小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

第七章 星影の境界線で

INDEX|14ページ/42ページ|

次のページ前のページ
 

 シュアンは、ホルスターの中の拳銃を意識した。先ほど、麻薬取締りで使った分の弾は、ちゃんと補充してある。
 この巨漢は見た目は肉体派だが、指揮官の監視役を任されていた男だ。意外に頭が切れるのかもしれない。完全に拘束されている相手を恐怖しているわけではないのだが、油断は禁物だった。
 シュアンは警戒心が顔に出ないよう、口元に薄ら笑いを浮かべる。点滴のスタンドに近づき、薬剤の落ちる速度を早めた。
「あんたの名前と所属は?」
 高圧的に見下ろし、シュアンは巨漢に尋ねた。
「名前は、なんでしたっけね? 所属は、見ての通り鷹刀の捕虜でしょう?」
「随分と、ふざけた答えだな。まぁ、俺もあんたの名前なんかに興味はないけどな」
「はははは! 奇遇ですね。私もですよ! はっはっは」
 受け答えとしては決しておかしくはない。だが、場違いなほど陽気に巨漢は笑った。その異常さは、すなわち薬が効き始めた証拠だった。
 そのとき、部屋の扉が開き、モップを持ったミンウェイが戻ってきた。
「あ……」
「さっき、目覚めた。薬が効き始めたところだ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
 ミンウェイはシュアンに一礼すると、モップを置いて巨漢の傍らに立った。
 白衣の背中は、ぴんと綺麗に伸びていたが、どこか頼りない。よく考えれば、既に点滴が落とされている敵を置いて部屋を出たのは、彼女らしからぬ失態といえた。
 巨漢は何を思ったのか、ミンウェイを見てうっとりと微笑んだ。それに対し、ミンウェイは、ただ凪いだ目を向ける。
「ここは鷹刀の屋敷。あなたは捕らわれていて、生殺与奪の権は私にあります。薬剤の投与をしていますが、あなたの体の状態は常にモニタされているので、危険な状態になったら休止することも可能です」
 ミンウェイの言葉に、巨漢はけたけたと笑い出した。 
「もぉっと、分かりやすくぅ言うべきですよぉ。薬を打たれている私がぁ、そんな複雑なことぅを理解できるわけないでしょぉ」
 呂律が回っていない。だが、言っていることは至極まっとうである。ミンウェイは、はっと小さく息を吸い、吐き出した。
「私の質問に素直に答えれば、命は助けてもよい、ということです」
 まだ充分な薬が体内を巡っていないと判断したのか、彼女は点滴の量を増やした。モニタが警告音を鳴らし、巨漢の心拍数が急上昇したことを告げる。
 無慈悲なまでの穏やかさで、ミンウェイは巨漢に目を向ける。一見、彼女に余裕があるように見えるが、シュアンは彼女のまとう雰囲気に不協和音を感じていた。
「あなた方は、お祖父様――鷹刀イーレオを、誘拐犯として生きたまま捕らえるつもりでしたよね?」
「そぉうですよ」
「警察隊に逮捕させて、裏で斑目に身柄を引き渡す。そういう約束だったのでしょう?」
「あぁ」
「生かしたまま捕らえて、そのあと、どうするつもりだったんですか?」
「……殺したらぁ、それで終わりでしょうぅ? 生かしてこそ、苦しみを与えられるぅ。は、ははははは……」
 さも愉快だと言わんばかりに、巨漢が笑う。
「あぁ、本当にぃ、この体は薬物の耐性がありませんねぇ。……そうか、トリップとはこういう気分……。まるで美酒に酔いしれているようぅ。はっ、はっはっは……。エクスタシーですねぇ……」
 聞いてもいないことを、ぺらぺらと喋りだすのは、薬の効果。巨漢は、豪快に笑ったかと思えば、うっとりと目を細める。そして、蕩(とろ)けたような顔をミンウェイに向けた。だらしなく開けた口元に、つぅっと唾液が垂れる。
「ああぁ、〈ベラドンナ〉。君の体も、薬に慣らしてしまっていたねぇ……。それは勿体ないことだったぁ……。私は罪悪感を感じるぅぅ……」
「……!」
 ――ミンウェイの瞳に、感情の色が走った。それは波濤に飲まれる恐怖の闇色をしていた。
 彼女は言葉を失っていた。小さく唇が動くが、なんの音も出せないでいた。
 シュアンは眉を寄せた。
 薬を打たれて気が大きくなっている巨漢に対し、問う側のミンウェイが喰われている。
 室内に、警告音が鳴り響き、モニタの波形が激しく波打つ。それと張り合うかのように、巨漢が哄笑を上げた。
 ちっ、とシュアンが舌打ちした。
「おい、ミンウェイ!」
 巨漢の言動に神経を尖らせつつ、シュアンは横目でミンウェイを見やった。
 長い髪が背でまとめられ、彼女の白い耳たぶは、むき出しになっていた。だが、形のよい耳は、このやかましい状況下で役目を忘れたかのように機能していなかった。
「俺を失望させんなよ」
 シュアンはミンウェイの肩を抱き寄せ、耳元に口を寄せた。まるで恋人に囁くかのような甘い動作で、彼女の鼓膜に毒を注ぐ。
「――喰い殺す側の人間だろ、あんたは」
「……あ」
「それとも、俺に喰われるか?」
 そう言ってシュアンは体を引く。薄ら笑いを浮かべた口から、狂犬の牙が覗いていた。
「緋扇さん……」
 戸惑いの表情で、ミンウェイの目がシュアンを追った。そして、ふたりの視線が合ったとき、彼女の瞳に柔らかな光が灯る。彼女は緩やかに、くすりと笑った。
「お断りします」
「そうかい。それは残念だ」
 ちっとも残念そうではなく、シュアンは鼻息を漏らす。
 巨漢に視線を戻した彼の耳に、「感謝します」という小さな声が入ってきた。しかし、彼は騒音に掻き消されて聞こえなかったふりをした。
 ミンウェイは改めて巨漢と向き合った。穏やかな、凪いだ瞳を取り戻し、尋問を再開する。
「あなたのことを教えてください」
 巨漢が笑いを止め、濁った目でミンウェイを見上げた。
 彼女が言葉を重ねる。
「『生かして苦しみを与える』――それは、斑目の望みですか?」
「当然、……私……の望みに決まっていますよぉ!」
「あなたは何者ですか?」
「私……、私……? ……わた……。……俺…………?」
 巨漢が、急に押し黙った。何かに悩むかのように眉根を寄せている。じわりじわりと額に脂汗が浮かんできた。
「『俺』は……。『俺』は…………」
 呻くような声が、絞り出される。
「ちがぅっ! 『俺』はっ……! あぁ――――!」
 突如、眼球が飛び出しそうなほどに、目が見開かれた。
「『俺』は、〈影〉……!」
 全身が痙攣し始め、巨漢は獣のような唸り声を上げる。 
「ミンウェイ、心拍数!」
 機器が激しく警告音を鳴らす。
 薬の過剰摂取などではない。だが、ミンウェイは慌てて点滴を外す。
 そのときだった。
 巨漢の全身が、真っ赤に染め上げられた。
 血管という血管が破裂して、血の飛沫が飛び散る。
「な……」
 シュアンは絶句した。隣ではミンウェイが青ざめた顔で呆然としている。
 巨漢が苦悶の表情を浮かべ、台の上でぴくぴくと動いていた。モニタは、ごくごくゆっくりと波形を描き、だが、完全には止まっていない。
 不意に、少し離れたところから動くものの気配があった。
 シュアンは、どきりとして振り返る。
「ああ、『呪い』が発動したんですね」
 今まで、完全に意識の外にあった、シュアンの先輩。
 隣の台に拘束されていた彼が、こちらに顔を向け、嗤っていた。


作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN