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豆腐男

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「なんだか怖いのよ。あの人、わたしを変な目で見るの」
「どんな風に見るんだ?」
「わたしに話しかけたいけど言いだせない、もっとそばにいたいけど理由が見つからない、いつも残念そうに店を出ていくの」
「男の客はみんな、おまえの前じゃそうだぜ」
「あの人だけ、変なところがあり過ぎる」
「おまえの気の回しすぎだよ。ちょっとばかり内気なだけさ」
「でも……あれは、わたしを自分のものにしたがってる目なのよ、自分だけのものに。ピンとくるの」
「あの客がか? そんな目でおまえを見るなんて想像もつかねえや。もっとも男ならみんな、おまえを自分のものにしたいとは思うだろうけどな」
 店長の言葉に、カスミはハッとした。
「店長も、そうなの?」
「ピンとこなかったか?」


 それから、しばらく。
 カスミの日常は、店長とのことを除けば、前と変わらず過ぎていった。
 豆腐男の異常な日課にも異状はみられず、いつも通りに来て、いつも通りの品を買っていくことの繰り返しだ。
 ただ、男がカスミを見る目が尋常なものでなくなってきたように感じられる。ますます。
 なんだろう。カスミの体のサイズを目測しているのではと思えて仕方がない。それもいやらしい目ではなく、さめた実務的な目で。







 台風がくる。
 かなり強力なやつで、この地域には川の氾濫や土砂崩れに備えるよう警報が出ていた。
 「ドラッグ24」も昼間は、食糧や防災品を買っていく人の出入りが多かったが、夕方を過ぎ、カスミの夜勤がはじまる頃には客足はパッタリ途絶えた。

 日が沈み、風雨がいっそう強まったとき、店長の携帯に着信が入る。
 緊急で重大な用件なのはやり取りの様子からわかった。
 店長はカスミに恐ろしいことを言い出した。

「俺は出かけてくるぞ。店番たのむ」
「待って。ひとりにしないで」
「オフクロが癲癇(てんかん)でな、泡吹いてぶっ倒れちまって、看病しなけりゃなんないんだ。朝には帰るからよ」
「いや。いやよ、行かないで」
「俺がいなくたって、ヘコムの警備システムがしっかり守ってくれるだろ?」
「でも、でも……やな予感がする。ひとりでいるとき、豆腐男がきたら……」
「大丈夫だよ、豆腐男なんか。毎日おなじ時間におなじ格好で来て、ただ豆腐を買っていくだけじゃねえか」
 それが不気味だというのに。

 店長は車で行ってしまった。
 カスミは嵐の中、ひとりきりで店番をすることになった。
 外では、暴風と豪雨とが容赦なく荒れ狂う。
 店の中は静かだった。
 お客はまったく、いない。
 時が過ぎていく。

 そして。
 ついに、男はやって来た。
 いつもの時刻。いつもの風体。いつもの態度。
 ただ、今夜だけは違うものがひとつ。とびきり大きくて頑丈そうなスーツケースを携行している。
 旅行に出かけるのだろうか? そんなはずはない。では、台風から避難を? そうかもしれない。すでに、山沿いの地域には警報が出された。
 非常用の食糧でも買いだめする気なのか。

 いつもと違うのがもうひとつ。店の中での振る舞いだ。
 日配品の売場には向かわず、いきなりカウンターに直行してくる。
 まっすぐ、こちらに。
 男は、キャスター付きのスーツケースを重そうに押して進みながら、レジの前まで来た。
 しばし無言、なんの感情の動きも読みとれない顔でカスミを見つめる。

「あ、あの……」
 カスミが辛抱できなくなりもの問うのを待ち受けていたかのように、男はおもむろに口を開いた。
「豆腐を返しにきた」
 いつもと口調が違う。「ですます」調を廃している。
「は?」
「返品すると言ってるんだ、豆腐を」
 男は、スーツケースのファスナーに手をかけた。
「これを見ろ」

 うぐっ!
 ケースを少し開けただけで、吐き気をもよおすような、ほとんど物理的打撃と変わらない強烈な臭気が鼻腔を突き刺した。
 中には視覚的にも強烈なものが詰め込まれている。
 カド印の『美味い絹豆腐』と『美味い木綿豆腐』。
 何十、もしかしたら何百というパックの数だ。すべて、げろげろに腐乱し変色するという変わり果てた姿。容器も多くが破損し、充満する有毒なほどの悪臭が湯気となって立ちのぼるようだった。
 じゅくじゅくじゅく……泡立つような、小さくかき回すような音がひっきりなしにするのは何だろう?
 あまりのものを見せられ、両手で鼻と口とを覆いながらカスミは目を疑った。

 男は、これまで買い込んだ豆腐をすべて腐らせ、スーツケースに詰めて店に持ってきたのである。
「数はそっちで確認しろ。何百個もある」
 彼女は言葉を発することができなかった。
 なんという!
 豆腐男の心の状態をはっきりとさらけ出す出来事が今、店の中で起こっていた。
 しかもカスミは、たったひとりでそれと向き合わねばならない。

 これほどの狂おしさを呈しながら、男の顔からも声からも感情の動きはまったくうかがえない。いや、顔や声に感情を表わさないだけなのだ。
 その挙動には思うことが率直にあらわれていた。
 男はスーツケースから見るもおぞましい、かつて食品だったものをつかみ出すと、カスミの前に差し出した。
 パックの中の豆腐はいまや、かたちをとどめぬほど腐敗し湧きさわぐ無数の蛆の巣窟と化している。
「受け取れないのか?」
 彼女はまったく、固まってしまっていた。
 気絶をせずにいるのが不思議なほどだった。
「返事をしたらどうだ」
 豆腐男はあくまで、自分の要求がまったく正当であるのを疑わない態度だ。
「この店の豆腐だぞ。この店で引き取るのが筋だろ」

 かくなるうえはカスミといえども、生き残るための知恵が回りはじめる。
 そうだ。自分ひとりでなく店長もいるよう芝居して、店長を呼びに事務所に引っ込んだ振りをしよう。すぐに事務所のドアを施錠してしまうんだ。それから警察に電話すればいい。
「少々お待ちください。いま、責任者を呼んできますから」
 カスミはこわばった表情のうちにできるかぎりの愛想笑いをし、平常な対応をよそおった。
「店長。店長~。いないのかな? あ、店長! いま、お客さまが……」
 彼女は架空の店長に呼びかけつつ、豆腐男と向き合ったカウンターの立ち居地から十歩ほど先の事務所の入口へと歩きはじめた。
 だが。
「おい、行くな」
 男はたちどころに彼女の意図を見透かしたらしく、妨害の挙に出てくる。
 ずっと店を監視していたに違いない。店長が出かけたのは承知の上なのだろう。

 しかも、豆腐男がカスミを行かせまいとするやり方はまことに効果的だった。
「ほら、返してやる」
 そう言って、カスミの前途に豆腐のパックを放り投げたのだ。
 それは事務所の入り口付近にぶつけられ、破砕した。
 中からはゲロにまみれたような特大の蛆虫がうごめきながら飛び散り、床をごぢょごぢょ這いずりまわる。
 カスミは悲鳴をあげ、飛びのいた。
 男はさらに、何個も続けてパックを投げつける。
 事務所に通じる床面は吐瀉物のような豆腐の破片、うにょうにょ身をくねらせる蛆虫で足の踏み場もなくなった。

 もう、いられない!
作品名:豆腐男 作家名:青木誠一