幻影少年
島田美麗は、街でも進学校と言われる女子高に通う、一見どこにでもいる女子高生である。大人しい雰囲気から、勉強ができるように思われがちだが、それも、進学校と呼ばれる学校に通っているからである。
実際に成績は中の下と言ったところだろうか。中学まではそれなりに成績もよかったのだが、高校に入ると、順位はガタ落ちだった。
ただ、それも考えてみれば当たり前のことで、中学までのレベルと、高校からのレベルでは、まず底辺からして違う。中学の頃に優秀だった連中が、さらにその中からふるいに掛けられるのだ。
しかも、精一杯に勉強して、難関を乗り越えてやっと合格した学校。そう、まさしくやっとなのだ。
入学したところで力尽きてしまう人も、少なくないだろう。特にギリギリで入学できた人は、余裕を持って入学した人に比べて、自信の持ち方が違う。余裕を持って入学してきた人からみれば、入学できたことへの感慨は薄いに違いない。
「こんな学校、勉強しなくても合格できるわ」
と言いたげで、他のほとんどの人から見れば、嫌みにしか聞こえない。
美麗は、まさしく、その中のギリギリだったのだ。一学期が終わる頃には成績の差は歴然だった。
その頃には、大体の人の性格が見えてきた。余裕を持って入学してきた人たちの嫌みな雰囲気に慣れてきたが、よく見ると彼女たちこそ、一番怯えていたのが見えてきた。成績がいいならいいで、少しでも成績が下がることを、ものすごく恐れている。なぜなら彼女たちにとって成績がすべてで、自分自身のように思っているからなのかも知れない。親やまわりの期待に対してそぐわない結果を出すことはできないと思っている人もいることだろう。
――優等生には優等生なりの悩みもあるんだわ――
劣等生の中には、グレてしまう人もいるが、優等生には許されない。どちらが辛いかというのは、美麗には判断できないが、美麗はそれほど極端ではないだけ、まだマシなようだ。
二年生になると、まわりの環境は落ち着いてきた。それぞれに悩みを感じていた人たちも自分の立場に慣れてきたのか、表にオーラを発しなくなった。美麗も以前のようにまわりを気にしなくなってきたし、自分も余計な感情を持たないようにしてきた。元々、自分の性格を表に出すことのない美麗は、同じことの繰り返しである毎日に埋もれていくことを知りながら、ただ流される道を何も考えずに過ごしているだけだった。
一日があっという間に過ぎた割には。一年は結構長く感じた。一番二年生の時が長かったのかも知れない。三年生になると、一日が長く感じられたわりに、気が付けば卒業が近づいていたのだ。
四年制大学を目指している人たちが多い中で、美麗は短大しか見ていなかった。四年も大学に行って何をするかが分からないという気持ちもあったし、勉強することに正直飽きてきたと言ってもいいだろう。
恋愛をしたことがなかったのも一つの理由だったかも知れない。
「私、大学に行ったら、いっぱい恋愛したいんだ」
数少ない仲良しの友達がそう言っていた。四年生大学を目指していると言っていたので、その理由を聞くと、返ってきた答えが、それだったのだ。
「美麗は、短大でいいの?」
「うん、何の勉強したいかって分かっているわけでもないし、それに私にはそれほど恋愛願望があるわけではないし」
友達も、実は恋愛をしたことがあるわけではない。恋愛がどんなものだか分かってもいないのに、ただの憧れだけで四年制大学に進もうとしている。それが彼女の考えなのだから、とやかくは言えないが、美麗には理解できない。それだけ美麗が冷静なのか、淡白なのか。やはり中途半端な成績でいると、悩みに対しても感覚がマヒしてきたようになっているのかも知れない。友達には、口が裂けても、自分が考えていることを言えないと思っていた。
美麗の高校時代は、友達も少なく、成績もパッとしなかった。それでも嫌だったわけではない。性格的に一人で籠ってしまうことが多かったが、その分、妄想することも多かったのだ。エッチな妄想をしてしまうこともあり、それが一人の先生に対しての思いだったのは、美麗にとって、学生生活を寂しいものにしなかった一番の原因だった。
美麗にとっては一目惚れで、初恋でもあった。淡い思いを告白して、壊れてしまうのを恐れたのは、妄想だけでいいという思いと、実際に恋愛をすることが怖いと思ったからだ。
その相手が、先生でなければ、ここまで思わなかっただろうし、すぐに気持ちも覚めてしまったかも知れない。
先生はクールなところがあった。誰に対しても分け隔てない対応は、教師としては理想なのかも知れない。ただ、美麗には物足りなかった。先生というものはもう少し情熱的な人がいい先生だと思っていたからだ。
美麗は教師が嫌いだった。なぜなら、自分が嫌いなタイプの人が多いからで、さすが教師も公務員、無難にカリキュラムをこなして、なるべくトラブルがないようにことが運べば、それでいいのだろう。美麗のまわりには、そんな先生ばかりだった。数の上では嫌な人が圧倒的に多いので、当然教師が嫌いになるのも当たり前だ。
だが、そんな中に、一人でも自分がいい人だと思える人がいれば、少しは見方が違ってきて、ハッキリと嫌いだということはできない気がした。
「樋口先生」
それが、美麗の気になる先生だった。
樋口は、熱血教師ではない。下手に熱血だと、生徒に自分の考えを押し付けてしまい、自分のやり方で押し切ろうとするだろう。さすがに押し付けがましい態度は、鬱陶しいだけになってしまい、美麗が気になる人になど、なりえるはずがないのだ。
冷静なところがあり、自分のやり方を押し付けることがないのは、悪いことではない。それでも物足りないと感じるのは、相手を好きになりかかっていることで、生まれてくる感情。つまり、自分だけを見てほしいという気持ちなのだろう。
美麗が男の人を好きになるということは珍しいことだった。今までにあったかどうか、定かではない。それは好きな人と、憧れている人との違いを自分なりに分かっているからであって、憧れというのが好きになる感情とは違うということを理解している証拠であろう。
「樋口先生のことを考えると、他のことが頭に入らなくなるのよ」
あまり親しい友達のいない美麗にとって、それでも一番よく話をする女の子に話したことがあった。
話した後に、
「しまった」
と、思ったが口から出てしまった言葉を撤回することは不可能である。
「人を好きになった証拠ね。私も経験あるんだけど……」
と、くどくどと話し始めた。この人は、自分に相談してくる人は、自分の意見をキチンと聞きたいから聞いてくると思っていて、しっかりとした理詰めで回答してあげないといけないと思っているタイプの人だった。
それだけに話も長くなる。簡単に終わる話であっても、自分がどうしてそう思うようになったかなど、きっかけや過程を理論づけて話さないと気が済まないようだ。もちろん、悪いことではないのだが、まるで藪の中のヘビを突いたようで、自ら余計なことをしてしまったことで、自己嫌悪に陥ってしまいそうになった。