サイバードリーミーホリデイズ
出て行った瞬間に後悔した。死ぬ程後悔し、膝をつき頭を抱えた。何か大きなチャンスを取り逃してしまったことだけは理解し、そして激しく悔やんだ。一人残されると別にからかわれたわけではないという気にもなってきた。残された濃い化粧の匂いも、テーブルに残された千円札も「悪くない世界」からの贈り物のようだった。それと何故なのだろう、一片のカラスの羽根が床に忘れ物のように落ちていた。匂いはやがて消えたが、その黒い羽根と千円札は使われることもなく今も引き出しの奥に眠っている。
もしあの時、あの女の言う通りにしていたら、もしかするとこの部屋から脱出できたのかもしれない。そしてあの女が言ってた「悪くない世界」に復帰できたのかもしれない。
あの後暫く私は立ち直れず、輪をかけてくすぶり続けたのを覚えている。だけどそれもやはり大昔のこと、五十年が経ってしまったのだ。あの女も生きていたら七十を過ぎているのだろうが、そんな事も不思議に思えてならなかった。あの女性は三十歳のイメージのまま、この部屋で生き続けている。
まあ何はともあれ、未練など何一つあるわけではないのだし、後は三人を待つばかりだと、また、隙間から街並みを覗いた。
***
<CAGE>こと、森高圭司は夕暮れ前、自転車で甲州街道を東に上っていた。行き先は<ZERO>の自宅。数時間後に迫った合同心中を前にして、しゃかりきになって自転車を漕いでいる自分が滑稽に思えたが、電車に乗れない以上移動手段はこれしかないのだと、必死にペダルを踏み続けている。ペダルを踏み、風を切りながらも、頭の中に今日に至るこの一年がよぎっては現れ、いくら振り払おうとしてもよぎっては現れしている。
親父にお袋にそれから妻の静香。この三人には感謝してもしきれないぐらい感謝してる。こんな形でお別れになるのは不本意もいいとこだけど、だけどもう戻れない。三〜四時間後にはもうこの世にいない。許して欲しい。親父とお袋は今この時間だと世話しなく働いていることだろう。夕食目当ての買い物客で賑わっている店の前が目に浮かぶ。それにお袋はきっと近所の爺さん婆さん捕まえて、いつものように陽気にくっちゃべってるに違いない。とにかくお喋りで明るくて賑やかな人。親父は傍目でにこにこ笑ってるんだろうなあ、やっぱり。二人とも東京の地の人間で、よく言えばしょうもないぐらい世話好きで、悪く言えば面倒な程にお節介な人。まあそんな血は自分にも色々引き継いじゃってるんだろうけど。
しかしこんなことになるんなら、親父の跡を継げばよかったのか。今さら言ってもしょうがないけど。親父の作る豆腐は息子の自分が言うのもなんだけど、とにかく最高に美味い。だけどやり方が古い。今でも朝二時半には起きて豆腐を作りはじめる。豆腐屋の朝は早い。でも、それってスーパーもなければ、冷蔵庫もなかった頃の豆腐屋の習慣でしかない。家庭で豆腐と油揚げの味噌汁を朝食で食べるには、二時三時から仕込まないと間に合わないというのがその理由。今の時代なら、前の日の夜に豆腐を買っておけば全然問題ないような話なんだから、そこまで早起きする必要なんて本当はないのに、親父はその習慣を変えることはなかった。でもまあ、僕は親父の跡を継ぐわけでもないから、特に意見することもなかったけど。だいたい町の豆腐屋なんて、僕が子供の頃でさえ絶滅危惧種って言われたぐらい希少な存在だった。だからこそなんだろうけど、親父は昔ながらの親父のやり方で豆腐屋をやってるわけで、いずれにせよ僕が口出しできるような話じゃなかったわけだし。
それから妻の静香。彼女には何と言ったらいいんだろう?ただただ申し訳ないと言うしかない。結婚して二年しか経ってないけど、最後の一年をダメな思い出にしてしまったのは全部僕の責任だ。
とにかく結婚が失敗のはじまりだったわけでは決してない。妻の静香との結婚は何があろうと人生最高の出来事の一つだ。高校時代以来の知り合いだった静香と結婚したのは二年近く前のことになるが、付き合い出してから十年は経っている。今でも僕は静香を尊敬できる人間だと思っているし、最高の伴侶だったとも思っている。そんな彼女とも今日でお別れになるのだが。だけどあの家さえ買わなければ、こんなことにはなってなかったはずだ。そう失敗だったのは家を買ったこと、多分そっちの方なのだ。
結婚して一年もしないうちに、都心からは離れているが庭付き戸建ての家を買った。いきなり二十代で家を持てるとはいささかも考えていなかったが、頭金を彼女の実家が出してくれるというので、甘えさせてもらうことにした。
抵抗がないわけではなかったが、名義を静香のものにすることにして自分を納得させることにした。いずれにせよ悪い話ではないわけだし。家は三LDKで二人で住むには持て余す広さだったけど、その内子供を作る予定だったので将来を考えれば必要な広さだろう。いわゆる新興住宅地で駅前には大きなスーパーやら、全国チェーン店系のレストランや居酒屋、ファストファッション店、大型書店、DVDレンタル屋なども揃い、生活するには過不足ない施設が整っていた。
結婚するまで長い付き合いがあったわけだが、新しい土地に来て僕も静香も新鮮な付き合いをし直すような気分だった。とってつけたかのような人工的な駅前広場を久しぶりに手を繋いで歩いたり、「今さら新婚も何もないんだけどね」などと言いながら、二人で買い物をし、新しい生活を満喫していた。
ただし一つ、朝の殺人的な通勤地獄だけは想定外で、こればかりは苦痛以外の何ものでもなかった。
そもそも東京下町育ちで、それまでは自転車通勤だったというのもあって、朝のラッシュアワーとはほぼ無縁(有難いことに)で過ごすことができていた。それが百八十度打って変わって混雑率二百パーセントの通勤地獄に放り込まれたわけだからさすがに辟易としたし、しかもそれが毎日のことと考えればいよいよ気分を萎えさせた。
毎朝電車の中では、ヘッドフォンステレオで音楽をかけ耳を塞ぎ、目を瞑り外界を遮断してやり過ごすことによって、何とか自己防衛していた。「修行なのだ修行。とびっきりの荒行なのだ」と自分に言い聞かせながら。
そう、家を買い都心から離れたことがやはり全てのはじまりだったのだ。結婚し家を買ったのを機に、僕はある印刷会社に転職した。前の会社に不満があったわけではなかったのだが、新しい会社は給料が倍近くあり、家のローンもあることだし迷うことなく転職することにした。実際静香も働いていたので、金銭的に不自由していたわけではなかったが、その内子供ができ静香が休職でもしたら、やはり自分自身の給料が少しでも高い方がよいと考えたし、それが当然の選択だった。あともう一つ、静香より稼ぎが少なかったというのも、少し気にしていたのかもしれない。
その印刷会社の社長はまだ三十代半ばの若い男で、三年前会社を興し、たった三年で従業員を百人あまり抱える程に急成長させたという、野心の固まりみたいな人だった。
だが給料がいいとはいっても、それは長時間労働を引き換えにしてという条件がついていた。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち