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第七章 星影の境界線で

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3.すれ違いの光と影ー1



 頭上は、紺碧の空に覆われていた。
 虚無の中に吸い込まれるような深い色。それに喰らいつくかのように、自らが立つ別荘からは、煌々とした光の牙が発せられている――。
 斑目タオロンは、バルコニーの手すりに手をかけ、空を仰ぐ。
 見通しの利く明るさは、闇を恐れる本能からすると、安堵するものである。だが彼は、天に撒き散らされているはずの星々を見失っているのではないかという、不安にかられていた。
 タオロンは目線を下げ、庭を一望する。
 張り出したバルコニーからは、一番端に植えてあるブルーベリーの低木までよく見えた。この別荘の元の持ち主たる貴族(シャトーア)は、自慢の庭を愛でるために、このバルコニーを作ったのだろう。のちに凶賊(ダリジィン)の監視台になるとは、夢にも思わなかったに違いない。
 手すりに体重をかけ、やや身を乗り出すようにして、タオロンは別荘の明かりから体を離す。向かい側で闇を作る、鬱蒼とした森に目を凝らした。
 ――いた。
 散策路の口に、ふたつの人影。
 ひとりは、キャンプ場に出たと報告のあった、鷹刀リュイセン。
 そして、もうひとりは、貧民街でタオロンが完敗した、鷹刀ルイフォン――。
 純粋な凶賊(ダリジィン)同士の勝負なら、ルイフォンの奇をてらった攻撃はご法度だった。だが彼は、ただ藤咲メイシアを守るためだけに戦った。だからタオロンは、ルイフォンを卑怯だとは思わない。
 本当に来たのか、とタオロンは溜め息をついた。
 できれば会いたくなかった。〈蝿(ムスカ)〉が「この別荘には子猫が来ますよ」と言うのも、信じまいとしていた。
 隣接するキャンプ場から少年たちの声が聞こえたとき、鷹刀ルイフォンの存在が頭をよぎった。だからこそ、部下を見に行かせた。そこらにいる、ただの悪餓鬼だったとの報告を期待したのだ。
 ルイフォンは、負けん気の強そうな、まっすぐな少年だった。それでいて頭が回り、凶賊(ダリジィン)の総帥の実子でありながら、肉体派ではなく頭脳派。――戦闘には不向きなのに、命じれば代わりに戦ってくれる者はいくらでもいるであろうに、自ら乗り込んできた。
 藤咲メイシアのために――。
 無鉄砲な若さが羨ましい。
 タオロンは、太い眉の間に皺を寄せる。
 彼とて、まだ二十四である。童顔ゆえに、二十歳そこそこに見られることすらある。それでも彼は、ルイフォンに対して憧憬に近い思い――失われた星々に似た輝きを感じていた。
 ――タオロンの目が、じっと暗い森を見る。
 他に人影はない。ふたりきりで潜入するつもりなのだろう。なんともルイフォンらしい。
 こちらも別荘の警護を固めたいところだが、タオロンが指示を出す前に、誰かが勝手にキャンプ場に応援を送ったため、人手が足りない。曖昧な命令で、非番の者全員に通達されたのだ。
 これで、よいのだ。――タオロンは、そう思う。
 どの道、自分は駒にすぎない。遠くで煌めく星々よりも、手元で輝く珠のほうが、タオロンにとって比類なき存在。その七色の輝きのためになら、彼は泥水だって飲む。
 タオロンが鋭い眼光を放つと、ルイフォンとリュイセンは、しっかりと応えた。
 交錯する視線。
 想いと想いが絡み合う。
 ――そこにいるのは分かっている。早く来い。
 タオロンは、闇の中のふたりに向かって、無言で告げる。
 そして、踵(きびす)を返す。
 藤咲姉弟の父親の部屋で待っていればよいのだ。ふたりは必ずたどり着く。
 ……その前に、ファンルゥの寝顔を見てこようと、タオロンは思った。
 普段は聞き分けのよい子だが、今日に限っては「チョコをくれる約束だった」と散々、泣きわめいた。くりっとした大きな目を、涙でいっぱいにした顔には、正直、心が痛んだ。
 理由も分からず、いきなり別荘に移動させられて、さぞ不安なことだろう。寂しさから、我儘を言って気を引きたかったのかもしれない。
 まっすぐな廊下を、タオロンは歩く。右手側は部屋の扉が続き、左手は窓になっていた。夜でも明るい照明の廊下に対し、外は闇に沈んでいる。硝子窓が、鏡のようにタオロンの姿を映していた。
 刈り上げた短髪。常に額に巻いている赤いバンダナは、藤咲メイシアに負傷させられた腕を覆うのに使ったため、今は洗濯中だ。そして、その下の太い眉は、いつもの精彩を欠いていた。
 情けない男の顔だ。
 タオロンは自嘲した。
 このまま斑目一族に服従するのと、〈蝿(ムスカ)〉の誘いに乗るのと、どちらがマシというものだろうか――。
 そんな彼の葛藤は、ファンルゥのベッドを見た瞬間に、明後日の方向に吹き飛ばされた。
「――ファンルゥ!」
 もぬけの殻だった。
 皺になったシーツを前に、彼は自分の迂闊さを呪った。
 誰に似たのやら、いざ行動に移ったら猪突猛進のファンルゥだ。寝たふりをしてタオロンを安心させ、充分に夜が更けてからチョコを探しに行ったのだろう。
 いつもなら、とっくに睡魔に負けている時間だ。しかし、今日は移動中によく寝ていた。それに加え、初めて来た別荘という、見知らぬものに対する興奮。着いてすぐに、別荘中を探検していたほどの好奇心。ファンルゥが、おとなしく寝ているはずがなかった。
 行き先は厨房か。
 これから、この別荘は戦場になる。ファンルゥには見せたくない。早く見つけ出さねばならない。
 タオロンは刈り上げた黒髪を掻きむしり、ふと気づく。
 ――厨房なら、まだいい。万が一、探検と称して地下に入ってしまったら?
 ファンルゥが興味を持たないよう、タオロンは軽い口調で「地下には大事で、壊れやすいものがあるから行ってはいけないよ」とだけ言った。厳しく言い聞かせておくべきだったのだろうか。
 ともかくファンルゥを探そうと、タオロンは部屋を飛び出した。
「糞……っ」
 監視カメラが使えれば、と彼は毒づいた。別荘中のカメラが、鷹刀ルイフォンによって無用の長物になっていることは、先ほど確認済みだった。
 そのとき、タオロンの携帯端末が鳴った。
「本邸から……?」
 訝しげに受けると、タオロンの耳を衝撃が襲った。
 曰く――。
 斑目一族の資産の大部分が凍結された。こちらは今、大混乱である。
 そちらの作戦の成功は、今後、重要な資金源となるから、心して遂行するよう――。


 ルイフォンとリュイセンは、厨房からほど近い階段室にいた。
 見取り図からすると、階段は二箇所にある。もと貴族(シャトーア)の別荘ということを考えても、建物の中央にある、吹き抜けの大きなものがメイン階段だろう。そして、小ぢんまりとしたこちらは、使用人たちが使うことを想定して作られたものに違いない。
 こちらの階段は他の部屋とは隔離された空間になっており、侵入者たるふたりにとって都合のよい構造になっていた。しかも狭い階段室でなら、敵と遭遇した際には、多勢に無勢でも一対一で戦える。
「それにしても人の気配が薄いな」
 リュイセンが、半眼で耳をそばだてた。意識を集中したときの彼は、壁一枚隔てた向こう側の人数を当てることができる。
「このまま三階に上がろう」
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN