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ふじもとじゅんいち
ふじもとじゅんいち
novelistID. 63519
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サイバードリーミーホリデイズ

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 もっとも草介の役目は基本ウェブ担当で、掲示板を過剰な悪罵を投げつけて荒らす無用な書き込みやら、削除してはイタチごっこのようにやって来る援助交際サイトや闇金への誘導書き込み、そして何より集団自殺を仄めかす書き込み等を削除するのを主な仕事としていた。さらに面倒なのは、自らが所属する「いのちのよりどころ 樅木の会」以外の掲示板での自殺志願サイトを巡回して、集団自殺が仄めかされれば、あえて自殺志願者になりすまし、現場に潜入して保護する役目さえ負っていた。なので草介自身は自死を願う者本人への心のケアをする役割を担っているわけではなかった。むしろ自死を願う人々に一対一で丁寧に話を聞き、相談に乗り、心のケアをするワーカーの担当者にはいつも頭が下がる思いをするばかりであった。
 そして今日がまさに、その集団自殺の現場に潜入する日なのである。
──年に数度しかない出来事なのにそれが大晦日だとは……

 エントランスに入ると左手に三十個ばかりのメールボックス、その奥に非常階段用出入り口の鉄扉、右側にエレベーターがあった。 
 幾つかの蛍光灯は替えられることなく、息も絶え絶えに明滅を繰り返している。掲示板のフレームは歪み、壁も塗装がところどころ剥落し全体的に著しく劣化している。メールボックスの半分近くは、ポスティングされたちらしが山のように詰め込まれ、消化不良でも起こしたかのように塞がっており、本来の役割を失っていた。部屋主もなく無人なのだろう。吐き出された無数のチラシや投げ捨てられたペットボトルが床にそこかしこに散乱している。エントランスの一隅には不法に廃棄された家電や粗大ごみが屍のように積み上げられている。アンモニア臭がかすかに漂い、そこはかとなく鼻につく。半分近く無人の部屋を抱えたマンションは、人が少なくなることに反比例するかのように荒れていくというわけだ。
 エレベーターに乗り八階へ向かう。ヘッドフォンステレオからマッコイ・タイナーのSearch for Peaceが流れてくるが、目的地が近くなってきたのでヘッドフォンを外し、現場の八〇二号室前にて呼び鈴を鳴らした。三十秒程たつと内側から錠前を外す音が聞こえ、ドアが半開きに開き、六十過ぎと思われるマスクをかけた初老の男が現れた。
「どちら?」
「<ヤマネコ>です」
 草介はここでは<ヤマネコ>というハンドルネームで通っている。そう告げると男は無言で中に入るように目で促し、部屋の中へ通された。部屋の中は勝手に荒れすさんだ部屋を想像していたのとは異なり、随分と整然としていた。小さな食器棚も古びた冷蔵庫も塵一つなく、清潔が保たれている。唯一四十五リットルの固く結ばれたゴミ袋が五つほど隅に積み上げられているが、それさえ野放図にというより、整然と片付けられて置かれているように見えた。六畳程のキッチンを抜けると同じく六畳程の居間があり、部屋の真ん中にちゃぶ台が置かれ、その上に缶ビールやら缶酎ハイが数本、ポテトチップスに缶詰の焼き鳥、魚肉ソーセージが散らばって置かれている。最後の晩餐ぐらいまともなものを食べればよいのにと思うが、食に対する興味さえ失っているということなのだろうか。草介は自ら買ってきたワインボトルをちゃぶ台の上に置いた。
 居間の方も同じく整然としている。書棚の本や漫画や雑誌は几帳面に整頓されて並べられている。ただ壁際にスケッチブックやら画用紙が所狭しに山積みされているのが気になり、つい興味を惹かれてむき出しになっている画用紙に目をやると、画用紙なのだから当たり前なのだが絵が描かれていた。人間、動物、昆虫、植物、生物全般……。どれもこれも暗色で描かれ、どの生物にも輪郭らしきものがなく暗い背景に溶けるように描かれている。しかもおよそ重力を感じさせるものもなく闇の中に浮遊、もしくは漂流しているかのごとく、人間やら動植物が描かれているのであった。部屋に飾るような代物ではない。一枚飾っただけでその部屋は途端に陰鬱になってしまうだろう。しかし得体の知れない訴求力といおうか、何か惹かれるものがそこにはあった。
「凄い絵ですね」
「そうですか?五十年間描き続けましたからねえ」
「これ全部?」
「ええ。押入れにもこの倍ぐらいありますから」
 五十年間絵を描くことによってのみ、心の平穏を保ち続けてきたのだろうか?それにしても、これ程暗い絵を描き続ける暗い情熱の源泉はどこにあるのか、画風が変わったことはないのか?草介は色々聞いてみたい衝動にかられたが、言葉を飲んでちゃぶ台の横にあぐらをかいて座り込んだ。
 さらに居間の隣に目をやるともう一つ六畳間があり、こちらはがらんとして何もない部屋なのだが、奥に一塊の練炭と七輪が二つ、目張用のガムテームが準備されていた。
──確定だな。後は本部にメールを送って応援を寄越すのみか。
 先程の初老男はマスクを顎にかけ缶ビールを飲んでいる。目が死んでいて生気が感じられない。頭は禿げ上がっているのだが、後頭部から伸びている白髪を後ろで無造作に束ねている。鼻下には白髪髭が、顎はマスクで隠れているからよくは分からないが、やはり髭が伸びるままになっている感じが伺え、老いたハゲワシみたいな顔をしている。おそらくこの男がハンドルネーム<ZERO>なのだろう。中学二年、十三歳の時に不登校がはじまり引きこもりがちになり、そのまま五十年間、ただの一度も働くことなく今日に至ったということらしい。果たしてこの人に差し伸べる術を、かけられる言葉を我々が持ち得ているのか、正直草介にはうまく想像できなかった。ハンドルネームの由来も働いたことが一度もないことからきているらしい。そこそこ裕福だった両親が一年前相次いで病死、残った遺産で何とか生活してきたが、その遺産も二か月前の「円の死」によって紙くず同然となり、いよいよ困窮し、合同心中を呼びかけたということだった。あくまでも掲示板での書き込みをそのまま信用すればの話ではあったが。 
 奥にいる缶酎ハイを手にし、引き戸の襖に寄りかかりながら、テレビのニュース番組を何となく見やっている男、彼がおそらく<CAGE>なのだろう。ハンドルネームというより本名らしい。もっとも苗字は不明。年齢は二十代後半といったところか。もさもさ頭のくせっ毛が伸び放題で、痩せこけた頬から顎にかけてやはり不似合いな無精髭を生やしている。ちゃんと髪を整え少し太らせたら、結構二枚目なのではないかと思えるし、目のふちに生真面目さが見て取れ、その生真面目さがむしろ命取りになったのではなかろうかと、草介は推測した。何故なら彼の精神崩壊の原因は、この一年間昼夜を問わず働き続け、満員の通勤電車の中で気がふれそうになり、途中下車。飛び降り自殺をしようとしたが失敗した、というのが掲示板での彼の告白であったからだ。最後の方では連日「ほとほと疲れました、もう死にたいです」と繰り返し書き込まれていた。飛び降り自殺は得てして衝動的なもののように思えるが、合同心中となると確信犯的に思えるので、精神的に完全に消耗してしまったということなのだろう。いずれにせよ袋小路から抜け出せず、今日に至ったということか。