サイバードリーミーホリデイズ
それにしても二人とも何も喋ろうとしない。テレビのニュースキャスターが通り一遍に読み上げる音のみが空疎に部屋の中に流れているだけだ。草介もあえて何も聞かず、ちゃぶ台の上の缶ビールのレギュラー缶を手にした。
「これ貰っていいですか?」
「それは<CAGE>さんの差し入れ」
<ZERO>が嗄(しゃが)れた声を出し、目で「構わない」と言っている。草介は遠慮なくビールのプルトップを開けた。
草介がこのボランティアに参加するきっかけになったのも、ひとえに古い友人を自殺で失ったことが原因であった。学生時代の友人達も、卒業してしまえば就職したり結婚したりと、大概の友人が疎遠になっていくなかで、最後まで付き合いのあった奴が突然命を絶った。刻むように二か月に一度は酒を飲んでは世間話やら馬鹿っ話に花を咲かせ、お互い溜まった憂さを晴らす、そんな仲だった。卒業して二十年そんな仲が続いたというのに、五年程前にそいつは突然命を絶った。最後の酒の席でも笑いながらいつもの世間話や昔話で終始して、何一つ異変を感ずることはなかった。それがその二週間後に自ら命を絶ったのだ。独り者だった。通夜の席で会社の同僚らしき人に話を聞けば、有休をとってそれっきり会社に現れず、突然警察から連絡があったということだった。東尋坊で身投げ。ジャケットの内ポケットから出てきた財布で身元はすぐ判明し、車も乗り捨てられていたという。意味が分からなかった。誰一人として死んだ理由は分からないし、兆候さえなかったと歯切れ悪く口を揃えた。
人が死ぬのに理由なんかいらない、わけがないのだ。大きな理由と無数の小さな理由。だけど心の内など誰にも分からないのだ結局はと、そんな無力感に苛(さいな)まれたのを覚えている。唐突過ぎる友人の死に、暫く草介は立ち直れなかった。日々仕事をし、生活しながらも、飲み込んだ異物が胃の中でとどまり続けるかのような不快な日々が続いた。「何故気付いてあげられなかったのか」と自分を責め、悔いた。だが一方で「もし彼の悩みなり、心の病なりを知ったとして、果たして止められたであろうか?」と問うとそれはそれでよく分からないとしか言いようがないのだ。だとして、多少なりとも手を差し伸べられていたらと、やはり無念で悔やんでも悔やみきれなかった。
草介は自殺という言葉が好きではない。社会なり、世間なりに追い込まれ、追い詰められ、逃げ場もなく死を選んだのだとしたらそれは「他殺」なのではないかと。今ここに集まっている人も逃げ場を失った人達なのだ、ならば逃げ場を教えてあげればいいのだと。そんななかでこのボランティア団体の活動を知り、関わりはじめたというわけだった。
沈黙は続いていた。いつしか<CAGE>はテレビを見るのを止め、体育座りのまま上体を前屈させ頭を伏せている。眠っているというより、ひたすら時間が経つのを待っているかのように見える。<ZERO>は相変わらず嫌な咳をし、眼も虚ろなままだ。淀んだ空気に正直草介は気が滅入りはじめていた。──もう正体明かしていいんじゃなかろうか?と。
それでもまあ三人揃ってからだと気持ちを決めて、缶ビールを傾ける。ビールの味がしない。飲食物を味わうというのは、飲食物それ自体の味以上にシチュエーションで決まるのだと、妙なことに気付かされる。それから三十分ぐらい経っただろうか、呼び鈴が鳴り<ZERO>が再度迎えにいくため立ち上がった。
やって来たのは三十台半ばと思われる女。おそらくこの人が<RAIN>ということになる。精神の安定を得るために見境なく買い物をし続け多重債務者となり、夫から追い出され精神破綻をきたしたと、掲示板では告白されていた。重度の買い物依存症で、最後は何を買ってもむしろ不安は増大し、それでも買い物を止められなかったという。化粧っ気はなく、頬骨が目立ちひどくやつれている。そしてなによりも臭う。草介はつい鼻をひくつかせた。
「あ〜ら、私が最後なのね。えっ臭う?変ね。シャワーちゃんと浴びてきたのに。だけど遅れちゃってごめんごめん。ん?遅れちゃったも何もないか。えへへ」
「来る時に伊勢丹あるじゃない?あそこ久しぶりだから立ち寄ったら冬物のジャケットでいいのがないか探してたら、なかなかいいのなくってさ、だけどやっと見つけたの、キルティングコートなんだけどね。ちょっと若向きなんだけど、超かわいいなって思ってさ、買おうと思ったら店員にお金が足りないって言われちゃってさ。お金ならたくさんあるのに何言ってるのかしら。失礼しちゃうわよね。それで癪に障ったから今度は丸井に行ったり、ルミネ行ったりしてたんだけどお……」
これから死のうとしている人間が買い物も何もあったものではないが、聞かれもしないことをぺらぺらぺらぺらと喋り続ける。おそろしくハイテンションで。時折りへらへらと空っぽな笑いを浮かべながら。おそらく躁状態なのだろう。鬱状態の人間を見かけることはたまにあるのだが、あまりお目にかかることはない躁状態の人間の応対もまた、ひどく難しい。誰かに向かって喋っているかのようで実は独り言みたいなもので、内容はただ支離滅裂で、草介は形ばかりの相鎚を打つしかない。
いずれにせよ保護対象は出揃ったわけだし、後は応援メールを送るだけだ。草介はトイレを借りると立ち上がり、トイレでメールを送ることにした。
「保護対象三人。ワゴン車で応援よろしく。危険な人物はいないと思われる」
場所はあらかじめ教えていた。混んでいても三、四十分もあれば駆けつけてくることになるだろう。時間は七時を回ったところだった。
***
数時間前
<ZERO>こと佐々木裕之はわずかに開けられた雨戸の隙間から眼下に広がる午後の無表情な街並みを眺めながら、果たして今日三人が本当に来るのだろうかと、ぼんやり考えていた。来なかったとしても、どの道今日死ぬつもりではいるのではあるが。そもそもあの掲示板に共同自殺の話を持ち掛けたのは裕之自身だった。物は試しぐらいの気持ちで書き込んだのだが、三人が同意し、今日ここに来ることになっている。七輪と練炭もホームセンターで買えば多少なりとも訝られ、それなりに表情を取り繕わねばならなかっただろうけど、ネット通販で購入して昨日事務的に届けられていた。今さら後悔も何もあるわけではないが、長きに渡った五十年の月日をあえて振り返ろうとしているわけではないのに、それでも脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消え甦ってきている。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち