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第七章 星影の境界線で

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 だけど先輩は、俺にまっすぐな目線を向けて、自分の過去に明確な言葉という形を与える。
「人質に危険が迫っていると判断した俺は、迷わず引き金を引いたよ」
 潜めた声が、抉(えぐ)るようにくっきりと俺の耳に届く。
「彼女の目の前で、父親が死んだ。俺が、殺した」
「……」
「彼女は死体にすがって泣きじゃくり、俺をなじった。――これが彼女との出会い。最悪だろ?」
 先輩はわざと軽めの口調を使ったが、それはちっとも功を奏していなかった。
 先に出されていた水のグラスの中で、氷が溶けて、からんと鳴った。先輩はそれを一口飲んで、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……今でもさ、あのときの俺の行動は間違いじゃなかったと、俺は胸を張って言えるよ」
 先輩が、言葉とは裏腹に悲しげに笑う。
 俺でも同じ判断をしたと思う。だから、俺は何も言えなかった。
「シュアン。あのころの俺は、今のお前よりも、まだまだ若くて青臭かった。だから、彼女の父親を撃ったことは正しかったと、遺族の彼女に納得してもらいたいと思っちまったんだ。だから後日、彼女の家に弔問に行った。それが誠意だと思ったんだよ」
 理由はどうであれ、殺した者と遺族の間に和やかな空気が流れるわけがない。話の先を予測した俺が顔をしかめると、先輩も同じ顔で苦笑していた。
「再会したときは彼女も落ち着いていて、俺に命を救われたと、感謝の言葉を口にしたよ。それで俺は調子に乗って、自分の正当性を主張しちまった。そしたら、彼女が言ったんだ――」

 あなたは正しいことをしたのでしょう。それは私も認めます。
 けれどそれは、あなたが撃ち捨てた『それ以外の無限の可能性』を忘れていい理由にはなりません。万にひとつの可能性だったとしても、父も私も無事だったという未来は存在したんです。
 あなたの一発の弾丸は、『それ以外の無限の可能性』を撃ち砕いたんです。その重みを背負って生きてください。
 決して、目を背けないでください。

「俺の正義の裏で泣いている者たちがいる。俺はそれまで、そんな当たり前のことに気づけなかった。思い知らされたよ。俺の正義は薄っぺらだった、と」
 こんなとき人は、肩をすぼめ、うつむいて話すものではないだろうか。少なくとも俺ならそうなる。けれど先輩は前を向いていた。
「彼女の言葉が忘れられなくて、気づいたら俺は何度も彼女の家を訪れていた。いつの間にか彼女に惹かれていた。彼女に認めてもらえる男になりたいと思った」
「……それは、罪悪感じゃないんですか?」
 よく考えれば、酷い言葉だったと思う。けど先輩は、気を悪くすることもなく言った。
「彼女も、俺を偽善者だと罵ったよ」
 先輩は穏やかに笑った。そのとき俺は、先輩の気持ちに納得してしまった。
 ――かつての先輩は打ちのめされ、下を向いていたのだ。
 それが、彼女と言葉を交わすうちに変わっていったのだ。
 強く――。
 彼女の心を守れるように――。
「先輩、歪んだ愛ですね」
 俺は、わざとらしく大きな溜め息をついた。
「な……」
「でも、どうやら先輩には彼女が必要なようですね」
 笑いを含みながら、俺は先輩の顔を睨(ね)め上げる。先輩は俺の言葉が信じられないかのように瞬きを繰り返し、やがて満面の笑顔になった。
 俺はふと気づいた。よく見れば、先輩のシャツは昨日と変わってなかった。
 ……なんだ。朝帰りだったのか。
 急に馬鹿馬鹿しくなってきた俺は、ふっと真顔を作った。
「他言無用だなんて断らなくても、俺は誰にも言いませんよ」
「ん? ありがとな……?」
 微妙な空気を察したのか、先輩が首をかしげながら礼を言う。
 そこで俺は、にやりとした。
「皆から慕われている先輩が、実はマゾだったなんて話、とても言えませんよ。部隊の士気に関わります」
「ははは、そうだなぁ」
 先輩は屈託のない顔で笑う。
 ――ああ、本当にこの人は……。……心から、彼女に救われたのだろう。
 柄にもなく目頭が熱くなってくる。それを誤魔化すかのように厨房のほうへと体を向けると、湯気の立つトレイを持った店員がちょうど出てくるところだった。
 先輩の隣で朝食を摂りながら、俺は思う。
 ――前途多難だとは思いますが、いい顔してますよ、先輩。


 時は流れ――。
 俺とローヤン先輩は、たもとを分かった。
 どちらが善で、どちらが悪かと問われれば、俺のほうが悪だろう。
 そんなことは知っていた。


 とある日の夕暮れ。
 横から赤く塗られた射撃場で、俺は自主訓練をしていた。冬から覚め、夕日の力が徐々に強くなりかけたこの時期は、まだ電灯の光に頼らずに的を狙える。
 ふと入口の扉が勢いよく開かれ、同僚のひとりが飛び込んできた。
「ローヤン先輩が、結婚するんだって!」
 平日のこの時間帯は、結構、人の入りが多い。相手は誰だ、どこで知り合ったと、あっという間に大騒ぎになる。
 誰と、なんて聞かなくても分かっている。
 あの先輩が心に決めた女以外と一緒になるわけがない。
 ああ、そうか。ついに受け入れてもらえたのか。

 お幸せに――。

 俺は空に向かって祝砲を上げた。
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN