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短編集31(過去作品)

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 ある日、厭味な先輩社員と揉めたことがあったが、その時、私を励ましてくれたのが女性社員だった。彼女が先輩社員の話をする時に見せたまるで苦虫を噛み潰したような表情を見て、先輩は完全に女性から嫌われる性格だということを知った私は、少し気が楽になった。なるべく気にしないように過ごすつもりで仕事をしていたが、それが先輩には気に食わないのか、さらに態度が露骨になっていった。
「あまり露骨にならずに、気配を消すくらいの気持ちで仕事していればいいのよ。そのうちあの人も相手にしなくなるから」
 女性社員からアドバイスを貰ったが、どうやら私には無理なようだった。一触即発の状態に、事務所の中には何とも言えない張り詰めた空気が充満している。
 問題の先輩社員がどう感じているか分からないが、私としては実に息苦しいものだ。しかもまわりの人に迷惑を掛けているのは歴然で、次第にプレッシャーとなり、ストレスへと発展していった。
 ある日私はついに体調を崩してしまった。ストレスからくる胃潰瘍だったが、入院を余儀なくされ、半月ほど会社から離れなければならなかった。ずっと続けてきた緊張の糸が、
「プッツン」
 と音を立てて切れたのだ。しかも私には切れる時の音が聞こえたような気がした。もちろん気のせいなのだろうが、そんな音まで聞こえるということは、それだけ自分が重症だということに気付かされたのだ。重症といってもそれは自分にあるこだわりに対しての思いで、自分にとってどうにもならない性格であることが分かったからだ。
 だが、実際に退院して仕事に復帰してみると、先輩社員の態度に完全に臆している自分を感じた。
――病気したことですっかり弱気になっちなったかな――
 と痛感させられてしまった。それまでこだわりを持つことで気を張っていられたが、さすがに病気になったことで、身も心も弱気にさせられてしまったようだ。そのくせ生まれ持った性格だけはどうにもならず、先輩社員への歩み寄りなど考えられなかった。もっとも、私が譲ったとしても、もはやお互いに埋めることのできる距離は存在しない。相手が完全に意固地になっているのも分かるし、それだけに、入院前の自分がどれほど意固地だったか、そしてそのことで、まわりにどれだけ不快な思いを抱かせていたか、十分に思い知らされたのだ。
 そう思ってしまうと、考えられることは会社を辞めることしかなかった。私が会社を辞めない限りまわりに迷惑も掛けるが、やはり一番辛いのは自分である。弱気になってしまったことも事実だが、身体を壊したのもストレスからくること、結局は病気になったことがちょうどいいきっかけとなるのかも知れない。
 確かに大会社への未練もあった。しかし先輩がいるかぎりこれからの自分の人生が見えてこないのだ。先を考えるとお先真っ暗、これではいても意味がない。
 疲れ果てた私はしばらく正社員としての先を探さなかった。体調が万全でないというのもあったが、まだ少し人間関係に疲れていたのだ。
「何言ってるんだよ。社会に出れば皆人間関係に苦しんでるんだぞ。お前だけじゃないんだ」
 というアドバイスとも取れる怒りを聞かされたこともあった。
――私は自分の性格から苦しんでいるんだ。他の人とは比べものにならない――
 という言葉が喉の奥につっかえていた。怒ってくれる人のいうことも当たり前でもっともなことなのだが、彼のいうことは私も分かっている。しかし、それでも自分の性格からくる苦しみなので、どうにもならない。
「じゃあ、そんな性格変えればいいじゃないか」
 と言われるだろう。
「そんなことができるくらいなら、とっくに変えてるさ」
 と、言い返し、私も負けていないはずだ。
 すると後は喧嘩のように意見をぶつけ合うことになるになる、それはそれでいいことなのかも知れないが、その時の私には辛かった。完全に体調がよくなっていなかっただけに、会話だけでストレスを溜めるようなまねをしたくないのだ。何とか目立たないように静養しながら生活をしていたかったのだ。
 それからしばらくすると、職の話は向こうからやってきたのだ。前の会社で取引していたところから就職の話をいただいた。
「秋田さん、会社を辞められたんですね。どうですか、うちに来られませんか」
 そう言って話してくれたのは、私が営業をしていた頃の取引先の人事関係の人だった。規模が小さい会社なため、人事以外にも経理や財務まで面倒を見ている人だったのだ。名前を宮城さんといい、会社では部長職である。
「ありがたいお話ですね。私もそろそろどこかに就職を考えようと思っていたところなんですよ」
「そうですか、それはちょうどいい。秋田さんのことは社長にも話ししていますので、入社への支障はないでしょう。もしその気なら、すぐにでも私の方で動きますよ」
 宮城部長はいつも落ち着いた雰囲気の中でも、私と話す時だけは興奮しているようだ。他の人とは違う対応をしてくれる宮城部長を私も快く思っていた。この話は完全に渡りに船だった。
「ありがとうございます。それではお願いしてもよろしいでしょうか?」
 すると部長は、さらに喜びの様子を前面に押し出しながら、それでも落ち着いて、
「分かりました。では万事私に任せてください」
 ということで私のA物産株式会社への入社が決まったのである。
 営業で赴いていて知っていたとはいえ、入ってみるとさらに会社を小さく感じた。これならば私もやりやすいことだろう。
 入社して一ヶ月ほど経ったあとのこと、
「秋田さんって、思ったより気さくな方なんですね」
 昼の休憩時間にちょうどお茶を入れてもらおうと給湯室に向った時だった。女性社員が集まってコーヒーを飲んでいた。そのうちの一人が話しかけてくれたが、他の女性社員も興味を持った眼差しで私を見つめている。
「そんなに堅物だと思ったのかい?」
「そこまではないですけど、やっぱり大会社におられた方ですからね。前、営業で来られてた時はどうしてもそんな目で見るので、エリートとしてしか私たちの目には写りませんよ」
「そうでもないよ。結局辞めてこちらに入社したんだからね」
「でも、安心しました。宮城部長がわざわざ秋田さんに入社の誘いをかけられたわけがやっと分かった気がしましたわ」
 そういって微笑んでいる。その笑顔に屈託はなく、心から話しているんだと思うと私も思わず笑顔になれる。
――そうさ、自分は自分なんだ。変えられない性格なら、このまま自分を信じていくだけさ――
 と自分に言い聞かせていた。
 きっとこの会社ではうまくやっていけるだろう。いや、自分のことを信頼して誘ってくれたんだから、私の信念を貫けるくらいでなければいけない。ここからが私のスタートなのだ。
 この会社に入り、私にも彼女ができた。前の会社が忙しく、彼女を作る暇もなかったからだと思っていたが、今の会社での仕事を意気に感じてしているからだろうと考えが変わった。
 イキイキとして仕事をしているのは自分でも分かっている。今までのように言われての仕事ではなく、自分からしている仕事なのだ。やらされている仕事だったのが、今は自分で時間をコントロールしながらの任された仕事である。意気に感じないわけがない。
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次