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第七章 星影の境界線で

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 案の定、大男は、むっと額に皺を寄せ、仲裁に入った吊り目男の顔を睨みつけたものの、やがて黙って手を離した。そして懐中電灯を拾う。
 そのまま踵を返し、大男は歩き出した。
 小男と吊り目男は肩をすくめ、あとに続いた。


 もともと、そう遠い距離だったわけではない。それからすぐに、彼らはキャンプ場の入り口に着いた。
 急カーブで曲がるオートバイの轍が、水はけの悪い地面に幾つも刻まれていた。それを目印として、あとを追うかのように、彼らも直角に曲がる。途端、火薬の臭いが濃くなった。
 ――だが、彼らは思わず、足を止めた。
 開けた草原の上を、今にもこぼれ落ちそうな星空が覆っていた。
 凶賊(ダリジィン)ですら、美しいと認めざるを得ない、光あふれる紺碧の星月夜……。
 そのとき、地上でも星が散った。続いて、爆発音――。
「おー!」
「やりぃ!」
 ――甲高い歓声。
 キャンプ場の真ん中に、少年たちがいた。
 誰かが火を付けてはそれを投げ、周りがやんややんやと囃し立てる。だいぶ酒も飲んでいるらしい。すっかり出来上がった調子だった。十数人はいるだろうか。思ったよりも多い。
「ちっ、餓鬼が……」
 小男が忌々しげに唾を吐いた。
 彼は、先頭の大男を押しのけて前に出た。そして、足元に転がっていた空き缶を、少年たちに向かって蹴り飛ばした。
 アルコール臭と、缶底に残っていた、べとつく、ぬるい液体を撒き散らしながら、缶が飛ぶ。
 彼我の距離からして、当然のことながら少年たちのところまでは届かなかったが、軽いアルミの音は、端のほうにいた少年を振り向かせるくらいの役には立った。気づいた者が、近くの者の服を引き、やがてそれが集団全体に伝搬する。
 少年たちが緊張の色に染まり、水を打ったかのように静まり返った。
 小男は、ふっと鼻で笑うと、おもむろに腰の刀を引き抜いた。これ見よがしに高く掲げ、星明かりを、ぎらりと反射させる。美しい刀身が、地上の星とは自分のことだと主張しているかのようだった。
「おいおい、殺すなよ。素人の餓鬼を殺すと面倒だぞ」
 吊り目男が半ば呆れたように忠告する。
「分かっているさ、ちょいと脅すだけだ」
 そう言って小男は、肩を怒らせながら少年たちに近づいていった。
「オラオラ、餓鬼ども!」
 派手に刀を振り回し、小男は大声を張り上げる。立ち尽くす少年たちの細かな表情は読み取れないが、微動だにしない様子から相手が凶賊(ダリジィン)と気付き、脅えているのだろう。
 小男は愉快に思いながら、大股に歩いて行く。
 もう少しで、少年たちが刀の間合いに入る、というときだった。
「おっさん! 何様のつもりだよ?」
 耳障りな、キンキンと高めの声が放たれた。一番奥で、木製のベンチに座っていた少年が立ち上がった。
「ここは俺らの遊び場だぜ? 邪魔すんなよ」
 痩せぎすだが、物怖じしない目をしていた。少年は顎をしゃくりあげ、ベンチにおいてあった酒瓶を片手に、ゆっくりと小男に向かっていく。
「……あ?」
 怖気づいているとばかり思っていた相手に、おっさん呼ばわりされ、小男は一瞬、状況が掴めなかった。
 少年は小馬鹿にしたように酒をあおり、にやりと笑って酒瓶を近くにいた仲間に手渡した。やおら胸ポケットに指先を突っ込むと、次の瞬間、彼の手の中でライターがカチリと音を立てる。
 ――ぼっ……。
 少年が火を吐いた。――口から一気に吹き出された酒(アルコール)の粒子が、炎を纏って小男に襲いかかった。
