絵の中の妖怪少年
第一章 出張先の喫茶店
部長の命令で、田舎の営業所へ一人で行かされる羽目に陥った如月香澄は、
「今時こんな田舎が存在するなんて」
と、ぼやきながら、いつになったら着くのかと思いながら、いつまで経ってもまわりの風景に変化のない田舎風景を、半分呆れた気持ちで歩いていた。
もしこれが部長の命令ではなく、たとえば知り合いのところに遊びに行くということであれば少しは精神的に違ったかも知れないが、それでも、今まで見たこともないような田舎の風景にはウンザリしていた。なぜなら、
――もし――
という前提があったとしても、知り合いなどほとんどと言っていない香澄にとって、
――遊びに行く――
などという設定は、あまり考えられないことだった。
友達が少ない自分にウンザリするというよりも、友達が少ないことを分かっていながら、――何を今さらのように友達のところに遊びに行くなどという設定を思い浮かべたりするんだ――
という自分にウンザリしていたのだ。
会社の同僚にしても先輩にしても、親しく話をする人はいない。
短大時代にも、友達はほとんどおらず、親友と呼ばれる人もいなかった。自分から話しかけることなどありえない。人との交流において、積極性という言葉は、香澄の中に存在するものではなかった。
家族関係もあまりしっくり行っていない。厳格な父親に、ただそれに従う母親。人に自分の考えを押し付けようとする父親も嫌いだが、それに抗うこともなく、何を考えているのか分からないようにしか見えない母親は、もっと嫌いだった。
父親に自分一人でも抵抗を試みようとしたが、どうして父親の牙城を崩すことはできない。
――やはり自分よりも長く生きていて、社会に揉まれている相手に、適うわけなどないわ――
という思いが強いからなのかも知れない。
香澄は、そんな両親を見ながら育ってきたこともあり、自分の中で強い部分があることも感じていた。しかし、それでも父親に対して結局逆らうことのできない自分に対してのもどかしさと、母親に対して感じるじれったさから、香澄は次第に自分を感じることがなくなってしまった。
――何かを感じるということは、怒りしか生まない――
と感じるようになったからだ。もどかしさやじれったさが、いずれは怒りに変わってしまい、何かを感じることが怒りに通じるという結論に至っていた。
何かを感じないようにしようとすると、気が楽になっていった。
――何だ、何も感じないということがこんなに楽だったなんて、どうしてもっと早く感じなかったんだろう?
香澄は、そのことにいつ頃気付いたのかハッキリと覚えていないが、この時に、香澄の中の原点が生まれたと言っても過言ではないだろう。
高校時代は、この思いが自分を支配していた。特に受験という避けては通れない問題に直面した時、この性格がどれほど自分の役に立ったか計り知れない。
まわりの同級生は、
――孤独な自分との闘い――
という受験戦争から、どのようにして逃れようかと考えていた。やらなければいけないことは分かっていて、それでも逃れようとするのだから、一本筋の通った思いが存在するわけはなかった。香澄から見ていると、
――真剣みが感じられない――
としか思えなかった。そんな人たちに自分が負けるはずもなく、受験という難関を、それほど辛い思いもなく、乗りきることができた。
――やらなければいけないことが分かっているのなら、逃げることはできないはず。「逃げる」という発想があるから、却って受験というものを恐ろしくしか感じないんじゃないかしら?
と思っていた。
中に入ってそこから活路を見出すという発想の方が前向きで、しかも効率がいいように思ったのだ。
ただ、短大を卒業する前に訪れた就職活動。この時初めて香澄は自分の考えに少し疑問を感じた。
それまで感じたことのなかった「孤独」というものを感じるようになったのだ。
成績も悪くなく、それなりに就職活動にも自信があったが、なぜか内定がもらえない。まわりも決まらないのなら、それでも納得がいくが、学生時代、チャラチャラしているように見えた同級生たちが、どんどん内定を決めていく。
――どうしてなの?
何とか、香澄も就職先を決めることができて、事なきを得たのだが、それでも、今までに感じたことのない焦りと、自分への疑念。短大を卒業する前と後とでは、考え方が結構変わってしまったのではないかと思う香澄だったが、まわりから見ると、まったく変わっていないようにしか見えなかった。
それは、短大を卒業してからの香澄が、さらに孤独が増したからだった。それは自分でも感じていることで、まわりが感じているよりも、余計に本人が感じているに違いない。
まるで開き直ったかのように孤独を何とか自分の中で正当化させようとしている。そうしないと、何も感じないことが楽だということから進化した考えとして、行きついた先が孤独だったということを、自分で納得できなかったからだ。
孤独というものを正当化させるのは、さほど難しくなかった。元々頭が悪いわけではない香澄は、
――順序立てて考えれば、、少々のことは理解できる――
と思っていたからである。
ただ、それが本当に正解なのかどうか、誰にも分からない。そのことを、まだ香澄は知らなかった。
香澄が入った会社は、決して大きな会社ではない。県内の主要地域に営業所を持っているような会社で、本社と言っても、事務員が十数名いる程度の会社だった。大きな会社ではなかったが、小さいというわけでもない。どの会社にも言えることだが、満足できるかどうかは、その人の感じ方ひとつなのだろうが、香澄は満足しているわけではないようだった。
香澄は本店勤務で、たまに営業所に行く程度だったのだが、その日は部長から、
「悪いが、ちょっと南部営業所に行ってくれないか」
と言われた。
その日は、確かにそれほど忙しい日ではなかったが、こんな時こそ、普段忙しくて整理できないパソコンの中を整理しようと考えていたので、朝いきなり部長に呼ばれて言われたことは、完全に出鼻をくじかれた気分になっていた。
南部営業所というのは、本店からも結構離れている。もちろん、香澄は一度も行ったことがないところで、県内でも一番の田舎に位置しているところだという話は聞いていた。
何よりも気になったのは、田舎のローカル駅を降りてから、さらに徒歩で一時間近く歩くところだという。しかもタクシーがあるにはあるのだが、ほとんどが出払っているということだった。
「タクシーを使っても構わないが、片道だけだ」
と、部長から言われた。
出張に行く時の決まりごとになっていて、当然、香澄だけ特別扱いはできない。
駅に着いてから、タクシーは出払っていた。駅は無人駅なので、駅員にタクシーを呼んでもらうというのも、無理だった。駅の柱にタクシー会社の電話番号が書かれていた。そこに電話してみると、
「隣の駅から行きますので、三十分くらいかかりますが、よろしいですか?」
と言われた。さすがに田舎のローカル駅だけのことはある。
「それなら、いいです」