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ふじもとじゅんいち
ふじもとじゅんいち
novelistID. 63519
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サイバードリーミーホリデイズ

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 絶対に慣れることのない満員電車。目だけは瞑り、音楽なしで満員電車にもみくちゃにされ続けた。しかも運が悪いことにそんな日に限ってつり革さえ確保できず、しかも横の女は満員なのにショルダーバッグを脇に抱え、後ろではリュックサックを背に担いだまんまの奴に挟まれるという最悪の状態に晒された。他人にぶつかろうが、圧迫しようがお構い無しという馬鹿野郎共だ。僕は絶望的に気が滅入り、気分が悪くなっていった。そしてその時気づいたのだが、これだけ満員で人が一杯いるというのに、電車の中は静寂に包まれているのだった。とにかくシーンとしている。
 いつも音楽をかけていたので気付かなかったのだが、皆が押し黙って、何とかやり過ごそうとしているってことなのだろう。昨日見たテレビドラマの話でもいい、ニュースでもサッカーの結果でもいい。どこそこの飯屋が美味いとか、どうでもいいような世間話など誰一人喋らず押し黙っている。「静寂の狂気」そんな言葉が思いついた。会社でも会話はなく、電車の中でも会話を聞かない。一体全体何で誰も喋らないのだろう?
 僕の母親は陽気な人で、家庭でも隣近所の人ともいつも笑いが絶えないような会話をしていたし、世間というものはそもそもそういうものだとして育てられた。豆腐屋の店先だろうが、隣近所の裏路地だろうが、日々会話が溢れていたものだ。無口だけど真面目に仕事する姿を背中で教えた親父と、誰にでも明るく接する母親。そんな二人に僕は影響を受けて育ったのだ。
 僕はその静寂に包まれた電車の中がひどく不気味で歪な空間だと思いはじめ、段々恐ろしくなっていった。正に「静寂の狂気」、いやむしろ「沈黙の狂気」といった方が相応しいかもしれない。
 壊れかけていた自分が、最後のスイッチでも入れられたかのように、おそらく僕はその時完全に壊れたのだ。スマホの液晶画面に一筋ヒビが入り、それが画面全体ヒビ割れ、一年かけて最後粉々になっていくかのように。
 ふと目の前の中吊り広告が目に入ると、フォトショップで作られた厚化粧の若い女が、僕を見つめ、薄笑いを浮かべている。どこかで見たことある写真。というのは当たり前で、それは紛れもなくつい先日僕自身がフォトショップで画像修正した中吊り広告だった。元の本人が見たら別人だと思うぐらい、荒れた肌をほんのりピンクにし整え、しわを消し、顎を尖らせ、髪に艶を与え、化粧を上塗りしてやったやつだ。その女が僕を見つめて何故か不気味に嗤っているのだ。血が引いていくのが分かった。「ケラケラケラケラ」と嗤い声が耳に纏わりつく。すると突如その薄笑いのモデルが目の前に百人ぐらい一気に増殖して哄笑しはじめたのだ。
「オーホッホッホ」「ギャーハッハッハ」「ゲラゲラゲラ。ケラケラケラ」「ヒャーハッハッハ」「ケラケラケラケラケラケラ」耳にはケラケラケラケラという嗤い声で溢れかえり、ただのポスターのはずなのに口を開けて僕に向かって哄笑している。電車の中の空間を埋め尽くし狂ったように馬鹿笑いしているのだ。しかも今度はそのモデルの女どもの化粧がどんどん崩れはじめている。口紅が唇からはみ出し、肌はひび割れ、アイシャドウの青が溶け頬を醜く滴り落ちている。さらに一層の哄笑……僕は半分発狂しそうになり、なにか喚(わめ)き出しそうになった。いやもしかすると実際奇声を発していたのかもしれない。一瞬我に返りやばいと思った。偏頭痛はいよいよひどくなり、動悸は激しく、耳鳴りまでしてきた。追討ちをかけるかのように、極度の貧血状態に襲われ視界が狭まり倒れそうになった。その時、運良く電車は下北沢駅に到着し停車し、僕は電車を逃げるように飛び降り、ベンチに横になったのだ。
 とりあえず助かったと思ったが血の気は引いたままだった。おそらくパニック症候群っていうやつなのだろう。しばらく横になっている内に少しずつ貧血と動悸と耳鳴りは収まっていったのだが、立ち上がる気力がなかなか起きなかった。ずーっとぼーっとしながら駅の屋根から覗く青空を眺めていた。青空が凍りついていた。どこまでも無機質な現実感のない青い空に、ただ一つ孤独に白い雲が浮かんでいた。気付くと、電線の上に二羽のカラスがこっちを不思議そうに見ていた。
 電車が何本も何本もやって来ては、僕を置き去りにしていった。もう電車に乗るのは無理だと悟った。瞬間潰瘍を患っている同僚の松山さんが、会社に現れない僕の仕事を振られて、青ざめながら痛む胃を抑えている姿がよぎった。おそらく電池切れの僕のスマホに、何度となく電話をかけているはずだ。済まないと思った。だがもう無理なのだ許してくれと赦しを乞うた。赦しを乞うと今度は次々と同僚の顔が浮かんできた。新藤さん、西崎君、関田さん制作部の面々。経理の河合さん、営業にしては人が好過ぎる吉本さん……「ああご免もう無理なんです」と皆に謝りながら同時に僕はふらりと立ち上がり、ホーム際へ揺ら揺らと歩きはじめた。やがて電車がやってくる音が聞こえた。僕は吸い込まれるようにホームから飛び降りそうになったその時、電線にいた二羽のカラスがけたたましく鳴いて、僕に飛びかかってきたのだ。僕は驚いて、ホームに尻もちをついてしまった。カラスはそのままどこかに飛んでいってしまったが、飛んで行ったカラスの方向を呆然と見ながら座っていると、電車も音をたてて僕から遠ざかって行った。
 僕はもうどうあろうと、電車に乗れなくなっていた。仕方なく立ち上がると改札を後にし、歩いて帰ることにした。甲州街道を西にただひたすら歩き続けた。
「仕事に穴をあけてしまった。僕はダメ人間だ。くずだ。仕事も満足にできないクソ野郎だ」
 と自分を詰(なじ)り責め続けながら。どれぐらい歩いただろうか。最後は足の裏が猛烈に痛くなったのを覚えている。それ以来僕は電車に乗っていない。
 掲示板の自殺志願者を募る書き込みを目にしたのはその日の夜のことだ。静香は珍しく遅くまで帰ってこず、僕は一人で明かりもつけずに、暗い部屋の中でいつものようにその掲示板を眺めていた。青白く光るパソコンは異世界への入り口だった。自殺志願者の掲示板。吹き溜まりのような負のエネルギーに吸い込まれるように、気が付けば自殺志願者募集に参加する表明をしていた。露骨な合同自殺の投稿は、普通早ければその日の内に削除されて未遂に終わるものらしいが、その投稿は何故か三日は掲示されて、僕を含めて三人の人間がその話に乗ってきたというわけだ。書き込みは削除されたが、<ZERO>という呼びかけ人の捨てアドレスをつてに四人での連絡はその後も続いた。
 それから一週間、毎日会社に行くふりをしてネットカフェで酒浸りになって、当日を指折り数えながら待ち続けた。電源を落としたスマホには何度となく会社からの着信履歴が表示され、そのたびに震え上がった。それに何より、もう人間関係の全てが面倒臭くてしょうがなくなっていた。
 そしてようやく今日こうして自転車で風を切り現地に向かっているということだ。