短編集34(過去作品)
普段からいい方に解釈していると、何か釈然としないことがあってもそれをいいように解釈するのに限界を感じるようになる。一旦、最悪のことを考えるようになり、それが見えてくると、すべてが最悪に見えてくるから不思議だった。まわりの色が変わってきて、鮮やかだった光が靄が掛かったように見えてくる。
――こんな世界が存在するんだ――
自分が楽天家だったことに、その時初めて気付いた。そして楽天的な考え方だけではなく、その反面、自虐的な考え方もあるのことにも後になって気がついた。
――躁鬱症――
言葉は聞いたことがあるが、まさか自分がそうだったなんて……。
女房の顔を見ていると、自分も時々そんな表情になっているのではないかと思えてくる。もはや新婚と呼べる時期ではないことに気付いた時は、女房の無表情で、何を考えているか分からない顔で睨まれている顔が瞼に焼き付いて離れない。
あんな表情をできるような女ではなかったはずだ。原因は何か分からないが、完全に恨んでいるようにしか思えない。それとも、
「私に構わないで」
という無言の訴えなのだろうか?
女房が家を留守がちになり始めたのは、それと前後してからだった。
それでも最初は葉月の言葉を信用して、友達と会っているものだと思いこんでいた。それも結構しばらくの間疑っていなかった。いや、疑っていなかったというのは嘘である。心の底のどこかで、
「葉月も女なんだ」
と思っていたのも事実で、そう思えばこそ嫉妬の思いが生まれ、違った面の葉月をさらに好きになりそうになったことは皮肉なことだった。
「男がいるんだ」
男なら誰でもそんなことは自分の女房に考えたくはない。しかし、誰もが疑ってみるものでもある。
事実を確かめるのが怖くて、頭の中で必死にそんな考えを打ち消そうとしている自分がいる。しばらくの間、放っておくしか自分にはなかったのだ。確かめる勇気もない自分、腹立たしさがストレスに変わっていく。
一度葉月の行動を監視してみたことがあった。外出するふりをして見張っていたのだが、三浦氏が表に出て、一時間ちょっとで葉月が外出していく。
遠くから見ても化粧が施されていることは明らかで、自分が表に出てからすぐに化粧を始めたのだろう。最初から三浦氏の外出を待っていたふしもあり、夕日を浴びたその顔は今まで自分に見せたこともないような艶のある顔に見えた。軽い嫉妬が三浦氏を襲う。
「何ということなんだ」
思わず柱の影から飛び出したくなる衝動を堪え、歯を食いしばってこの屈辱から堪えていた。
しかし化粧をしたからといって男と会いに行くとは限らない。女性同士、気の合った奥さん同士で遊びに出かけるのかも知れない。一縷の望みを抱いたまま、追跡を続けた。
追いかけているうちに次第に大きくなってくる後悔。屈辱感を伴った後悔が押し寄せてくる。
「もうどうでもいいや」
途中で投げ出したくなってきたのは、夕日の眩しさを感じたからで、いかにも黄昏た気持ちになってくるからだ。
しかし、途中で諦めたら今までの高めてきた士気がムダになってしまう。自分の行動が屈辱感だけで終わってしまうような気がしたからだ。どんな結果になろうとも、途中で投げ出すことは自分の意志に反するのだ。
何とも後からでは理解しがたい理論のもと、三浦氏は最後まで追いかけた。葉月の行き着いた先、そこはスナックだった。まだ六時だというのに中からはカラオケの声が聞こえてきて賑やかである。平日であればサラリーマンが多いのだろうが、日曜日ともなると客層の見当もつかない。
だが、結局三浦氏の考えていたことは取り越し苦労に過ぎなかった。二時間もすれば中から数人の女性が出てきて、その中に葉月もいたのだ。まわりの女性の迫力に比べ、何と葉月の存在の薄く見えることだろう。
いつも自分を睨みつけている存在感溢れる葉月は、どこへ行ってしまったのだろう?
安心とともに、自分の知らない葉月の世界が広がっているのを感じると、何とも複雑な気分にさせられる。
――若返ったみたいだ――
葉月を見ているとまだ付き合っていた頃を思い出す。いつもはにかんでいて、自分から意見なども言えない気の弱さを表に出している。だが、実際には強い女性で、彼女のことを理解できる人に対してしか、本当の心を開かないのだ。三浦氏は、そんな彼女を心の鍵を開いた男として、自覚と自信を持っていた。
その時、完全に自信も自覚も忘れていたに違いない。追跡を屈辱的だと感じたのは、自分の中の自信が許せなかったからに違いない。自信があるくせに追跡するような否定的な行為、断然許せるものではない。
なぜそんなことを今さら思い出すのだろう。
葉月と別れてからの三浦氏は、あまり葉月のことを思い出すことはなかった。あれから結婚したいと何度となく思い、実際に知り合った女性もいたが、結婚まで思い切ることができなかった。
自虐的な人生を歩んできたように思う。結婚したいと思っていても最後は女性が信じられずに思い切れない。いや、女性が信じられないのではない、女性を信じることができなくなった自分が信じられないのだ。
孤独という言葉の裏にいつも自分がいる。
そんな気持ちになることが多かった。
気がついたらいつも一人でいる。一旦一人でいることを自覚すれば、一人が気楽なものだ。寂しくないといえばウソになる。男なのだから、女性にそばにいてほしいのは自然の摂理だ。
一人になると自分の時間を大切にしたくなる。時間を細かく刻んで、一日を有意義に過ごそうとする。寂しさを忘れるため? それだけではない。一日が一週間、そして一ヶ月と長くなるにつれ、そのひと時は実に短く感じられる。まるで遠くから見ているようだ。
孤独を感じ始めると、次第に行動範囲も狭くなる。離婚してからしばらくは、旅行などにも出かけて出会いを求めてみたりしていた。金銭的に余裕があるわけではないが、旅に出ると落ち着くのである。最初こそ知らない土地にいることでもう一度自分を形成しなおせればいいと感じていたが、結局知らない土地にいても自分が自分なのだ。帰るところは決まっていて、自分の場所はそこにしかないことを思い知らされる。
行きずりに身体を重ねた女性もいた。
「何だろう、懐かしさを感じる」
女性を抱くと自分が抱かれているような気持ちになってくるのは三浦氏だけではないだろう。まるで母親の羊水に浸かっているような穏やかな気持ちに包まれる。
――包んでほしい――
そう感じた時、男は絶頂を迎えるものだと思う。
若い頃は男が女を抱くものだと思っていたが、離婚してからの三浦氏は、女に抱かれるという気持ちが強くなった。その方が気が楽だし。何かあっても、傷つくことが少ないだろうと思うからだ。
離婚してから二十年という年月、短いようで長かった。何も考えず、考えることを怖がって生きてきた人生、気がつけば髪の毛は抜け落ちていて、スキンヘッドになっていた。さすがに六十歳を過ぎていることもあり気にならない。髪の毛が抜けていくたびに世の中の一つ一つが面白くなくなっていったように思うのだ。
作品名:短編集34(過去作品) 作家名:森本晃次