短編集32(過去作品)
素直だと思っていた彼と私のそれぞれを想う気持ち、私はまだ疑ってしまっている。そんな自分がまた嫌になっている時期でもあった。
「そんなに自分を苦しめることないんじゃないかい?」
またしても、心のうちを見透かされているようで癪だったが、それがいわゆる彼の「優しさ」なのだ。それを分かっていて敢えて聞いてしまう女の性、自分ではどうしようもない。確かめたくて仕方がなければ、自分を抑えられなくなる。
「苦しめているわけじゃないんだけど、あなたを見ていると、どうしてもいろいろ聞きたくなるの。ごめんなさい、悪気はないんだけど……」
「分かっているよ。人を好きになればそんなものさ。俺だって、君に聞きたいことはあったりもする」
「そうなの? 聞いてくれればいいのに」
自分の顔色が一瞬にして明るくなったことを感じる。まるで魔法から解き放たれたような気分である。彼も私と同じだったんだと思っただけで、呪縛から逃れたのだ。女ってある意味、単純なのかも知れない。
「いや、聞けないんだよ。男の意地のようなものかな? それに俺は自分が思ったことを信じて、君を見るようにしているからね。だから自分が信じられる」
「素晴らしいことだわ」
「俺は君が好きになったのかも知れないね。何しろ君の前でだけは、本当の自分を出せる気がするからね」
そこまで言われるともう言葉が出てこない。優しくしてくれる彼をもう疑ったりしないだろう。だが、まだ少し引っかかりがある。とすれば、うわべで見えていることではなく、私の中の本質的な性格によるものではなかろうか。
人間としての彼を尊敬し、好きになっている私であるが、俳優としては尊敬しかねるところがある。自信過剰なわりには、あまり野心が見えてこないところである。普通であれば、自信過剰な人は役が廻ってこなければ苛立ちを覚えるか、自信喪失しそうなのだが、彼にはそれがない。何を考えているか分からないところがあるのだ。
確かに彼は劇団を取り仕切る役をしていることもあって、なかなか役者としての出番が廻ってこない。それについてどう考えているかが、見えてこないからだ。裏方に徹していて、一生懸命にがんばっているようなのだが、細かいことにいつも苛立ちを覚えている彼の性格からして、その状況に耐えられるかどうか不思議で仕方がない。だからこそ、考えが見えてこないのだ。
私はというと順調に役が廻ってきていた。
最初はさすがに小さな役ばかりだったが、次第に役が大きくなり、露出も多くなってきた。一気に大役を仰せつかるのもセンセーショナルでいいのだろうが、小さな役からコツコツと這い上がっていく方が、私には合っている。一生懸命に勉強するという気持ちになれるからで、何よりも緊張感を持続できそうに思うからである。一気に大役を任されて、つぶれずにできるほど、神経が図太くない。
おかげで、少しずつ大きくなってきた役も、最近では脇役の中でも中心的なものとなり、いよいよ大きな役への野心が生まれてもいい頃になってきた。しかし、この間発表された芝居の役は、それほどの役ではない。セリフもグッと少ないし、露出もほとんどない。実に信じられなかった。
――誰かが私を陥れたのかしら――
などと、それこそアニメかドラマの安っぽいシナリオを思い浮かべたりした。それほど私にとってショックだったのである。
苛立ちは、きっと自分では分からないまでも、まわりの人は敏感だったかも知れない。特に彼には分かっていたようだ。
「かなりショックなようだね」
「そんなことないわ」
と最初は涼しく話していたが、声のトーンがいつもと違うことを自分でも分かっていた。そんな私に彼が気付かないわけはない。
「君は俳優の仕事になると熱くなるね」
本当は放っておいてほしかった。こんなに苛立った私を見られたくないという気持ちと、俳優という仕事にそれほど情熱を燃やしていないように見える彼に、見透かされたくないという気持ちが渦巻いていた。どちらかというと後者の方が強かっただろう。
「……」
「でも、それは悪いことじゃないんだ。きっとそれが君のいいところだと思うんだよ」
「いいところ?」
少し意外な返事にびっくりした。
「そうだよ、自分の気持ちを表に出すのはいいことだと思うんだ。でも、人それぞれで違う。それが個性というものなんだろうね」
「私は個性を大切にしたいと思ってるわ。個性というか感性ね」
俳優にとっての個性とは何だろう? 今までに何度も考えてきたことだ。そして見つけた結論が「感性」である。同じものを見たり聞いたりするのでも、人と違った感じ方ができればそれが感性、いや、違った考えで当たり前なのだ。それをしっかり自分の中で感じることができれば、それが立派な感性。
「そうだろう? だからそれが君のいいところなんだよ」
「大切にしていいのね?」
彼も個性を大切にする人だと思うと嬉しくなってきた。あまり彼とはそんな話をしたことがなかったので、もっといろいろ聞いてみたかった。
「ああ、もちろんだよ。今の君は悔しがることで自分を高めようとしている。例えは悪いが、風邪を引く時と同じなんだよ」
「風邪?」
「そう、風邪を引いて発熱するのは、身体が侵入してきた菌と戦っているからなんだ。だから、熱が高すぎない限り、必要以上に熱を下げようとしないだろう?」
「そうね、熱が自然に下がれば抵抗力がついて、免疫ができているっていうものね」
「無理をすることはないんだよ。君にしても、俺にしてもそうだと思うんだけど、先を考える前に今を考えるのも必要だと思う。自分にできること、そして、今の自分に何が必要かということを考えるのが大切なんじゃないかな?」
彼の話を聞いているうちに、次第に苛立ちがなくなっていった。持って生まれた性格は仕方がないとして、それを長所に変えれればそれに越したことはない。
「短所だと思っていることも、実は長所の裏返しだったりするものね」
「そうだよ、だから俺は短所を無理に治そうとせず、長所を伸ばすことを優先するようにしているんだ。それが自分に対する見極めであり、先のことを見つめるための第一歩だと思うようにしている」
何となくだが、彼の言っていることが分かってきた。そしていつの間にか苛立ちも消えていた。
苛立ちが消えていたと感じたのは、彼の瞳に私の姿が写っているのが見えたからだ。いつも彼の目を見て話す私は、瞳の中にいる自分を見つめていたように思う。それが今日は少し興奮していたせいもあってか、気づかなかった。落ち着いてきて彼の瞳の中の自分を発見することが、いつもの自分だという自覚である。
少し自分が分かってきたように思えた。それからしばらく、彼の瞳の中に写った自分の姿が忘れられなかった。
――何が引っかかっているのかしら――
彼への気持ちは本物だ。話をするたびに教えられることも多く、お互いに与えたり与えられたり、理想のカップルではないか。
コーヒーを飲みながら考えていた。
喫茶店は相変わらずの賑わいで、同じ年頃の女の子の話題が、実に幼く感じられる。
――ああ、何となく分かってきた――
作品名:短編集32(過去作品) 作家名:森本晃次