難攻不落
「いえ、やっぱり受け取れません」
「そうか?……わかった、じゃあ、結婚式の祝儀はうんとはずむ事にするよ、それなら良いよな」
「ええ……彼女、俺と結婚してくれますかね?」
「それは太鼓判を押すよ、亜季の口ぶりじゃいつ切り出してもイエスと答えてくれそうだぜ……自然な雰囲気も大事だけどさ、あんまり待たすのも感心しないな」
「そうですか、わかりました……ありがとうございます」
「よせよ、俺は不純な賭けを申し出た男だぜ、礼なら亜季にだけど、ま、俺から伝えとくから」
「はい」
悟と宏は午後の仕事に備えるべく、オフィスへ戻って行ったが、彼らの会話をペントハウスの陰でこっそり聞いていた者がいた。
資材部で『花』とも『お局』とも噂される女性、ぱっと目を惹く『花』でもあり、敵に廻すと恐ろしい『お局』でもあるというワケだ。
彼女は悟に「一夜限りの関係」を求め、本当に一夜限りで終ったクチ。
確かに『一夜限りで構わないから』と悟に迫った、だが本当にそれで終わったことには納得していない。
自分の魅力を持ってすれば年下の悟など手玉に取れる自信はあった、だが、その自信は悟に無残にも打ち砕かれてしまったのだ。
体裁もあって、表面上はすっきり、さっぱりしたように振舞ってはいても、内心、悟への未練と恨みを抱えているところへ持ってきて、あんな『難攻不落』と……。
彼女が腹立ち紛れにばら撒いた悪意ある噂は、その悔しい気持を尾ひれにして社内中を泳ぎまわった……。
「佳代子……いるんでしょう?」
アパートのドアを叩いたのは亜季。
「誰にも会いたくない……悪いけど帰って……」
「ねえ、そんな事言わないで開けて……大事な話があるの」
「ごめん……でも無理……」
「お願いだから少しでも話を聞いてよ……お願いだからさ……」
散々粘ると、ドアの鍵とチェーンが外れる音がした……。
「あのね、宏と木下君が賭けをしてたって事は本当だった、宏を問い詰めたら白状したの、思い切りグーで殴ってやったわ、あいつ、椅子から転げ落ちたわよ」
「そこまでしなくても良かったのに……」
「ううん、もう一発殴ってやればよかったって後悔してるくらい、女を落とせるか賭けるなんて最低、鼻血くらいじゃ罰が足りないわよ……でもね、木下君はお金を受け取ってないわよ」
「そんなこと、もうどうでもいい」
「ううん、聞いてよ、賭けたからくらいで半年も付き合えると思う?」
「……わかんない……」
「無理よ、あたしと宏なんて付き合って三日で……まぁ、そんなことはどうでも良いんだけど」
「普通はそうなの?」
「まあ、三日って言うのは早いけどさ、一ヶ月付き合って落せなかったら諦めるよ、よっぽど辛抱強くても三ヶ月ね、仲間内の賭けだから金額だって大したことないし」
「……」
「あたし、最初にあんたウブだからちょっと心配って言ったの憶えてる?」
「うん……」
「でもさ、一ヶ月経って、二ヶ月経ってもあんたが楽しそうにしてるの見てね、ああ、これは良い恋愛してるなって思ったの、宏に聞けば木下君って、確かにもてるけど根は真面目だって言うし……初めてキスしたのって三ヶ月ぐらい経ってなかったっけ?」
「うん、それくらい……」
「そこまで待っていられるだけで驚異的よ、そこからベッドに入るまで更に三ヶ月でしょ? じれったくなるくらい辛抱強く待ったと思うな……どうしてそれができたかわかる?」
「わかんない……」
「あんたを本当に好きだからよ、あんたはありえないくらいウブだから強引に迫って嫌われたくないからよ」
「どうしてそんなことわかるの?」
「わかるって言うかそれが普通なの、宏に『あんたにそれが出来る?』って聞いたら速攻で『ムリムリ、絶対ムリ』だって……ああ……思い出したら腹が立ってきた、あいつにとってあたしってその程度なんだ、もう一発ひっぱたいておけば良かった」
亜季が大げさに憤慨する様子を見て、佳代子の顔に少し笑みが浮かんだ。
その瞬間を亜季は逃さなかった。
「本人に聞いたのよ」
「何を?……本人って……悟に?」
「そうよ、最初からあんたに興味はあったんだけど、最初にデートに誘ったのは確かに賭けをした事がきっかけだったって白状したよ、二度、三度と誘ってみて、やっぱり無理かと諦めようとしたって……でも『道』って映画の話から打ち解け始めたんだって? 彼、あんたの内面を深く知るにつけてどんどん惹かれて行ったって言ってたよ、ボウリングであんた三十点も出なかったんだって? カラオケでもバラードなら上手なんだって? ビール一杯だけは飲めるんだって? そうそう、ジャズクラブで良い感じになったんだって?」
悟と一緒の楽しかった思い出が甦って来て佳代子は目を潤ませる。
「彼、その頃からあんたを欲しくてたまらなかったって言ってたよ、でも強引に迫って嫌われたらと思うと怖くて出来なかったって、自然にそういう雰囲気になるまで待とうと思ったって」
悟の顔が、声が甦る。
「……会いたいょ……」
「それでいいのよ、あんたって内気すぎて人に自分をさらけ出すのが下手なんだよ……きっかけは感心できないけど彼は結果的にあんたの内面を知るようになった……それで愛し合ったんでしょ? あんたも自分の気持ちに正直になりなよ」
「……うん……」
「彼に会いたいんだよね?」
「うん……」
「じゃ、涙を拭いて外に出て……彼、階段の下で待ってるから……」
郵送した辞表は亜季の嘆願で『預かり』となっていて、佳代子は職場に復帰したが、半年後に改めて出した辞表は祝福をもって受理された。
ライスシャワーを浴びながら佳代子と悟は二人の『道』を一緒に歩み始めたのだ。
一番多くライスシャワーを浴びせたのはもちろん亜季、花嫁のブーケをキャッチしたのも亜季だった。
もっとも、バスケットで鳴らした亜季にはそれをキャッチするのは難しいことではない、ブーケを待ち受けた誰よりも長身でジャンプ力も桁外れなのだから。
そして亜季は宏に向ってブーケを振り、ガッツポーズ……。
(やれやれ、どうやら引導を渡されたみたいだな、俺も覚悟を決めなきゃいけないか……)
宏もごく控え目にガッツポーズを返した。
そうしておかないと後でまた平手を食いそうだ……もっとも、ひっぱたかれたとしても、それで全部忘れてくれるのが亜季の良いところ、そういうところに惚れてるんだから仕方がないが……。
亜季の後姿を見ながら、宏はちょっとだけ肩をそびやかした。
(終)