「うわっ!?」
 想像だにしなかった出来ごとに、小男が飛び退く。
「へっ、ばーか」
「こ、こぉんの、糞餓鬼がぁ!」
 少年に向かって、小男が本気で刀を振り下ろそうとした瞬間、その背後にしなやかな黒い影が走り寄った。影は軽やかに跳び上がり、小男の後頭部を蹴りつける。
 強烈すぎる衝撃に、声もなく倒れる小男……。
 ふわり、と黒い影が草原に降り立った。長く編まれた髪も、一瞬だけ遅れて彼の背中に着地する。飾り紐の中に収められた金色の鈴が、きらりと星明りを跳ね返した。
「ナイスだ、キンタン」
 テノールが響く。
「ルイフォンも、さすがだな」
 ふたりの少年のシルエットが、ハイタッチを交わす。
「な……」
 少し離れたところで見ていた吊り目の凶賊(ダリジィン)は、己(おのれ)の目を疑った。自分が受けた衝撃を、なんと呼ぶべきかすら分からない。
 たかが子供に、天下の凶賊(ダリジィン)が手玉に取られた。確かに、あの小男は強いとは言いがたかったかもしれない。だが、完全に見下され遊ばれていた。
 倒された小男を、少年たちが寄ってたかって拘束しているのが見えた。刹那、彼の中に激昂が生まれた。
「が、餓鬼がぁ……! ふざけんじゃ――っ!」
「動くな」
 低く魅惑的な声が、吊り目男の行く手を遮った。
 風が疾(はし)り、星明りの闇に黄金比の美貌が浮かび上がる。
 見渡す限りの草原の中、いったい何処に隠れていたというのだろう。少年たちの集団から離れたこの場に、突如として現れた美の化身。闇色でありながらも、艶(つや)やかに輝く黒髪が、肩口で疾風の名残りに揺れていた。
「鷹刀……リュイセン……」
 つい数時間前、斑目タオロンを倒したとして、情報を受けた顔と名前。
 圧倒的な存在だと、吊り目男の本能が悟った。彼は刀の柄に手をかけたまま、腰が引けた。
 だが、そのとき。すぐそばで獣の雄叫びのような太い声が上がった。同僚の大男が、地響きを立ててリュイセンに踊りかかったのだ。
「うぉぉぉ!」
 リュイセンは涼しい顔のまま、両手を腰にやり――……。
 吊り目男は、その先を目で追うことができなかった。理解できたのは、リュイセンの凶刃がぎらりと光を放ったということ。そして、大男が中途半端に刀を引き抜いた状態で自分の足元に転がっているということだった。
「『神速の双刀使い』……」
 相手に抜刀すらも許さぬ、神の御業――。
「リュイセンさん、かっけー!」
「さすが!」
 遠くで少年たちが沸き立ち、拍手喝采に口笛が木霊する。
「あ、あ、ああ……」
 吊り目男の、柄にかけられていた右手と、何もしていなかった左手が、同時に上がった。リュイセンの刀尖が、吊り目男の喉仏の前で止まり、勝負が決まる。
「おい、リュイセン。本当に斬っちまったのか?」
 小男を蹴り倒した少年が駆け寄ってきた。――鷹刀一族総帥の末子、鷹刀ルイフォンである。
「お前が峰打ちにしろと言ったから、そうしたぞ」
「だって、そいつ、ぴくりとも動かねぇし」
 出血はないが、大男は完全に意識を失っている。
「本気の相手に、全力を出して何が悪い?」
「いくら峰打ちでも、リュイセンさんが全力でやれば、こうなるだろ……」
 火を吹いた少年が呆れたように言いながら、ふたりのやり取りに加わった。繁華街の情報屋、トンツァイの息子のキンタン――カードゲームでルイフォンにわずかに及ばず、毎度のように勝負を仕掛けてくる彼である。
 ――こうして、メイシアの父、藤咲家当主救出作戦は、繁華街の遊び仲間に紛れて別荘に近づくところから始まった。


作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN