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難攻不落

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 でも一向に話はかみ合わず、悟が諦めたようになって話さなくなると佳代子も言葉が出なくなってしまった……営業部の男性ならば趣味の話ではかみ合わなくても少しは共通の話題も見つけられる、お互いに相手をより良く知ろう、というレベルの会話までは出来なくても気まずい沈黙までは流れないのだが、今日はいけなかった。
 (結局、恋人も出来ない、結婚も出来ない、で歳とって行くのかなぁ……)
 佳代子はとぼとぼと歩き始めた。
 
 一方の悟。
 改札を出るとレンタルビデオ店が目に入る。
(まだ九時だしな……映画でも借りて行こうかな)
 悟は店に入って新作の棚を巡るが、めぼしい所は大体見てしまっている。
(そういえば……)
 佳代子は古い名作映画を好む、悟には古過ぎて題名くらいは知っていてもストーリーすら良く知らないものばかり、しかも佳代子は細かい心理描写に興味があるらしく、何度もじっくり見なければ気が付かないような細部にまで詳しい、そうなると悟にはちんぷんかんぷん、会話はそこで途絶えてしまうのだが……。
「あった……」
 悟が手にしたのは五十年代のイタリア映画、佳代子が一番好きだと言っていた『道』。
 
(なんと……白黒かよ……)
 アパートに帰って缶ビール片手にDVDをかけてみると、白黒の画面、しかも液晶テレビの両端には黒い帯が出てしまうレターボックスサイズ、テンポも遅くまだるっこしい。
 ところが……しばらくはぼんやり眺めるような感じで見ていたが、次第に引き込まれて行った。
 悟は『感動の……』とか『哀しみの……』とか謳われている映画はあまり好きではない、涙を強制されているようで嫌なのだ、泣いている場面がこれでもかと長く続いたりすると却って白けてしまう、しかし、この映画ではじわじわと哀しみが湧いて来る……ラストシーンを見終えた時、涙がとめどなく溢れて仕方がなかった、そして流した涙の分だけ気持ちはすっきりと軽くなって行く……。
 
 
 
「『道』、見ましたよ」
 翌日、会社でばったり佳代子と出くわした時、佳代子は目を伏せて通り過ぎようとしたが、悟はその背中にそうやって声をかけた。
 佳代子の足が止まり、ゆっくりと振り向いてくれた。
「正直、最初は古臭いなぁと思いましたよ、白黒だしテンポは遅いし大した事件も起こらないし……でも良かったです、最後はめちゃめちゃ泣いちゃいました……もしかしたら今まで見た映画の中で一番好きかも……」
「本当?」
「本当に……何度も見たんでしょう?」
「ええ……数え切れないくらい……」
「あの映画のこと、もっと教えてください、それと他にもお勧めの映画があったら」
「ええ、喜んで」
「今夜、時間あります?」
「いつもどおりですけど」
「じゃ、七時に昨日の店では?」
「ええ」
「楽しみにしてます」
 
 たった一本の映画、しかし、佳代子は驚くほど細かい部分まで憶えていて、話し出すと止まらない……悟もその映画を見ただけに興味を持って聞き、佳代子の感性の鋭さ、豊かさに舌を巻いた。
 その日は食事だけでは留まらなかった、静かな喫茶店に移って今度は同じ時期のイタリア映画の話をじっくり聞かせてもらった……『自転車泥棒』、『家』、『鉄道員』……どの映画もぜひとも見たくなった……。
 
 その日を境に二人はちょくちょくデートを重ねる様になった。
 レストランや喫茶店で佳代子の話を聞くばかりでなく、ボウリングやカラオケも楽しんだ。
 ボウリングでは佳代子のスコアは悟の五分の一にも届かない、それでものろのろと転がるボールが溝掃除をせずにぱたぱたとピンを倒せば佳代子は飛び跳ねて喜び、悟もその様子を見て微笑む。
 実は佳代子は歌もなかなか上手い、皆が歌うようなノリの良い曲が苦手なのでカラオケは敬遠していたのだが旧いバラードならば得意だったのだ。
 居酒屋にも足を運んだ、確かに佳代子は小さなグラス一杯のビールで真っ赤になってしまう、それが恥ずかしくて皆とは付き合わなかったのだが、悟に「ははは、もう真っ赤になってるよ」と言われても恥ずかしいとは思わない、そう言う時の悟の目が優しく微笑んでいたから。
 ジャズクラブは悟も佳代子も初めて……悟はジャズ奏者を知らず、佳代子は酒に弱い、共に独りでは行くこともなかったのだろうが、悟も佳代子もその雰囲気がすっかり気に入った。
 悟は決して先を急がなかったが、二人はいつしか寄り添って歩き、唇を重ね、そして初デートから半年経った、佳代子三十歳の誕生日の夜、とうとう体も重ねた。
 二十代も半ば過ぎると未だに処女であることも少し恥ずかしく思っていたのだが、悟は感激して優しく労わってくれた……悟にあげることが出来て良かった……佳代子は心底そう思った……。
 
 だが……。
 
 数日後、悟と佳代子がそういう関係にまで発展した、悟は宏と佳代子を落せるかどうか賭けをしていてそれに勝ったのだ、と言う噂がぱっと広まった。
 
 一夜を共にした事を知っているのは悟と亜季だけのはず……一瞬、亜季を疑ったが、狼狽している様子からしてそうは思えない、賭けの話は亜季も初耳だったらしく憤慨している。
 悟が言いふらしたとは考えたくはないが、賭けのために自分を騙していたのだと思うと……佳代子は奈落の底へ突き落とされた心地がする……。
 
 
 
 噂が広まる前日の昼休みのことだった。
 
「先輩、なんですか? 屋上に呼び出したりして」
「悟、お前さ、ついに落としたんだって?」
「落とした……って……」
「隠しても無駄無駄、『難攻不落』は亜季の親友なんだぜ」
「あ……そういうことですか、先輩は亜希さんからそれを……」
「何で言わないんだよ、賭けは俺の負けだな」
「亜季さんも賭けのことを?」
「いやいや、そんなこと喋ったら思いっきり殴られるよ、それもグーで」
「先輩……」
「なんだ?」
「あの賭けはなかった事に出来ませんか?」
「何で? お前の勝だろ?」
「確かに賭けには乗りましたよ、それもあって彼女に近付いたことも認めます、でも、俺、今じゃ本当に彼女を……」
「知ってるよ、逐一亜季から聞いてる、すごく良い付き合いみたいだな」
「ええ……」
「お前が本気なのはわかってるさ、もどかしい位ゆっくりした進展具合だったもんなぁ、初キスまで三ヶ月位かかってただろ? モテるお前なら最初のデートでキスくらい当たり前だろ? いくら相手がオクテだって驚異的な我慢強さだよな、それってお前がそれだけ本気だったってことさ、わかるよ、で、ベッドインまではまた三ヶ月だろ? よっぽど彼女のことが大事なんだな」
「ええ、そうなんです、彼女、そういう経験ないみたいで、強引に迫ったらいけない気がして……それに、もし嫌われたら取り返しがつかなくなる気もして……」
「正解だよ、亜季にそれを話した時の彼女と来たら、まるで初恋の中学生みたいだったそうだよ……そんなところにも惚れてるんだろ?」
「今となっては彼女の全部に……」
「いつプロポーズするんだ?」
「それもまだ……自然にそういう雰囲気になった時に、と思ってます」
「そうか……いや、いずれにせよおめでとう、この金はさ、賭け金じゃなくてお祝いのつもりで受け取ってくれよ」
作品名:難攻不落 作家名:ST