そうですね。なくなる前にいただきます」

結局、だし巻き玉子も秋刀魚も、佐々木さんがほとんど食べてしまった。

僕は嬉しそうな佐々木さんの顔を見れただけで満足なので、不満なんてない。
あなたが笑ってくれてるなら、僕は何でも出来るのに。

最後に〆のおにぎりまで食べて、満足そうな佐々木さんを見ることができたので、僕はそろそろ行きますかと声をかけた。

「そうだね。明日もあるしね」

女将さんにお会計を頼み、僕らはレジに向かった。

「本当にご馳走になっていいの?」