隠子の婚約+美人の退職+愛娘の受験+仕事の責任=幸せの1/2
愛音の車が自宅前に着いた。この日彼女は、新しい仕事の面接を受けに行ってきた。妊娠中とはいえ、自立しないといけない。ピアノしか取り柄がないと自負する彼女は、音楽教室の講師の仕事に応募していた。かつて母親がしていた仕事と同じだ。
面接では、着慣れないグレーのスーツ姿で、得意曲と課題曲を演奏したが、ペダルを踏む度に太ももに捲れあがるタイトスカートの裾を気にしながら、何とか弾ききった。そしてイケメンの面接官から、
「仕事には、もっと楽なスカートで来てくださいね」
と言われ合格し、そこそこの疲労感と新しい人間関係への期待感を持って、自宅ガレージに辿り着いたのだが、そこにはエクストレイルが停められていた。
(拓君、車を返しに来たのかしら)愛音は仕方なく、その前に駐車した。拓君はこの家の鍵を返してくれていない。ポストに鍵が返却されていることを祈ったが、中にはチラシしか入っていなかった。
(まさか、家の中にいる?)日は落ちて薄暗いが、家には電気は灯っていない。
ドアノブを握ってみると、鍵が開いていた。
「・・・拓君? いるの!?」
「・・・・・・・・・」
靴は揃えず置いてあったが、返事はなかった。愛音は身構えた。玄関の電灯を点けて、ドアは開けたまま中に入った。楽譜のはみ出たトートバッグを、上がり框に置いて、その上にコートを被せた。脱いだ靴の向きを正してから、ゆっくりと居間に足を運ぶと、人の気配は感じられなかった。エアコンは点いておらず、冷えた部屋の明かりを点けようと、壁のスイッチに手を伸ばす途中で、ソファに座ってこちらを見ている拓君に、ゾクッとした。
「・・・こ、こんな暗いとこで何してるの?」
「・・・・・・」
何も答えなかった。その目線は力なく、ただ愛音を見ていた。愛音は睨まれていたのなら、そこから逃げただろうが、思い詰めて、ただ焦心しているように感じる拓君の視線には、少し安心した。
「大丈夫? エアコン入れるわね」
灯りを点けて、壁にかけたエアコンのリモコンスイッチを押し、スーツの上着を脱ぎながら、ソファに少し近付いた。目の前のガラステーブルの上には、家の鍵が1本置いてあった。
「鍵返しに来てくれたの?」
愛音は、テーブルに近付き、鍵に手を伸ばすと、
「待って!」
突然、拓君は愛音の手首を掴んだ。
「きゃ!」
これには愛音も、心臓が破裂するほどびっくりして、上着を落とした。
「ど、どうしたの? やめてよ! 手を離して」
「頼む、話を聞いてくれ」
愛音は腕を上に引いて、離れようとしたが、拓君は両手で掴んで離さない。